2-18:結婚式
しばらく後、教会に備えられた衣装室で、二人の姿は様変わりしていた。
「皇女様には失礼ですけれど、結構キツイですわ……息苦しい」
純黒のドレスを着こんだパロンが、息苦しそうにコルセットの位置を調整している。
幾重にも花びらを重ねたかのようなボリュームあるスカートは、裾が床まで長く伸びており、ところどころに金糸で細やかな刺繍が施されていることもあって、それはまるで床で星空が波打っているようだった。
「そうだな、これを着たまま戦うことにならなければいいが……動きにくくて仕方ない」
ヴェニタスの方も、タキシードの銀色の襟元が曲がっていないか、確認している。
彼の着ている白を基調にしたその形状は、肩から腰までをキッチリと絞られており、うっすらと光沢を放っていた。
上等品と思われるそれは、サイズが合っていても、筋肉質な彼にはきつめのようだった。動きづらさに若干不機嫌な顔をしながら、パロンに声をかける。
「準備できたか? 行くぞ」
「ちょ、ちょっとお待ちになって」
ヴェニタスが部屋から出ようとしたところ、パロンは呼び止めた。
そして、黙り込む。
黒いドレスを着た彼女は、なにやら次の言葉を言いにくそうに、人差し指で金髪を巻いていじっている。緊張しているのか、笑顔がぎこちない。
「どうした。さっさと向かうぞ…………何をしている?」
「いえ、その、だってまだ、心の準備が……」
「なんのことだ?」
「き、キスのことですわ!」
パロンは俯き、彼女にしては珍しく、しゅんとしている。そんな態度にヴェニタスは怪訝な顔をする。
「……いまさら何を言っているんだ? 任務の前に整理をつけていたんじゃないのか」
「それは……そうなのですけれど……」
恥を誤魔化すようにパロンは長々と自分の髪をいじり続ける。
「そもそも……変化を使えるお前なら、そんなのどうとでもできるだろ。気になるなら唇の表面になにか覆いのようなものでも作っておいたらどうだ?」
「あっ、それ、いいですわね! 変化」
彼女はヴェニタスの助言を聞いて、パッと表情を明るくした。そして、人差し指を自身の口元にそっと当てて、微笑んで呟いた。
すると、桜色の唇がみるみる光沢感を増していく。それは留まることなく幾重層にもコーティングされていき、もはやその形は、酷く厚ぼったい、たらこ唇になっていた。
唇は透明な覆いが付けられすぎて、さきほどまでとは、明らかにサイズ感がおかしい。
「ふふふ、これで大丈夫ですわ!」
「それは……いや、まあいいか。まさか唇の腫れ具合で司祭が式を止めることはないと思うが」
そんな、ため息交じりのヴェニタスの話を聞いているのかいないのか、彼女は”これで安心”とばかりに胸へ手を当てると、金髪を髪飾りでまとめ上げ、最後に薄い黒のヴェールをかぶって顔を隠した。
そして高らかに声を出す。
「さあ、行きますわよ!」
心配事が無くなって元気になったのか、その勢いで、意気揚々と扉へと突き進んでいく。そして、
「あっ!?」
慣れない服装にパロンは裾を踏んでしまい、ゆらりと前のめりに傾いた。
あわや顔面を打ち付けてしまうかというところ、
「っと! おい、気をつけろ」
近くに立っていたヴェニタスが彼女を支えた。無事を確認するように、彼女の様子を見る。
見れば彼の胸に倒れ込んだ彼女の背中は大きく開いており、そんな露出の多い背中のすぐ下、腰あたりには、頭大はあるかと思われるリボンが伺えた。
「あ……あ」
パロンは、そうされた事実に思考が追いつくや否や、頬をやんわりと赤く染め、弾かれたように自立する。
「あ、ありがとうございますわ!」
スカートを手で払い、しわになっていないか、いそいそと腰をねじって背面まで確かめる。そして、自身の背面のデザインを思い出し、更に赤くなった。
「別に衣装は崩れていないぞ。いい感じだ」
「そ、そうですか。さ……先にいってますの!」
