勿忘草の花、蒼い海。

宇野木蒼

第一章 あの日々の始まり

第1話 笑えない少年

 16歳の誕生日。僕は両親と共にケーキを買って帰ろうとしていた。

 車からは、真っ赤な夕日が空を染め、血の広がる海のようだった。

「もう、16歳かぁ……早いなぁ」

 隣のシートに座る母はしみじみと言う。

 誕生日の度に言われる台詞。聞き飽きてるよ。

「毎度毎度、言い飽きないのがすごいよ」

 そうね、と微笑む母の顔。温厚な人で、よほどのことが無い限り怒らないし、叫ばない冷静な人だった。ゴキブリを退治するのは母さんの役目だったし。っていうか、父さんが叫んで逃げ回るからだけど。

 お茶目な母さん。ヘタレ(これを言ったら、父さんは泣くだろう)な父さん。この二人は僕の家族で、無論、大切な存在だった。

 がさごそとパーカーから、絡まったイヤホンを取り出し、軽くほどきスマホに取り付けた。

 帰るまで、音楽でも聞いていよう。

 本来ならば、軽快なジャズの音が聞こえるはずだった。

「彼方っっ」

 母さんが僕に覆いかぶさった。体にまわされた腕はとても力強く、ほんの少し震えていた。

 キ、キキィッードォン

 大きな衝撃が体中を襲った。それと同時に、僕の意識は途切れてしまった。


 ピ…ピ…ピ…ピ……

 目覚まし時計?あぁ、もう朝か……起きないと…。

 ズキッ

「ッ……」

 なぜか全身が痛い。筋肉痛?いや、筋肉痛はこんなに痛まない。

 目を開けると、視界がぼんやりとしてよく見えない。

 ツンと鼻につくアルコールのにおい。徐々にはっきりとし始めた視界には、白い天井と、右にある点滴。

 ここは……病院?そういえば、事故にあって……。

 頭の中の霧がサッと晴れた。

 父さんは?母さんは?無事、だよね?

 無傷とはいかないだろうけど、生きていてほしい。不安が静かに降り積もっていく。

「先生っ!目を覚ましました!」

 看護師さんらしき人が、僕を見て、慌てて医者を呼ぶ。

「あぁ、よかった。目が覚めたんだね……」

 駆け付けた医者は、20歳後半くらいでまだ若そうだった。

 ほっとしたように微笑むと、すぐに表情は険しくなった。

 ……嫌な予感しかしない。

 医者も言うのをためらっているようで、話が一向に進まない。

「……………」

 長い沈黙を破ったのは、案の定医者のほうだった。

「……落ち着いて聞いて欲しい。彼方くん、君のご両親は……あの事故で……亡くなったんだ」

 医者の声はひどく無機質に聞こえた。目の前が真っ暗になり、周りの情報の何もかもが機械音にしか聞こえない。

 こぶしを握り、救えなかった命を惜しむ者。可哀想と同情し、涙を流す者。

 周り全てに吐き気がした。この世界が終わってしまえばいいのにと、思いながら、意識は闇にのまれていった。

 

 その日からはよく覚えていない。ご飯の味も、見える世界も、聞こえる音も、全てが色を失くし、灰色な世界で僕は生きていた。感情がなくなり、笑うこともなくなった。僕はロボットじゃないのかと錯覚するほど。

 時折夢に見る「平和な家族」。そのなかにいるのが自分だと気づいたとき、あぁ、あんなことがなければと思っていた。だが、日を追うにつれ、僕の中の母と父はの両親に見えるようになっていった。

 集中治療室から一般病棟に移ると決まった日。僕は、心因性の原因で笑えなくなる『失笑症』だと診断された。 

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