第二章 ひと夏の事件

第一段 お仕置き

第十一話 少女は妄想に生きるのです。

 三ケ月が過ぎ……もう七月。

 るみちゃんの制服はブレザーから、半袖のブラウスに変わっている。

 文化祭を来週に控え、放課後になるとどの教室からも、その準備に当たる生徒達の明るい声が響くようになっていた。

 こんな平和な日々を過ごせることが、私はとても嬉しい。


 あれからるみちゃんは奥原さんに、雨守先生が好きだということを公言している。そのくせ先生ご本人の前ではわざと失礼な……下品な態度をとったりなんかして。

 おしとやかな奥原さんと対称的に振る舞うほうが、気持ちが楽みたい。

 とはいっても、スパッツを穿いてるからいいもんね、だなんて言って股を広げて座るようなはしたない恰好をするるみちゃんに、私はいつも気が気ではないですけれど。


 でも、そんなるみちゃんを雨守先生は、かまって下さる。るみちゃんを叱ったりあしらいながら、先生は私を見て呆れたような顔をして眉を上げる。それがお約束のようになったけれど、お互い、いいお付き合いの仕方を覚えたのだろうと思う。

 それに雨守先生は実に器用に、一見るみちゃんの言葉に応じているように見えて、私の言葉にもきちんと答えて下さる。私はそれがとても楽しい。


 でも、そんな雨守先生にも、私には絶対言えないことが。

 るみちゃんはあの日、私が雨守先生の唇を奪った直後のことを覚えてるみたい。魂が自分の体に戻って、目の前に先生の顔があったことを。

 それに時々、夢に見ているんじゃないかしら?

 うっとりと、こう、唇を尖らせて……あああっ!

 見てる私が恥ずかしいですっ!!

 だって、あの時、きっと私もそうしていたはずなんですもの!!

 毎晩のようにその光景を思い起こされて、私、少々憂鬱ですっ。


 そればかりか、るみちゃんは家に帰ると部屋にこもり、一晩中妄想炸裂!

 どう見ても雨守先生をモデルにしてるでしょう?という、その、なんといいますか……。

 そんな歳上の男性と、るみちゃんに似た若い女の子の、じょじょっじょじょ情事の絵を「ぱそこん」で密かに描いていて。

 なんて破廉恥……いえ、官能的と言いましょうか。あああっいけませんわ!


 それだけでも禁断の恋の背徳感が否めませんのに、あろうことかるみちゃんはそれを「ねっと」というものに「あっぷ」して、幽霊でもないのに目の前にはいない大勢の方から「イイね」なんて「こめんと」を頂くようになっていて。「ふぉろわー」という人達が八〇〇〇人くらい、あ、え? 違う。さらに日に日に増えてるようで。

 それが励みになっているのか、るみちゃんの絵もどんどん上手になっていて~っ!!


 決して誰にも言えませんけれど、実は私も、その絵はドキドキしながら見せてもらってますの。

 どことなくその女の子が私にも似ている感じがして(これは多分に思い込みです)……いやあああああああああああああッ!

 ダメです恥ずかしいですっ!

 「あっぷ」前……つまり、修正前の絵を私だけが見ることのできるこの幸せ!

 なんだか、い、いけない趣味をるみちゃんと共有していますっ!!


 でも当然ながら二人して雨守先生に向き合う時には、そんな秘密はおくびにも出さず。

 日々緊張しながら過ごしていますの、いい意味で!

 あれ?……いけない意味で? 

 そんなことないないないっ!!


「どうした? 深田、最近変だぞ?」


 うああああああああっ! 

 心の中でにやけていたつもりが、もしや顔に出ていまして?!

 夜中ずっと起きていて寝不足気味とは言え、またも居眠りしているるみちゃんの頭を雨守先生は片手でつかんでいた。

 その頭をぐりぐりと回しながら、私の顔を覗き込んでいぶかしがっていらっしゃいましたっ!


『い、いいえっ!! なんでもないです。

 その、今時の女子高生の話題についていけなくて、時々っ。

 しょっ昭和と平成って、全然違いますものねえっへっへ。』


 慌ててしまったけれど、せっかく今、先生にあんなにされててもるみちゃんは起きないし。

 他の三人(部長さんと奥原さん達)は皆、文化祭の倶楽部発表の打ち合わせだとかで、ここにはいないし。

 ここぞとばかり、私は最近気になっていたことを雨守先生に尋ねてみた。


『あの、雨守先生。

 最近、と言えば奥原さんの守護霊の女の子なんですが。

 なんだか不安そうにしてることが、多くなった気がするんですが?』


 そう。

 実は私は、あれから他の幽霊が見え続けている。

 一時的なものだと雨守先生からは言われていましたから、先生ご自身も驚いてらしたけど……もしかして、先生の過去を覗いてしまったからなのかも……きっと、そういうことなのだろうと思いつつ「なんででしょうねえ?」なんて、先生にはとぼけていますが。


 その守護霊の女の子。おかっぱで、膝小僧の見える着物姿は、まるで時代劇の登場人物のよう。彼女は言葉を発しないけれど、いつも朗らかな笑顔だった。そして雨守先生から渡されたクレヨンで、皆からは見えない場所で絵を描いて遊んでいたのに(驚いたことに、女の子は私と違ってある程度、守っている奥原さんから離れられるみたい)。

 最近先生がいらっしゃらない日は、クレヨンを手にしようともせず、上目遣いで落ち着かない様子だったもの。


「そうか……あの子自身は、しゃべれないからな。」


 雨守先生は顎をなでながら、眉間にしわをお寄せになる。そしてまた私に。


「なあ、深田。俺が来ない日に何か変わったことはなかったか?

 学校外での奥原にも。」


 雨守先生は、非常勤講師と呼ばれる先生だそうで、毎日いらっしゃるわけではない。

 文化祭が近づいた今、変わったことと言えば……。


『奥原さん自身に特に変わったことはないですけど。

 普段誰も寄り付かないこの教室に、

 美術部員じゃない三年生の男子が来るようになりました。』


「何をしに来てるか、わかる?」


『ええっと、奥原さんに何か親し気に話しているみたいですけど……。

 ぱん、ぱんふあれ? そのれい、れいあ……。

 すみません、私には今の時代のよくわからない言葉で……。』


「いや、それは無理もないから気にすることはないよ。

 でも顔を見ればそいつが誰だかわかるかな?」


 雨守先生は一度準備室に入ると、すぐに一冊の写真集のようなものを手にして戻っていらっしゃった。そしてその本をめくる。

 ああ、生徒達の顔写真ですね?


『あ! この男子です。

 この写真だと髪型が整いすぎというか、今とちょっと違いますけど。』


「こいつは春先に撮ったものだから……調子こいて弄ってるんだろうな。

 山風翔太、か。

 担任は……あ……武藤かよ。」


 雨守先生の嫌そうな声に、教室の隅で一人キャンバスに向かっていた後代さんの背中が、ピクリと動いた。


『あの人が……また何か?』


 あの人って……ゆっくりと振り向いた後代さんの顔は、普段の穏やかさはなく、一瞬、氷のように冷たく感じられた。

 もしかして私、幽霊になって初めて、ぞっとしたかも知れません。

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