第十話 こうなったらとことんです!

 失神したままのるみちゃんを軽トラックの助手席に乗せて、その体に雨守先生はシートベルトを着ける。

 それを見ていて「うわあ、ほんとに近かったんだっ」と改めて恥ずかしくなる。


 もう人の身体を借りて心臓のドキドキや、頬のほてりも感じられないのは寂しい気もするけれど……。

 でも、るみちゃんが無事で良かった。


 と、るみちゃんの左隣……体の半分、車の外に出ていた私は、雨守先生から声をかけられた。


「深田さん、ここでいい?」


『はっ? はい!』


 でも先生が指さした場所って、るみちゃんと先生の間に座るような形になっちゃうのですが?

 と言いますか、体の左右で、それぞれるみちゃんと先生に重なる感じにッ!


「幽霊だから狭いもなにもないと思うけど。

 そのままだと見える人の車とすれ違ったら、事故誘発するからさ。」


 そんなふうに雨守先生は理由をおっしゃるけど……そこに座った瞬間!


 ぁ。。。ダメです。。。先生と重なってる右半分が、気持ちよくて……。

 何故かはわからないけど、なんだか私、ホントに消えてしまうかもですっ!


「深田さん、ひとつ聞きたいことがあるんだけど。」


『ななななんですかっ?!』


 雨守先生の声に、思い切り叫びながら自我を取り戻す私っ。先生は車を発進させながら、私に問いかける。


「守られてる人間は、守護霊が消えても……って、俺に聞いた時さ。

 俺が出しかけていた【闇】に……。

 飲まれて消えてしまうことも覚悟したのか?」


『覚悟……と言えば覚悟でしょうか。』


 なんだか急に、まるで何世紀も前のことのようにしみじみしてしまう。


『あの時はただ、例えそうなったとしても、

 るみちゃんを守ることしか、考えてませんでした。』


「そうか……やっぱり、そうなんだ。

 でも浅野も君自身も無事に……本当に良かった。」


 雨守先生のその声は、どこか寂しそうに感じられた。

 でもその時、体が半分触れているからか、突然私の中になにかが伝わってきた!


 女の人が一人、雨守先生の【闇】に飲まれていく恐ろしい光景。

 これってまさか、先生の記憶?!

 どうやらそれは、時を遡るように私に流れ込んでくる!


 さっき先生は「やっぱり」とおっしゃった。その女の人は、襲い来る化け物たちから先生を身を挺して守ろうとしていたんだわ。

 そして先生もその人を……。

 化け物と戦いながら、必死の形相で睨みつける先生の目の前に、突如漆黒の球体が現れた。これは? そうだわ、これが先生のおっしゃていた【闇】!!

 それは周りの全てのものを恐ろしい速さで吸い込んでいく。

 化け物たちはその【闇】に飲まれて消えていったけれど、その女の人も例外ではなかったんだわ。

 雨守先生の伸ばした腕は、確かにその人の手にかかっていた……でも、すり抜けるだけで掴めない。この人も幽霊ということ?!

 でもその女の人は恐怖に震えるというよりも、なぜか優しい微笑みまで浮かべながら、【闇】へ吸い込まれ、消えていった。

 先生の心の傷みだけが、私に洪水のように流れ込んでくる。

 

 それはほんの一瞬のことだったけれど……私は気がついた。


 雨守先生が「俺は人の好意を受けるに値しない」って、そうおっしゃっていた意味が。

 雨守先生にとって、その人はかけがえのない人だったんだわ。その人を想って、他の人からの好意を今も拒んでいる。

 そんな雨守先生の心の傷を、先生も気づかぬうちに私は知ってしまった。

 これはずっと、私の胸におさめておかなきゃ……私だけの、秘密に。


 だから気づかなかった振りをして、大げさにおどけて顔を上げた。


『で、でも! 雨守先生があんな風になってしまうなんて、驚きました!』


 「うがーッ」だなんて言って、顔真似までして。すると、雨守先生は苦笑しながら眉を寄せた。


「怖かっただろ……っていうか、よくあんな状態の俺に……。

 深田さんも大胆だよな。」


『だって、好きだとお伝えしたじゃありませんか。』


 拒まれても構わない。

 もう、恥ずかしさも忘れ、私はまっすぐ先生の横顔を見つめる。


『だから全然怖くなかったです。 

 それより私、先生をダシに使ったみたいで……。』


 その時ふと、言いかけていたのに急に気が変わった。


『……でも私も謝りませんよ? これであいこですよね?』


 そうよ。私だっていきなりあんなことされたんですもの。

 私の「初めて」を、先生からもらったって、いいですよね!


 すると雨守先生は声に出して笑って下さった。


「敵わないな。

 でも、むしろ俺の方が借りができた。どうやって返したものかなあ。」


『じゃあ、ひとつ。お願いがあります。』


 改めて背筋を伸ばした私と同じく、雨守先生は前を向いたまま、少し緊張した面持ちになった。


『私もるみちゃんみたいに、呼び捨てで呼んでいただけませんか?

