禍石~まがいし~
敷金
第1話 禍石 -金-
男は、偶然それを手に入れた。
「それ」は、直径10センチほどの金色の球体。
材質はわからないが、ガラスのように硬質で、内側全体が金色に輝いている。
だがその中心部分だけは赤くなっていて、どの角度からも必ず見える。
まるで、何かの惑星の地殻模型のようですらある。
特に何もすることがなく、適当にブラついていた男のつま先に、こつんとぶつかったのだ。
「なんだろコレ? まあ綺麗だから貰っとくか」
男は空に翳しながら眺めていたそれを、上着のポケットに入れた。
男は、たまたま通りすがったスーパーの前で、足を止める。
今は正午――そろそろ腹が減る頃だ。
だが男の財布の中には、食べ物を買うだけの金がない。
(しゃあねぇ、いつも通りに行くか……)
男は、吸い込まれるように、スーパーの入り口に入り込んだ。
買い物客がごった返す店内をブラつき、適当に物色する。
と同時に、他の客の目線や、店員の配置もチェックする。
ややダボついた上着のファスナーを開くと、男は手近にあった小型のカップ麺を手に取り……懐に忍ばせた。
(――ふぅ!)
幸いにも、他の客や店員の目に止まることはなかった。
男は少しだけファスナーを上げると、次の狙いへと向かう。
男は、万引き常習者だった。
わざと体格より一回り大きな上着をはおり、しかも内側には、手製の大型ポケットを増設して臨む程の計画犯。
このスーパーは、過去何度も万引きに成功している、彼にとっての穴場なのだ。
(勘弁してくれよ、これも俺に合った仕事がない世の中が悪いんだ)
缶ジュース、お菓子を二種類、おにぎりを懐に入れ、男は悠々とスーパーから出た。
だが、その直後。
「ちょっとお客さん! お待ちください」
背後から、男の店員らしき者に声をかけられた。
無意識に、足が止まる。
「失礼ですが、お会計をおすませになられてからのご退出を、お願いします」
(やばい!)
男は、上着の前を両腕で抱えながら、全力でダッシュした。
「あ、コラ! 待て!! 万引きぃ~~!!」
店員も即反応して、すぐに追いかけてくる。
どうやら、気付かれないところでマークしていたようだ。
男は必死になって逃げ、大通りまで走った。
交差点の信号が赤から青になり、すかさず横断歩道に入る。
だが店員も、男より早いスピードで追いかけて来ている。
このままでは、横断し終えた辺りで、掴まってしまいそうだった。
(ヤベェ、やべぇ! くっそぉ、あの店員が車に轢かれちまえばいいのに!)
男がそう考えた次の瞬間――
ド ン ッ !
何かが、激突する音が聞こえた。
そして、車の急ブレーキの音、絶叫。
悲鳴も、いくつか耳に届く。
交差点を渡り切って振り返ると、横断歩道の真ん中で、一台のセダンが停止している。
その数メートル先では、さっきの店員が、うつ伏せに倒れていた。
路面に血のようなものが広がっているのが、この位置からでも判る。
(おいおい……願いが叶っちまったってか?!)
背筋がぞわっとしたが、男は、とにかく足早にその場を去ることにした。
アパートに戻り、戦利品を貪った男は、ふと上着の中に残っている異物に気付いた。
それは、スーパーに向かう前に拾った、金色の石。
こころなしか、さっき見た時よりも、中心の赤い部分が大きくなっているように見えた。
「これを拾ったおかげで、運良く逃げられたな。ラッキー!」
自分のせいで一人の人間が事故に遭ったという事について、男は一切反省することはなかった。
腹が満たされ、畳の上でごろ寝しながら、男はあの不思議な石を見つめていた。
(なんか縁起が良さそうだから、これお守りのつもりで持ってようかな?)
