2-7:教会

 あくる日の早朝。

 家並みに挟まれた街道を、銀色の甲冑を着込んだ兵士たちが金属音を鳴らしながら行進している。煌びやかな城のふもとで朝日を浴びながら国中の街道を凱旋するそのパレードは、とても整然でいて、見る者に多大なる威圧を与えるものだった。

 そして、行進を挟み込むように立ち並び、熱狂的な歓声を上げる教国民たちから少し離れたところ。そこに黒いローブを身にまとった二人が、建物の陰から軍の催しを眺めていた。


「大したパレードだな。このあたりの国の中じゃあ、教国は弱小だと聞いていたんだが」


 ヴェニタスは立ったまま壁に寄り掛かり、胸の前で腕を組んでいる。平素は黒い長髪をそのまま首元まで垂らしている彼であったが、今日は後頭部あたりで、その髪のいくらか括ってまとめていた。


「あら、聞いた通りだと思いますわよ? ああやって定期的に戦力を誇示しないと市民が安心できていないってことですもの」


 その隣、彼の足元で三角座りしている獣人は、三角耳をぴこぴこと動かしながら欠伸をしてみせる。涙目になった彼女は、潤んだ視界の端で今日のターゲットを捉えたようだ。


「……あっ、出て来ましたわよ」

「ん、やっとか」


 そう言ってパロンはやや上方を眠たげに見つめる。つられてヴェニタスも顔を上げた。若干、目の色が変わる。


「へえ、あれが教国の皇女か。なかなか綺麗な髪をしているじゃないか」


 国の象徴ともいえる存在が現れたことで、あたりの歓声が爆発的に大きくなった。

 民衆の熱狂的な視線の先、教国の城から垂直に突き出た演説台に立ち、金髪の少女が笑顔を見せながら大きく手を振っている。やがて、壇上に上がって声高らかに叫んだ。


「アビス様のご加護があらんことを!」

「うおおおおおおおおおおおお!!」


 皇女の演説に、割れんばかりの歓声が上がる。パロンはその姿をじっと見つめながら、にんまりと笑った。


「あーあ。あの子、政治の道具にされて可哀そうですこと。国内でトップレベルの地位にいながら、大衆の前に身を晒さなくちゃならないなんて、皇女も大変ですわね。いつ誰が狙っているかも分からないのに……ふわあぁ」


 そういいつつ、パロンは口元に手を当ててまた欠伸する。そんな仕事仲間の様子に、ヴェニタスは眉をしかめた。彼女は先日一緒に仕事をし始めてからこの方、本当に大丈夫かと疑ってしまうような振る舞いばかりしているのだ。


「そんな体調で大丈夫か」

「あら、御心配なく。わたくし、朝に弱いだけですの。眠気は教会に入るまでにはなんとかなりますわ、きっと。……ふわぁああ」


 これみよがしに、これまでで一番大きな欠伸をしながらヴェニタスを見上げる。彼が困った顔をしているのを見て取ると、にっこりと笑った。


「さて、用も済みましたし、教会に向かいましょうか。部隊のエースさん?」


 彼女は、よほどヴェニタスが気に入らないようであった。


 ―φ―


 アビス教会。その教国で最大級の建造物は、入国せずとも旅人の目にとまる。天高く伸びる教会の天辺に掲げられた金色の巨大な十字架が、太陽光を照り返して余りにも自己主張しているためだ。

