第三話 誰がいるのかと言いますと。
「しまった……。国語の課題、忘れてきちゃった。あ~あ。」
翌朝の教室で。
るみちゃんは鞄の中を漁るようにかき回して、大きなため息をついた。
いけない……るみちゃん、夕べしっかり仕上げていたのに。いつもなら朝にもう一度持ち物は確認しなきゃねって私が思うと、るみちゃんはそうしていたのに。私は今朝、すっかりそれを忘れていた。
昨日からずっと、るみちゃんと奥原さんが、雨守先生のことをどう思っているのか、そんなことが気になってしまっていたから。
きっと二人とも、雨守先生に魅かれている。
私がどんなにお慕いしても……生きている人には、敵わない。
「どうしたの?」
奥原さんが、るみちゃんの顔を覗き込んだ。
「ごめん、久美子。
提出状況学年一って言われてた我がクラスに、私が汚点つけちゃうよ。」
「え? なんだ……心配ないわよ。大袈裟だなぁ。」
「久美子、朝のうちに比留間先生のとこ、皆のノート提出しに行くんでしょ?
一緒に行く。
どうせ嫌味言われるんだろうけど、謝っておく。」
「そう? うん、じゃ、いこっか。」
そして二人並んで国語研究室に向かう途中、会議室の前の廊下で奥原さんは呼び止められた。振り返るとそこに、担当の比留間先生がいらした。
「ああ、奥原さん。提出物なら、ここでもらうよ。」
短く刈り上げた髪に、普段から青白い顔の比留間先生は、奥原さんだけを見て笑顔を向ける。失礼ながら私、この方には安心できなかった。るみちゃんもきっとそうだと思うけど、提出物を忘れてきてしまった手前、渋々頭を下げる。そこは私も一緒に。
「比留間先生、私、提出ノートを忘れてきてしまいました。
明日でもいいですか?」
すると比留間先生は左の頬をピクリと小さく震わせた。そして奥原さんに向けていた表情を一変させて、るみちゃんを蔑むような眼に。
「なんだって?
せっかく今まで係の奥原さんが呼びかけて、
そういう生徒は一人もいなかったクラスだというのに。
君って人は……。」
「すみません。」
再び頭をさらに下げて、ぐっと我慢して謝るるみちゃん。でも、るみちゃんと私は、奥原さんの言葉に驚いてしまった。
「私も忘れてしまいました。係なのに、すみません。」
隣で頭を下げる奥原さんを、るみちゃんと私は腰を折った姿勢のまま顔を横に向け、唖然として見つめた。すると「ええッ」という困惑したような声が、小さく頭上に聞こえた。
「仕方ないな……じゃあ、いいよ。二人は明日、いいね?」
不満気に唇を曲げ、比留間先生は奥原さんから預かったノートを抱えて去っていった。するとるみちゃんは奥原さんに、まるで責めるように詰め寄った。
「久美子、嘘ついたでしょッ?
わざと自分のノート置いてきたの? なんで?!」
奥原さんは涼しい顔だ。
「だって去年、水泳やマラソンの補習でるみちゃん、
運動苦手な私に、わざわざ付き合ってくれたじゃない?」
「それとこれとはっ!」
「同じでしょう? これであいこ。さ、行こっ。一時間目、始まっちゃうよ?」
にこやかに先に歩き出した奥原さんに、るみちゃんは顔を歪めて叫んだ。
「よ……余計なこと、しないでよっ!」
「ど、どうしたの? るみちゃん?」
立ちすくんだ奥原さんを置いて、るみちゃんは駆け出した。守護霊の私は、るみちゃんに引っ張られるように連れられて行く。
るみちゃん、あんなに仲のいい奥原さんに、あんな態度をとるなんて……でも……私にはわかる。
るみちゃんはきっと、昨日から奥原さんと自分を比べて、みじめな気持ちになっちゃっているんだわ。
雨守先生のことでは、奥原さんに敵わないって、そう思っている。
だって、るみちゃんの想いは……私に似てしまうから。
それからるみちゃんは、笑顔で話しかけてくる奥原さんと口をきこうともしなかった。
そして放課後。二人は美術教室にやってきた。
雨守先生へのるみちゃん、奥原さんの気持ち……二人の間のわだかまり……。それらが胸につかえてはいたけれど、私はひそかに雨守先生に会える嬉しさで、この時間がとても待ち遠しかった。
でも、いざここに来たら、私の気持ちは千々に乱れてしまった。
私たちが美術教室に入る直前、私は気づいてしまったから。
雨守先生は教室の薄暗い片隅で、確かに誰かと親し気に話しをしていた。
私にも見えない、誰かと。
そんなものは、幽霊以外に存在し得ないじゃない!
それはきっとこの学校に伝わっている噂、『放課後の美術教室に現れる幽霊』だわ。
……私は思い知らされた。
私が敵わないのは、生きてる人だけじゃ、ないじゃない。
同じ幽霊なのに、なんで私より、雨守先生とお話しできる人がいるの?
まだ私、ほんの少ししか言葉をかけていただいていないのに。
お願い、雨守先生!
あんな優しい目を、他の人に向けないで!!
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