いつしかうたた寝してしまった男は、数時間後、空腹感を覚えて目覚める。
いつの間にか、夕食時になっていた。
(やっべ、そろそろ夕飯なんとかしねぇと)
男は、先ほどの上着を着込み、ボロボロの靴に足を突っ込んだ。
夕食の調達は、やはり万引きである。
男は、先ほどのスーパーに再度足を運んでいた。
男の脳内には、万引き犯がバレた場所にすぐまた来るなんて思わねぇだろ! という、無根拠な確信があった。
今回も、カップ麺とおにぎり、そして缶コーヒーと菓子を懐に入れる。
出口に向かおうとした時、レジの近くに居た店員同士の話し声が聞こえて来た。
「山口さん――即死だって」
「え! 本当に?!」
「いい人だったのに……」
「そんな、あんまりだよ!」
(山口って、もしかしてさっきの奴? へぇ、死んだんだ)
男は、特に気に留めることもなく、そのままスーパーを出た。
今度は、全くバレることはなかったようだ。
近くの公園に行き、ベンチで戦利品をがっつく。
日の入りが早まったのか、まだ六時過ぎなのに空はすっかり暗くなっている。
男は、明日からの生活資金をどう調達しようかと、彼なりに悩んでいた。
実際、もはや彼の生活はギリギリどころか限界を超えており、このままではアパートを追い出されて、路頭に迷いかねない状況にある。
男は、例の石を取り出すと、それをぐっと握り締めた。
(あ~、なんかこう、一気に大金が入って来ねぇもんかなぁ~)
心の中でそう呟きながら、男は“お守り”を見つめる。
すると――石が、ぼんやりと輝きを放ち始めた。
(え……?!)
それは、気のせいではない。
石の内部で、何かが輝いたのだ。
周囲には殆ど照明がないので、光の加減でそう見えたわけではない。
だが石の光は、すぐに消えてしまった。
(なんだ……今の?)
男は少し気味悪さを感じたが、構わずアパートに戻ることにした。
それから数日後、男のアパートに見知らぬサラリーマン風の男性がやって来た。
部屋の中で何をするでなく寝そべっていた男は、突然の来訪に驚かされる。
サラリーマン風の男性は、○○生命保険株式会社の社員を名乗り、「小林××」と書かれた名刺を渡した。
「■■様はお電話をお持ちでないようでしたので、
大変失礼かと存じましたが、直接ご訪問させて頂きました。」
「はぁ、それで何ッスか?」
小林の前置きで、飛び込み営業でない事はわかったが、男には、生命保険など全く心当たりがなかった。
「実は、■■様のお父様が、先日他界なされまして」
「――へぇ、そう……なんだ」
「細かい経緯は後日改めてご報告いたしますが、とにかく、
お父様にかけられていた生命保険が、全額■■様宛てに支払われる
運びとなっておりまして」
「えっ?! ほ、本当ですか!?」
「その通りです。つきましては、お受け取りに関する諸手続きについて、
ご説明を――」
その後、小林はよくわからない説明を延々と語り、アパートを後にした。
男に支払われる金額は、なんと数千万円にも及んでいた。
(マジかよ! あんなに仲が悪かった親父なのに!
ウヒョー!! ラッキー!
クソ親父よ、あんた最期に本当に良い事してくれたぜ!! 地獄で幸せにな!)
男は、生命保険について何も知識を持っていなかったが、数日後、長年使っていなかった銀行口座に大金が振り込まれたのを確認し、心を躍らせた。
(やったぜ! これなら当面遊んで暮らせるぜ!
さて、まずは何をしようかな~? 酒でも飲むか? いやそれとも女?
いやいやいや、ここは一つ、儲けをもっと増やす方向に――)
男が選んだのは「ギャンブル」だった。
ここしばらく、とんでもないくらいツイてるものだから、きっと上手く行く筈だという確信があった。
男は、欲望の赴くまま、湯水の如く金を使った。
競馬、麻雀、競艇、競輪、パチンコ、そして慣れないFXにまで手を出した。
しかし――幸運の女神が男に微笑むことは、一度たりともなかった。
数千万円もの遺産は、信じられないほど短期間で枯渇し、それどころか莫大な借金まで作ってしまった。
(ど、どうしよう~?! つか、なんでいきなりこんな事になるんだよぉ~?!)