 美術でご指導いただくことがなくても、私も雨守先生の生徒でいたいんです。』


 雨守先生は一瞬、はっと目を見張るような表情をなさったけれど……。

 しばらくしてから、静かに微笑んで下さった。


「恩人にそれはどうかと思うが……わかったよ、深田。」


『はい!』


 それがとても嬉しかった。「さん」だなんてつけられていると、照れてしまうというより……距離を感じてしまうもの。

 先生の記憶を覗き見てしまったら……あの女の人の顔を見てしまったら、尚のこと。

 私を私として、見て頂きたかったから。


 すると雨守先生は、ちらと私を横目で見て、また微笑んだ。


「それに、まだ力を貸してくれ。

 浅野が起きたら起きたで、また大変だろうからさ。」


『それはこちらこそ、です!』


 そう答えたまさにその時、るみちゃんが意識を戻したッ。


「ん……。んあああああっ!!」


 理解できていない状況にうろたえたるみちゃんは、手と足をじたばたと振り回す!


「暴れるな! 浅野ッ!!」


『私、憑依して抑えたほうが?』


「いい! いい! 大丈夫だから!」


 なんとかハンドルの操作を維持しつつ、雨守先生は路肩に静かに車を寄せた。

 瞬きを忘れ、肩で息をしていたるみちゃんが叫んだ。


「あ、あ、雨守先生ッ?! どうしてここに? いや、私がなんでッ?」


『るみちゃん、覚えてないの?』「覚えてないのか? 浅野。」


 私と先生の問いかけに(聞こえているのは先生の声だけだろうけど)、るみちゃんは愕然として答えた。


「え? いや……学校で、私が歩いてるのを、私が外から見て……あれ?」 


「寝ぼけてるのか? 浅野。

 学校休んでたお前が、そこにいるわけないじゃないか。」


 ごまかすかのように半分表情をひきつらせたままの雨守先生を、じっと見つめながらるみちゃんの瞳が揺れている。


「えっ? でも先生、私に……いや私がキっ……キスしましたよねっ?!」


「寝ぼけてるな? 俺がそんなことするか。」


 もう顔色一つ変えずにそう答える雨守先生から目を逸らし、るみちゃんは胸を抑えて呟いた。


「してないのか……。なんだ……。」


「なんだとはなんだ?」『そこは少し、覚えてたんだ……。』


「だいたい生徒に手を出したらセクハラでクビだ。」


 半ば閉じたような呆れたような目を向けながら、雨守先生は再び軽トラを走らせた。

 少し照れながらるみちゃんは頭を掻く。


「でっ、ですよね~ぇ。でも、どうして私ここに?」


「お前が夢遊病みたいに夜中にフラフラ出歩いてたとこ、

 お巡りさんに保護されたんだ。

 俺の電話番号のメモしか持ってなかったっていうから、

 俺が迎えに行ったんだ。」


 雨守先生ったら、なんでもないような顔をして……。


『嘘をつくしかないと思いましたけど、半分そのとおり。』


「嘘だと思うだろ? ほんとのことだ。」


「そ、そうだったんですか……。」


『うわ、納得したっ!!』


 でも先生の言葉だから、るみちゃんが素直に飲みこむのもわかるかな。

 すると、打って変わって穏やかな表情を、先生はるみちゃんに向けた。


「クラブのことなら気にするな。

 新入部員が入らなかったのは、お前のせいじゃないってことは皆わかってる。」


「え? でも先生……。」


「部長の正木も感情的になってはいたけどな。

 噂で新入部員が寄り付かないのは今年に始まったことじゃないって。

 去年、お前と奥原が噂を知ってても入部してくれたの、すごく感謝してたんだ。

 まあ三年生になって部員獲得に焦ったってものあったらしいがな。

 いつもなら翌日ケロっとして出てくるお前が休んだんで、

 言いすぎたって心配していたぞ?」


 先生の言葉に少し安心しつつも、るみちゃんは上目遣いで尚も恐る恐る尋ねた。


「あの……久美子……も?」


「ああ、一番に奥原が心配しているさ。だからちゃんと登校しろ。」


「……はい!」


 るみちゃんは晴れ晴れとした顔を上げた。 

 ああ! 良かった。

 すると雨守先生はるみちゃんの頭をポンと左手でつかみ、わざとらしいくらい明るく笑った。


「だが前は、これから怒られろ!」


『あ、電気が点いてる。』


 雨守先生の軽トラは、もうるみちゃんの家の前まで来ていた。るみちゃんのお父さん、お母さん、きっと心配して……。同時にるみちゃんは絶叫した。


「うあああああっ!」









第一章 初恋 終わり



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