めくれ上がったヴェールを降ろし直すと、パロンは扉の前に立つヴェニタスを避け、スカートを両手で大いに持ち上げながらズタズタと不格好に衣装室から出ていった。
―φ―
「あー、えへん。それでは、簡易的なものではありますが、式を執り行いたいと思います」
司祭の声が堂内に響く。この空間には参列者は誰一人としていない。蝋燭以外にろくに明かりも点けず、月明りに頼っての挙式だ。
祭壇の前に揃ったヴェニタスとパロンは、午前中の打ち合わせ通り、腕を絡ませて彼の話を聞いていた。
「新婦リリーア。あなたは偉大なるアビス様の導きに従い、ここにいるエヴァンスを、その健やかなるときも、病めるときも、富めるときも、貧しきときも、死が二人を分かつときまで、愛することを約束しますか?」
「誓います――――わっ!?」
向かい合い、ヴェニタスの次にパロンが誓いの言葉を言い終えると、二人は何やら生暖かいとしたものを、背筋に感じ取った。生気のような何かを吸い取られているかのような感覚に、パロンは堪らず身震いした。
その様子に、司祭は優しく微笑む。
「”祝福”を感じたのですね。大丈夫でございます。これはアビス様が見てくださっている証拠です。いつも通りですよ」
正当な手順を踏むと、このようになるらしい。
まるで、これから聖域に立ち入ろうとしているもの達が指定した通りに正装しているか、ぬらりとした見えない何かが体にまとわりついて、確認しているかのようだった。
「ではその愛の証として、指輪を交換してください」
あらかじめヴェニタスが手渡しておいた指輪を、司祭は二人に提示した。彼らは頷き合うと、手を重ね合って、お互いにそのリングを嵌め合う。
「ん……?」
そしてヴェニタスは、違和感を得る。
パロンは事前に指輪のサイズぴったりに、変化で自身の指の細さを合わせていたはずだが、みょうなことに、指輪は随分と余裕をもって彼女の薬指に収まったのだ。
そんな不審な現象に彼が十分な考えを巡らせる間もなく、一層、二人の体に不吉な感覚が増した。
パロンの被っているヴェールが、何かに押し上げられたかのように、少しだけ持ち上がる。
誰もそれに気づかぬまま、司祭は式を続行する。
「最後に、誓いのキスをしてください。これで聖域に移動し、お渡ししている小刀を使って向こうで石板に名前を刻んできてください。それで二人は晴れて夫婦になりますので」
「分かった」
「分かりましたわ」
二人が同時、被り気味に答える。これを終えれば、ついに目的とする聖域に着く。どうしても、はやる気持ちが表に出ていた。これを司祭は別の意味で捉えたようであり、感極まった顔で満足げに頷いては、二人を次に促している。
ヴェニタスは、パロンのヴェールに向き合った。
「上げるぞ」
そういって、彼女の黒いヴェールを上げた。
そして、彼女の顔を垣間見る。
「なっ……!?」
とたん、彼の口角はひくついた。司祭も遅れて、目を見開く。
「そ、その顔は……だ、誰だ!? しかも、その耳……獣人!?」
「え?」
月明かりに晒されたパロンの顔はリリーア皇女のそれではなく、本人のものだった。しかも彼女は自身の変調に気付いている様子はなく、狐耳をくいくいと不安げに傾けている。
式中の奇妙な感覚は、魔術を解除するものだったらしい。
司祭はハッと目を見開くと、慌てて手を伸ばす。
「に、偽物か貴様ら、たばかりおって! 聖域には踏み入れさせんぞ――」
「ばれてしまったが、パロン、このまま行くぞ!」
彼女の首に司祭が手をかけるかどうか、その短い間。
ヴェニタスは困惑する彼女の腰を急ぎ抱き寄せ、無理やりに唇を奪った。
「むぐっ!? んん――っ!?」
瞬間、指輪から閃光のように闇が迸り、がらんどうの礼拝堂に満ちていく。
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