 間近に来て眺めるヴェニタス達は今、日光を反射して眩しい十字架部分から視線を下げていくと、今度は別の意味で目を逸らしたくなるような、大勢の人だかりがあった。

 悪魔の紋様が刻み込まれた巨大な塔が左右に並ぶ門へ向けて、崇拝者達が煩雑になだれ込んでいる。


「とんでもなく混んでいるな」

「パレードの最中ですからまだマシな方だとは思いますけれど、これはヒドイですわね……」


 パロンは目の前の光景に、苦虫を噛み潰したような顔である。


「行くしかない……。新入り、離れるなよ」

「貴方こそ、勝手に迷子にならないようにしてくださいまし」


 二人は言い合いながら、人ごみの中へと分け入っていく。すぐさま二人は、もみくちゃにされ、あちらこちらへと押され始めた。


「あっ、ちょっ、あああぁあぁ」


 門を通過すると、集団に間へ入られ、寝ぼけていたパロンが徐々に妙な方向へと流されていく。


「おい! 離れるなって言ったばかりだろうが!」


 ヴェニタスが周囲の人だかりを無理やりに押し退け、べつな方向へと押し流されかけていたパロンの手首を掴み、ぐいと傍に引き戻した。


「いたいっ! ちょっと力を緩めていただけないかしら? 痛いですわ!」

「ダメだ。一度見失ったら落ち合うのが大変だからな」

「……」


 彼女は嫌悪感をあらわに、目を細めて睨みつけてくる。それを見据えるヴェニタスは、面倒くさそうに言う。


「我慢しろ。門を抜けたら人も減ってくる。その時まで待て」

「……ええ」


 パロンは、むすっとした顔で黙り込む。

 彼女がそんな態度をとり始めてからしばらくすると、礼拝堂に用がある者以外は、門に入った後で別の方向へと進んで行き、二人のいる場所はかなり人が減り始めた。


「もう十分でしょうに。離してくださいな」


 空いてきたのを見て取ると、パロンは彼の手を乱暴に振りほどき、意気揚々と礼拝堂の中へと駆け入る。その後を、何とも言えない表情となったヴェニタスが追いかける。


 二人が訪れた礼拝堂の中は、数百人は収容できそうな広さだった。床には、敷き詰められた赤いカーペット上に、数十の長椅子が祭壇に向けて綺麗に行列しており、天井は空高く突き抜けるように高い。

 周囲を見渡せば、ところどころに取り付けてあるステンドグラスが太陽光に色彩を持たせ、堂内を幻想的に照らしている。その一方で、列柱廊の柱は不気味な触手の悪魔の彫像がベースにされており、神聖さと不気味さが混ざり合った、なんとも違和を感じさせる光景であった。


 そして、堂内は妙にぬるかった。それだけでなく、香でもたかれているのか、強烈に甘い匂いがこの空間中に渦巻いて、溢れんばかりに充満していた。


「ふがっ! あんて、あんてひふぉいにふぉい!」


 パロンが突然鼻を押さえて呻いた。ローブの後ろがめくれ上がり、尻尾が一瞬びん、と立ち上がっている。ぶるぶると毛を震わせながら、ポケットからハンカチを取り出して鼻に当て、必死に室内の濃厚な匂いを防ごうとしている。


「うっ、これは……どうやら教会は余り獣人に来てもらいたくないらしいな。人間の俺でも、かなりキツイ匂いだ」

「ふううううう……」


 涙目になりながらも我慢している彼女を横目に、ヴェニタスは少し考えた後、思い付きで言ってみる。


「あのな、普通の獣人なら我慢できないかもしれないが、お前は変化術? とやらが使えるんだろ? その術を使って匂いを感じ取る部分を無くすように姿を変えればいいんじゃないか?」

「あっ……変化ぇっ!」


 ヴェニタスの助言を聞くや否や、彼女は何事かを呟き、鼻のあたりで“ぽん”と音を鳴らした。


「あ“あ”あぁあぁ、酷い目にあいましたわ……」


 よほど苦しかったのか、彼の言葉通りに変化を実行したようである。どうもまだ嫌な気分がするのか、何かを追い払うように頭をぶんぶんと振っている。


「やっと目が覚めたようでなによりだ。とりあえず、その辺に座るか?」


 ヴェニタスは後ろから声をかける。そして、広い堂内に所せましと二列多行に並べられた木造りの横長椅子の内、一番後方から一つ手前の席を、彼は指さした。パロンは今の言葉が気に入らなかったのか、またむくれる。


「そんな言い方は……失礼じゃないですこと?」

「それは悪かった。ひとまず座ろう」


 ヴェニタスは、いまだに目を潤ませ睨みつける獣人を、椅子に座るよう促す。そして、懐から懐中時計を取り出して確認すると、彼女から少し離れたところに腰かけた。


「謝罪に誠意を全く感じられませんわ!」

「文句なら後で聞くから静かにしろ。もうじき定刻だ」


 詰め寄るパロンに彼がそう言った直後、祈祷の時間を告げる重厚な鐘の音が、教会に響き渡った。

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