そんな男ならディーププールに行かせたら?

ちびまるフォイ

どこまでも清潔なプールです

底が見えない水面を前にごくりと生唾を飲み込んだ。


「本当に……この奥にサメとかいないでしょうね?

 やばい深海魚とかもいないんですよね?」


「そこは安心してください。

 ここは海ではなく人工プールですから。

 それに、定期的に水に薬品を加えてすべての生物を死滅させ

 完全に跡形もなくなるようにしているんですよ」


「はぁ……」


潜れば潜っただけお金がもらえる。

それが本当ならこれ以上に楽な稼ぎ方もないだろう。


「で、やりますか?」

「もちろんです」


専用のスーツに着替え、プールに入った。


「酸素ボンベは?」


「不要ですよ。この水は特別性です。

 ちょっと潜ってみてください。息できますから」


顔をつけてみると、自然に水中で息ができた。


「好きな水深まで潜ってください。

 水深が深いほど、お支払いできる金額が大きくなります」


「少なくとも、ここの挑戦料は取り戻さなくちゃですね。

 ていうか、底にタッチして戻ってきますよ」


「お待ちしてます」




―― 水深0m ――



水中で目を開けると外からの光がキラキラ光っている。


生物がいない水の中も洗練されて本当に美しい。


それに目も痛くないし、息もくるしくない。


こんなに快適な水中散歩が楽しめるなんて、最高だ。



―― 水深100m ――



外から入る光がだんだんと届かなくなり薄暗くなる。


定期的にプール内の生物を跡形もなく消しているのは本当らしく


ここまで潜っていても魚もサンゴもなにもない。


大きな深海魚が出てきてパクっとされる心配はない。




―― 水深200m ――



もうほとんど周りは見えなくなってきた。


意外と暇だ。


ただぼーっと深海へ落ちていくだけだから。


ゲーム機でも持ってくればよかったかもしれない。


それに気を紛らわしていないと怖くなる。




―― 水深1000m ――



なにも見えない。


水温は温水で一定に保たれているはずなのに寒く感じる。


なんだかもう戻りたくなってきた。


最初に底にタッチしてくるなんて大口叩いたから戻りにくい。


怖いという感情がずっと頭を支配している。




―― 水深2000m ――



水中で歌を歌うことを思いつく。


水中だから何も聞こえないけどぶくぶくとした泡が出てくる。


こうでもしていないと意識が水に溶けてしまいそう。


退屈と暗闇で押しつぶされそうな不安感。




―― 水深5000m ――


少し寝てみようか。


目をつむってただ自然に体が沈むのにまかせる。


歌を歌ったり数字を数えたり昔を思い出したりしても


不安感はぬぐえないので、眠って時間を過ごせば底に近づく。


はやく明るい場所に戻りたい。








―― 水深9999m ――


目を開ける


目を閉じる


今、自分が目を開けているのかわからない


これは深海を見ているのか


それともまだ眠っているのか


そもそも眠っていたのか


もうわからない、なにもわからない




―― 水深*****m ――


水深メーターのカウンターが増えなくなった


桁数がたりない


今は浮上しているのか、それとも落ちているのか


横に流されているような気もする


ここはいったいどこだ




―― 水深*****m ――



体の動かし方がわからない


息のしかたもわからなくなってしまった


そもそも自分は人間のからだを保てているのか


水と同化しているにちがいない


体中の力が水に溶けだしているようだ




―― 水深*****m ――


どこだ


いまはなにしてるんだ


ういている? それともおちている?


ああ、ああ、もう考えたくない


考えれば辛くて怖いと認識してしまう


はやくねよう


ねてしまおう


ねればいつか終わっているはずだ




―― 水深*****m ――


あああああああ


ああああ


あああああああ


ああああああああああ






あああ





―― 水深*****m ――



・・

・・・・



・・


―― 水深*****m ――






―― 水深*****m ――





―― 水深*****m ――








―― 水深*****m ――










―― 水深*****m ――



どんっ










ぶつかった


底だ! 底についた! 底にタッチしたぞ!!


完全に手放していた意識をたぐりよせる


体の動かし方なんてもうわからない


どちらが上を向いているのかわからない


ただ頭の向いている方向にめちゃくちゃに上がっていった




「ぶはぁっ!!!」


水面から顔を出すと目もくらむ光が差し込んだ。


「おかえりなさい。戻ってこられましたね」


「ち、力が……力が入らない……。それに目も開けられない。

 ここは現実なんだよな? 深海で見ている夢じゃないよな?」


「重力は感じるでしょう? まぎれもない地上で現実ですよ」


「ああ、よかった。ほんとうに戻ってこれたんだ」


「では、お約束の報酬です」


男はアタッシュケースに入ったお金を持ってきた。

お金を見た瞬間に、無意識に声が出てしまった。


「ちょっと待って! これ足りないじゃないか!!

 底までいったらちゃんと約束の全額を支給してくれよ!」


「底?」


「最後まで潜って、ぶつかって意識を取り戻したんだ!

 あれだけの苦労をさせておいて、満額支給しないなんてずるいぞ!!」


「いえ、あなたは底に行っていませんよ?

 こちらの水深図を見てください」


男に案内された水深図には筒状のプールの断面図が出ていた。

断面図にはいくつもの光の点がある。


「あなたの着ていたウェットスーツがあるでしょう?

 あそこに発信機があり、どこまで潜っているのか

 この水深図でモニターできるんですよ」


「それじゃ、いったい何にぶつかったんだ……。

 あのプールには何もいないんですよね?」


「ええ、もちろん。

 定期的にプールの内容物はちゃんと薬品で消化してます。

 完全に無菌にして安全なんですよ」


深海に潜りすぎた末に噛んいた幻覚だろうか。

戻りたいと思う意思がそうさせたのかもしれない。




「ところで、この水深図にあるほかのたくさんの光は?」



「ああ、これね。ほかのダイバーですよ。

 

 たいていの人は潜ったきり戻れなくなりますからね。

 あなたは珍しいパターンですよ。


 あ、そろそろ滅菌の時間です」



プールに大量の薬品が流し込まれると、

映っているすべての光が一瞬で消えた。

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