男は、以前よりも酷い状況に追い込まれていた。
アパートには取り立て人が押し寄せ、もはやまともに住んでいられない状況になった。
マンガ喫茶やファミレス、24時間営業のファストフード店を点々とする生活も限界に達し、もはや絶望しかない。
そんな時、男は、上着のポケットに入っていた「あの石」を思い出した。
(そういえば、やたら運が良かったのって、この石を拾ってからだったな。
もしかして――いやでも、それはいくらなんでも……だけど……)
不思議な石は、金色だった部分がかなり少なくなり、代わりに赤い部分が大半を占めるほどに膨張していた。
いつの間にそんな風になったのかは、わからない。
否、それどころか、存在すら忘れていた筈の石が、何故ポケットに入っていたのかも謎だった。
しかし、男にとって、そんな事はもうどうでも良かった。
(この石は、きっと「願いを叶えてくれる石」なんだ、そうに違いねぇ!!)
男は、もはやこの不思議な石に、無根拠に頼るしかない状態まで堕ちていた。
夜の公園のベンチに座りながら、石を空に掲げる。
「おい、俺の願い事を聞いてくれ!
もう一生、金に困らないようにしてくれよ! 頼む!!」
男は、必死になって石に願い事を唱える。
すると――石に、変化が訪れた。
金色だった部分は跡形もなく消滅し、赤い部分が、怪しげな光を放ちながら更に膨張していく。
やがて、金色だった石は「赤い石」に変化し、その中心部には、新たに黒い部分が発生した。
だがそれだけで、男に劇的な変化が訪れる様子は、全くなかった。
「……くそ! こんなのタダの変な玩具だろ! 何やってんだ俺?!」
男は急に苛立ちを覚え、石を遠くに放り投げてしまった。
すきっ腹を抱えたまま、男は公園を出て、当て所なく街を彷徨い歩いた。
今夜の寝床を何処にするか、夕飯をどうするか……
そんなことを考えているうちに、男は、例のスーパーの近くまで辿り着いていた。
(おぅ、そういやあのスーパーもご無沙汰だな。
よし、じゃあ久々にあそこで……)
スーパーへ向かう途中の、大通りの交差点で信号待ちをしていた男は、路上にあるものが落ちていることに気付いた。
――それは、一万円札。
(うぉ?! ラッキイィィィ!!)
男は、信号が青になったと同時に走り出し、路上に落ちている万札に手を伸ばした。
周囲から、沢山の人達の声と、何か大きな音が聞こえて来たが、全く気にしない。
手の中に、少し硬い紙片の感触を実感する。
(よっしゃあ! これでお――)
ド ン ッ !
次の瞬間、男は宙を舞った。
激しい衝撃の後、ザリザリしたものが頬に当たり、生温かい何かが、ジワジワと広がっていく。
身体は痺れ、指一本すら全く動かせない。
(あれ? 俺――どうなったん……?)
男が最期に感じたのは、手の中に握られた硬い紙片の感触だった。
「こ、この人、赤信号なのに、突然走り出したんです!」
「そうそう、それでいきなり路上でうずくまって! そこに、トラックが来てさ」
「自殺? 自殺なの?! ねぇ、あれってやっぱ自殺?!」
封鎖された事故現場では、一部始終を見ていた人々が、警察官に向かって懸命に状況を説明している。
そこは数ヶ月前、スーパーの社員の山口が事故死した所とほぼ同じだった。
(やだぁ……何ココ? 地縛霊でもいるの? 怖~!!)
女は、肩をブルブル震わせながら、警官の誘導に従って急いで交差点を渡った。
(うわぁ、死体見ちゃった! なんかいきなりヤな事起きてるなぁ~)
女は、ポケットの中に入っている硬い感触を指で確かめながら、心の中で呟く。
(もしかしてこれ、不幸を呼ぶ石……だったりしないよね?)
女は、先ほど公園で拾った、不思議な石を取り出し、街灯に向けて掲げてみる。
それは真っ赤な球体で、中心部に黒い輝きが覗く、とても美しい石だった。
禍石 赤 へ続く
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