苦手意識と、のんの過去

 昌子姉さんが姿を消すと、嘉穂さんは何かに解放されたように胸をなで下ろす。


 僕の姉さんを嫌ってはいないようだけど、苦手意識があるらしい。


「嘉穂たん、まだ部長は怖いかい?」

「正直に言いますと」


 これは重傷だな。


「困ったね、嘉穂たん。もし福原をモノにしたいなら、まずは昌子姉さんを攻略しないと」

「って、おいおいおいおい、なんでそうなるんだよ!?」


「なんなら、弱点教えちゃうよー」と、やなせ姉がノリノリで悪い顔になる。


「やなせ姉までノリノリで助け船を出さない!」


 どうしてウチの部活は変な気を回す人たちが多いんだ?


「僕と嘉穂さんはそういう仲じゃないって言うのに」

「何がだい? ウチは昌子部長に勝たないとって言っただけなんだけど?」


 危うく、意味を読み違えるところだった。


 だが、湊を見ていると内心ほくそ笑んでいるのが分かる。やはりからかっているな。

 

 確かに、昌子姉さんの出題形式は、今の僕が引き継いでいる。いやらしい癖も。


 結構な付き合いがあるとはいえ、のんは姉さんの出題傾向を未だに攻略し切れていない。


 ていうか、なんで嘉穂さんはさっきからマジ悩みしてんの?

 さっきから神妙な面持ちなのですが。


「あのな嘉穂、昌子姉はいい人なんだぞ」

「そうなんですか?」

「昌子姉はな、オイラを助けてくれたのだ」

「助けた、とは?」




「実はオイラ、中学の頃、不登校になりかけていたんだ」




 信じられないといった風に、嘉穂さんは口をポカンと開けた。


「しょーたの家でも話したよな、昔のオイラがどうだったか」


 恥ずかしそうに、のんが言う。


「本当ですか? のんさんって、こんなに親しみやすいのに」

 

「嘉穂さん、のんが言っていることは、本当だよ」

 

 のんが置かれていた状況は、僕が一番よく知っている。幼馴染みだから。


「いじめられてた、とかじゃないんだがな。やりがいを見失っていたんだ。なんでもそつなくこなすから」


 中学時代、のんは目的を見失っていた。

 勉強もスポーツもそれなりにできる。

 特に運動は、でき過ぎて手を抜いていた程だ。

 何をやらせても、どこか冷めていた。


「とっつきにくい。それが、のんと初めて会ったときに感じた気持ちだったよ。苦手だなーって思ってた」


 それは、偽りのない事実だ。


「どうして、そんな事になったんですか?」

「中学受験に失敗したんだ」

 

 のんは陸上競技の特待生として、とある有名中学に入るはずだった。

 けれど、試験の種目が行われる日に風邪を引き、特待生の道を断たれたのである。

 その後、僕らの向かいに引っ越してきて、同じ中学に入ったのだ。

 が、明らかにやる気をなくしていた。

 目に映る全てに興味を示さない。

 友達とも打ち解けられず、のんは孤立していった。


「声をかけづらくてさ。僕達もどう接していいか分からなかった」


 のんに声をかけるまでには、数週間を要したと思う。

 

 不憫に思ってか、昌子姉さんは、のんをクイズに誘った。


「その時のクイズって、やっぱり早押しですか?」

「ううん。○×クイズ」


 僕は首を振る。


 運動場に設置した台に、○と×が書かれた厚紙を貼った洗面器を設置。解答してもらうタイプだ。

 片方が泥、もう片方が枕である。

 間違えたら泥入り洗面器へ顔がドボン、という単純なルールだ。

 勝負大好きなのんは、正解するまでめげなかった。顔じゅう泥まみれになる度、クイズに打ち込んだ。間違える度にムキになって。


「楽しかった!」

「その後、めっちゃ先生に怒られたけどな」


 実際、のんを含め、僕たちは停学処分を喰らった。

 だけど、それだけの価値はあったと、今でも思う。


 こういうわかりやすくて発散できる遊びを、のんが求めている。

 そう、昌子姉さんは瞬時に閃いたのだろう。


「昌子姉さんは、のんの深層心理を引き出したんだよ」

「人間観察力が抜群なのだね」


 姉さんの過去を知り、湊は感心する。


 僕は、嘉穂さんの様子をうかがう。まだ怖がっているかな?


 昌子姉さんのエピソードを、嘉穂さんは感心したような様子で聞いている。

 怖い印象の人でも、ちゃんと事情を知れば、多少はとっくきやすくなると思うのだけれど。


「誤解のないようにいいますが、嫌いではないんです。謝罪の仕方も丁寧でしたし」

「なのに、嘉穂たんは未だ、昌子先輩が苦手なんだよね?」

「はい……」


 これはもう、トラウマレベルだな。姉さんも罪な人だ。

 

「じゃあ嘉穂たん、勝つしかないよ」

 

 湊が、嘉穂さんを鼓舞する。

 トラウマなら、打ち勝つしかない。

 

「でもわたし、勝てるでしょうか? 相手は部長さんですよね?」

「大丈夫。勝てるよ」


 僕は、嘉穂さんをそう励ました。


「それはそうと、のんさん」

「ん?」


 のんに、嘉穂さんが訪ねる。若干怖い顔をして。


「晶太くんの家に行ったんですって?」


 ズイズイ、と、嘉穂さんがのんに詰め寄る。


「どうなんですか?」

「べ、別にどうもしないぞっ。家がお向かいなだけなんだからな」


 のんも、ややおっかなそうな顔をしている。


「でもでも、頻繁に出入りしているんですよねっ」

「それだったら、わたしもよく晶ちゃんの家に行くわよ」


 冷や汗を垂らすのんを見かねたのか、あやせ姉が加勢した。


「けど、来住先輩はお姉さんに用事があるから、ですよねっ」

「ううん、晶ちゃんを可愛がる目的もあるわよー」


 そうなのだ。やなせ姉はなぜか、たびたびウチに来ては僕の頭を撫でに来る。


「そもそも、先輩には婚約者がいるじゃないですか!」

「甘い物は別腹」

「先輩は不潔ですーっ!」


 とうとう嘉穂さんがムキになってきたので、今回はお開きとなった。

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