3:狐と死神
3-1:海辺の小屋にて捕らえつけ
さらさらと流れる心地よい小雨の音に、ヴェニタスはゆっくりと目を覚ました。ベッドに横たわりながら、視界もおぼろげに、ぼんやりと正面をみる。
「う……ここは……」
どうやら室内にいるようで、部屋の窓から月光が差し込んで、幾らかの明るさを生じさせていた。
まどろむ彼の意識は、埃っぽい部屋の中に向かう。雑多に置かれた品々、古ぼけた扉。それらは相当長い間、使われていないようだった。雨の音だけが、よく響く。
「あばら家……か?」
彼は反対側の情報も集めるため、寝返りを打つ。
すると回る途中で何やら柔らかいものが顔に触れて、彼の顔をふわりと反発した。
「な、ん? ……胸!?」
やや後方に頭を下げると、彼にはそれが何かだということが分かった。しかし、それが分かったはいいが、いま自分の目の前にやおら膨らんだ双丘があるという事実を認めることに、彼は追加で数秒の時間を要した。
「あ、目を覚ましました?」
「この声は……」
その声にやや目線を上向けると、パロンの屈託ない笑顔があった。そんな彼女は今、真っ黒なドレスを脱ぎ捨てて、一糸まとわぬ姿となっている。
「良かったですわ! ほんとうに!」
彼女は裸体を気にすることもなく、もう逃がさないとばかりに、ぎゅっと抱きしめた。きめ細やかな肌で包まれ、さらりと、しかし温い餅のように絡みつく膨らみが、彼の胸に当たる。
「ちょ、ちょっと待て! これは、どういう状況なんだ!?」
ヴェニタスも自身の体からスーツを引き剥がされ、同様に全裸の状態であった。彼女に胸元へ顔を埋めさせられたまま、なんとか声を絞り出す。
「俺はどうして生きている? ここは地獄かどこかか!?」
「むう……地獄だなんて、ひどいですわ。このわたくしが寄り添っているのですから、天国と呼んで欲しいですの。嵐のなか休める空き家を頑張って見つけてから、とっっっても心を込めて一生懸命あなたを介抱していたのに」
そうやって不機嫌にヴェニタスの頭を両手で挟みこみ、やや膨らんだ胸からぐいと引き離すと、真正面から彼と銀色の目を合わせた。金色の髪に寝ぐせをつけた彼女は、口元をへの字に曲げている。
「そ……そうか」
ヴェニタスの方といえば、先ほどから彼女にされるがままであった。というのも、彼がいくら全身に力を入れて起き上がろうとしても、首より下はどこかで神経が切れてしまっているかのように、ろくに反応しなかったからだ。
体調の異変を不安に思いながらも、パロンへと感謝を告げる。
「ということは、あれからうまく不死鳥から逃げ切って、隠れる場所を見つけて、その上いままで看病してくれていたわけか……。かなり面倒をかけたな。ありがとう」
「べ、別に当然のことですわ! ――ふ、夫婦なんですから」
「ん?」
そんな彼の怪訝な声に対してパロンは語調強く返したものの、彼女の言葉は語尾に向かうにつれて声量小さく消えいった。みるみるうちに、彼女の顔は赤く染まる。
「……夫婦?」
微かながらも聞き取れた言葉に、ヴェニタスは訝しげに聞き返す。
彼女はびくりと震えた。
「い、いえ! なんでもないですわ! 忘れてくださいまし!」
「うぐっ! お、お前……」
大慌てで否定すると、彼の頭に添えた手に力を籠めて、首を“ぐりん”とあらぬ方向に回してしまう。
「あっ! ご、ごめんなさい!」
パッと両手を離し、おろおろとする。目を潤ませながら、彼がどうにもなっていないか、心配そうに顔を覗き込んでいる。
「っ……それはもういい。それよりもな、起きたあと首から下が全くといっていいほど動かないんだが、いま俺の体はどうなっているんだ?」
「あー……それは、えーとですね……」
彼はいまの不慮の一撃で傷められた首元に、反射的に手を伸ばそうとしたが、一向に腕が動かなかった。目覚めたときから薄々気が付いていたものの、自身の体のこと、あまり良い兆候ではない。
気まずそうに目を逸らすパロンに、彼は真剣に告げる。
「別に配慮はしなくていい、もともと死ぬ気で戦った結果だ。覚悟はしている。当たり前だが、責めたりもしない。単純に、俺の体の下は今どうなっているか、事実を知りたいだけだ」
「そ……それは……、あの、あまり動揺せずに聞いてくださる?」
「分かっている。もったいぶらずに早く教えてくれ」
自分のことなのに平然としているヴェニタスに対し、逆にパロンの方がごくりと息を呑む。そして二度ほど、落ち着きを保つように深呼吸をした。
「な、なら……言いますの。えっと……その……あ、貴方の肉体は……頭部を残してそのほとんどが死滅していて、もう死体同然ですの」
「……死体? 今の俺が?」
「え、ええ」
ヴェニタスは怪訝に目を瞬かせる。しかし、自分は今こうして生きているじゃないか、と言わんばかりの表情である。その事実が中々信じらず、むしろ心は話を聞く前よりも落ち着いていた。
彼女は続ける。
「いま貴方がこうやって生きてわたくしと会話できているのは、わたくしが変化術を使って、貴方の体機能のほとんどを肩代わりしているからですわ。わたくしの体の一部を、先の戦いで失われた貴方の内臓組織として差し替えていますの」
言いながら、パロンはヴェニタスの焼けた体を申し訳なさそうに爪先でなぞる。その動きを目の端で捉えながら、ヴェニタスは臆面もなく彼女に問う。
「……つまり、いま俺は新入りの術で生かされているということか?」
「え、ええ。まあそういうことになりますわ」
パロンは何故か赤くなった自分の頬を隠すように両掌を当て、三角耳を倒れさせながら、恥ずかし気に目を泳がせて答える。彼はそんな動作に気がつく様子もなく、感慨深そうに目を閉じた。
「なるほど、どおりで俺はまだ生きているわけか。変化の術ってやつは随分と便利な能力だな」
「ええ。でも、まだ安心はしないでくださいね。貴方が無事でいられるのは、あくまでわたくしが術を発動し続けている間だけですわ」
苦しそうな語調で彼女は話し続ける。しかし声音に反してその表情は何故か、ここ最近で一番恍惚としているように思われた。頬は緩み、目は怪しく爛々と輝いている。
「つまり貴方はもう……わたくしに頼らないと生きていけない体なんですの」
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