第二話 なにが苦しいかと言いますと。
「久美子~お、今度の美術の先生さぁ、雨守先生だっけ。変な人だね~。」
倶楽部活動の帰り道、るみちゃんは背の高い級友と二人並んで登校坂を下りていく。
右側を歩く同じ美術部員でもある奥原久美子さんに、るみちゃんは手提げ鞄を背中に担ぐようにしながら話しかけた。栗色でしょーとへあーという髪型のるみちゃんは、黒く美しいろんぐへあーという髪型の彼女を横目で見上げる。
変な人って……るみちゃん、それは失礼というものよ?
居眠りから起こされた後、描きかけの絵に、とても丁寧にご指導いただいたのに。
でも、雨守先生が素敵な方だというのは、私しか知らないこと。
だから、無理もないかな。
私の額に手をかざしてくださった時の、先生の優しい眼差しを思い出して、また嬉しさを噛みしめた。
すると奥原さんまで、なぜかとても嬉しそうな眼を返した。
「そうかなぁ?
確かに、なにか独り言が多いかなって思ったけど。
でもるみちゃん、私、雨守先生に会えて、すっごく興奮しちゃった。」
「え! 久美子、知ってる人なのっ?」
るみちゃんが素っ頓狂な声を上げたけれど、それは私も同じだった。奥原さんは両手で持っていた手提げ鞄から左手を上げると、少し赤らんだ頬を隠す。
「うん。
何年か前になるけどね。
学生時代に新進気鋭の画家って外国でも評価されて、
とても有名な人だったんだよ?」
「でも雨守先生、自己紹介じゃ一言もそんなこと言わなかったじゃない?
第一、そんな人がどうしてこんな田舎の学校に?
なんで私達の先生に?」
るみちゃんの疑問は私の疑問でもあった。別に言わせているわけではないけれど、彼女が生まれた時からのお付き合いだもの。性格は反対だけど、考えることは何故か私とよく似てる。
矢継ぎ早に問いかけたるみちゃんに、奥原さんは笑いながらも困ったように眉を寄せた。
「それはわからないわ。画壇から急に消えちゃったっていうから。」
二人は登校坂から大通りに出た。
奥原さんは少しうつむくと、一言一言、噛みしめるように呟いた。
「でも、雨守先生に間違いない。
拝見した絵。筆遣いがとても繊細で……深みがあって……素敵だなあ。」
行き交う自動車の音に、それはかき消されてしまいそうだったけど、私にとってはむしろ周りの音が、無くなっているかのようだった。
私は思わず、そんな奥原さんを凝視してしまっていた。
私の知らない雨守先生を、知っている……。
羨ましい……そう感じた。
「……ふうん。」
気のない返事をしたるみちゃんに、奥原さんは耳まで赤くして慌てたように顔を上げた。
「あ! 私、とっても生意気なこと言っちゃったよね?」
「いんや! 美大目指してる久美子が言うことなら、間違いないじゃない。」
両肩を軽く上げながら答えたるみちゃんに、小さくありがとう、と答えて。
奥原さんはまた嬉しそうに微笑んだ。
「るみちゃん、
私達そんな先生に見てもらえるなんて、とっても光栄なことなんだよ?」
「そーなんだー。あ、じゃまた明日ね!」
「うん、また明日!」
ちょうど停留所にさしかかり、バスがやってきた。そこからバスで帰ることになる奥原さんに、るみちゃんは明るく手を振った。
一人残ったるみちゃんは、ふうっと大きくため息をつくと、バス停の長椅子に鞄を放り投げるように置き、腰を下ろした。
どうしたのかしら?
るみちゃん、まだ歩いて帰るのに。
私もるみちゃんの隣に腰を下ろす。
るみちゃんはポケットから『すまーとふぉん』という魔法が使える板を取り出すと、その面を指でなぞった。そしていつものように、他に誰もいないのをいいことに、愚痴をこぼす。
「は~。いくら陽気が良かったとはいえ。
そんな人に、居眠りしてよだれ垂らしてたとこまで見られちゃって。
初対面の日に最悪~。」
バス停の周りの、桜の花が風にゆったりと揺れている。こんなのどかな春ですもの。お昼のあとの時間は、眠くなるわよね。
るみちゃんは雨守先生に起こされた後、すぐに開き直ったみたいに、わざと椅子を跨いだはしたない姿勢で座りなおしたけれど。やっぱり、恥ずかしかったのね。
でも急にるみちゃんは、どこかつまらなさそうに呟いた。
「そう言えば、久美子。雨守先生見る目が違ってたもんなぁ。」
え?
「まさか久美子……雨守先生のこと、好きなんじゃ?」
え?
るみちゃんはいつものように『すまーとふぉん』に落書きしていたそれを、指を払うようにしてさっと消した。
でも、一瞬見えたそれは、確かに雨守先生の横顔だった。
ええっ! それって、まさかるみちゃんも?!
なぜか急に……幽霊になってからそんなものを感じるはずはないのに、きゅっと胸を締めつける傷みが走り、いつまでもそれは残っていた。
なに?
これは……この気持ちは、何なのかしら。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます