第11話

「大丈夫?」


 雪雄は自分の肩に寄りかかっている美優に訊いた。

 慧に誘われた飲み会は楽しかった。大人数で酒を飲んだのは同窓会ぶりだったが、同年代で集まって酒を飲むというのはやっぱり楽しい。


 初めのうちは美優が楽しめるのか心配していたが、慧と一緒にいた大学生のグループも全員気のいい奴らだったし、彼女も初めのうちは見知らぬ相手に尻込みしていたようだったが、酒が入ってくるとそんな彼らとも気兼ねなく話すようになり、雪雄の目からも彼女が楽しめているように思えた。


 そんな楽しい時間も十分ほど前に終了し、慧を含めた何人かはそのまま二次会に向かったようだ。どうやら二次会はカラオケらしい。


 雪雄はその二次会には参加しなかった。参加しなかった理由は、カラオケが嫌いというわけではなく、少し飲み過ぎて一人では帰れそうにない状態だった美優を放っておくわけにもいかなかったからである。慧もそれはわかっていたので無理強いはしてこなかった。


 そんな彼女は今、雪雄の肩に寄りかかって夢見心地の状態だ。あまりにも無防備の状態である。美優の柔らかい髪の毛が触れ、安らぐようなシャンプーの香りが漂ってきて、そのうえノーガード状態だから、健康な若い男子である雪雄としては、変な気になってしまいそうだった。頼ってくれるのはありがたいが、ここまで無防備だと、対応が困ってしまう。


「んん……」

 反応があった。完全に意識がなくなっているわけではないようだ。

「大丈夫? 気持ち悪いなら無理しない方がいいよ」

「うん……大丈夫……」


 美優はそう言って立ち上がろうとするが、足元がふらついてたたらを踏んだ。雪雄は彼女が転ばないようにさっと肩を貸して身体を支えた。


「ごめん……」

 彼女は弱々しく言う。

「いいって。それより歩ける? 無理そうだったらおぶってくけど」

「無理かも……歩いてたら戻しちゃう……」

 確かに美優の顔色は酔いが回りきって蒼白になっていた。

「我慢しない方がいいよ。こういう時は吐いちゃった方が楽になるし……ちょっとそこの自販機で水買ってくる」


 雪雄はそう言って美優をベンチに座らせてから、目の前にあった自販機に向かい、水のペットボトルを二本買って彼女の元に戻り、そのうち一本の蓋を開けてから彼女に手渡した。

「ありがとうー」

 弱々しくそう言って彼女は受け取った水を飲む。

「もう一本買ってあるから遠慮なく飲みなよ。水飲めば幾分か楽になるだろうし」

 雪雄はもう一本のペットボトルを彼女の横に置いた。


 アルコールが回って顔色が蒼白になっている美優であるが、それでも彼女の可愛らしさは相変わらずだと思った。酔いが回って弱っている姿もなんだか愛おしい。そんな子が自分に対して無防備でいるというのは本当に悩ましかった。酔っ払った女の子を連れ込むなんて真似は絶対したくないが、このままだと本当に理性による歯止めができなくなるかもしれない。大丈夫だろうか?


「う……気持ちわるい……」

 と、美優が言い出した。公園のベンチのそばで吐かせるわけにもいかなかったので、雪雄は美優に肩を貸して、近くの茂みにまで連れていかせる。雪雄は木の横で屈みこんで戻している間、彼女の背中をさすってあげた。

「大丈夫? これで口ゆすぎなよ」


 雪雄は美優が先ほどまで飲んでいたペットボトルを差し出した。彼女は言われた通り、その水で口をゆすいだ。


「ごめん……ありがとう。少し楽になった」

 まだ顔色は優れなかったが、吐いたことで幾分かはよくなったように雪雄には思えた。雪雄は美優に肩を貸して茂みからベンチへと戻る。


 再びベンチに座った美優は、

「さっきから迷惑ばっかりかけちゃってごめんね」

 と、とても申し訳なさそうな顔をしてそう言った。

「いいって。気にしないでよ。俺は迷惑だなんて思ってないし。酒飲んでこういうことになるのってよくあることだしさ」

 雪雄は彼女を励ますような気持ちでそう言った。


「私、全然お酒強くないのに飲み過ぎちゃうことが多くて……それで、まわりの人に迷惑かけちゃって……」

 彼女は水を飲んでから、今にも泣き出しそうな顔をして言う。

「だから迷惑だなんて思ってないって。誰だって飲み過ぎちゃうことくらいあるよ。そんなことをいちいち気にしてたら疲れちゃうぜ。それに酒の失敗は若いうちにしとけっていうのをよく聞くし」

「夏目くんは本当に優しいね。私みたいに世渡りが下手じゃなくて……」

「そんなこと――ないよ」


 雪雄は世渡りなど上手ではない。もしもそうならば嫌がらせを受けて我慢し切れなくなってトラブルを起こし、クビになったりしていない。


「俺だって失敗ばっかりだよ。全然上手になんて生きてない。それに衣笠はまだ学生なんだし、そういうことができなくたっていいんだよ。世渡りだとか生き方だとかは、社会に出てから覚えればいいことじゃない」


 雪雄は自分にも言い聞かすように言った。

 世渡り。

 生き方。

 今の世の中はこんなに便利なものに溢れているというのに、どうしてこうまで生きにくいのだろう。雪雄は一年ちょっと働いてそれを実感した。雪雄たちの世代は、ゆとりだなんだと文句を言われ、上の世代に不当に搾取され酷使され、不要になればいち早く切られてしまう。


 若者をおんぼろ航空機に乗せて米軍機に特攻させていた時代からなにも変わっちゃいない。いつだって上の尻を拭かなければならなくなるのは若い世代だ。いつになったらこの国は、下の世代に責任を押しつけるのをやめるのだろう。

 何十年かして自分たちも歳を取ったら同じことをしてしまうのか――そう思うと少し嫌な気分になった。


「それはそうとして、歩ける? 衣笠明日も学校だろ? そろそろ帰った方がいいんじゃないか? 家まで送ってくよ」

 時刻はそろそろ十一時になる。無職の雪雄はいくら遅くなろうが構わないが、美優はそうではない。

「うん。そうする」


 美優はそう言って立ち上がった。ちゃんと歩けるのか心配だったが、彼女の足もとはしっかりしていた。

 そのまま二人並んで歩いて公園を出て住宅街に入る。しばらく無言の時間が続く。けれど、その無言の時間には不思議と気まずさや居心地の悪さはなかった。

「ねえ、衣笠」

 先に沈黙を破ったのは雪雄の方だった。

「なあに?」


 美優の顔を見て、雪雄の心臓はどきどきと早鐘を打つ。深夜の会社に侵入した時とはまた違った緊張。言え。勇気を出せ。せっかく二人でいるんだから今がチャンスだ。


「えっと、その――衣笠が迷惑じゃなかったら、二人でどこかに遊びに行ったりできないかな?」

 雪雄は緊張を言葉にできる限り出さないように言った。

 彼女はその言葉を聞いて、

「え? ええ?」

 美優は困惑した様子を見せる。


「嫌ならいいんだけど」

「嫌じゃない。嫌じゃないけど――私、あんまり一緒にいて楽しい子じゃないし……」

「そんなことないよ。今日は衣笠が一緒で楽しかった」

「そう言ってくれるのはお世辞でも嬉しいけど――私、楽しいところなんて全然知らないよ。私が知ってるのって神保町の古本屋くらい」

「それでもいいよ。そういえば俺、神保町って行ったことないから案内してもらいたいし。そういうのも駄目?」

「う、ううん。そんなことない。私なんかでよければ」

「よかった。近いうち神保町を案内してよ。そっちが暇な時でいいからさ」


 雪雄はほっと胸をなで下ろした。当たって砕けろな思いで言ったのだが、どうやら上手くいったらしい。彼女をデートに誘える――そう思うと嬉しくて走り回りたくなった。

「あ、このへんまででいいよ。もうすぐそこだし」

 彼女が立ち止まってそう言った。

 ここまででいいと言っているのに無理に家までついていくのもがっついているような気がした。


「うん。わかった。気をつけてね」

「じゃあね。夏目くん。その、えっと、また今度」


 美優はそう言って可愛らしい仕草で一礼して、雪雄の家がある方向とは別の道を進んでいく。彼女が先の曲がり角を曲がって見えなくなったところで雪雄は自分の家に向かって歩き出した。


 美優とのデートの約束をこぎつけることができた。

 一歩前進――いや、三歩くらい進んだかもしれない。


 あの日『超能力開発アプリ』を発見してから、雪雄の運は上向きである。

 この調子だと、雪雄がやった復讐も理想通りの形で進んでくれるかもしれない。会社で行ったことは、雪雄が望んでいた通りに方向に進んだ。だから、山岡の自宅でやったことも望み通りの方向に進んでくれるはずだ。


 雪雄の運は上を向いている。そういう時はなにもかも上手くいく――そういうものだ。

 あの結果がどうなってくれるのかが楽しみだ――雪雄は夜の街を歩きながらそう思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る