ミッドナイト・レインボウ

黒弐 仁

第1話

真夜中、家のベッドで寝ていると体全体で波のようなものを感じ取り目が覚めてしまうことがある。

そんな時、決まって家の近くの空き地にあれが現れているのだ。

現れるのは大体三か月に一度くらい。あれに遭遇するのが今では私の一番の楽しみ。


「あれ」と最初に遭遇したのは五年前の三月の頭だった。小学校の卒業式の準備や四月からの中学への進学でバタバタしている時期だった。

その日私は、中学の制服を作りに行ったりそのほか日用品を買いに行ったりして一日中歩き回り非常に疲れていた。しかしそれと同時に、自分の着る制服を下見していよいよ大人に近づくのだととてもワクワクしたのを覚えている。

家に帰ると、さっさと夕飯を済ませ、風呂に入り、すぐにベッドの中にもぐりこんだ。一日の疲れから、私は瞬く間に深い眠りについた。


深夜、多分二時ごろ。

まるで、海の中に潜り、押し寄せる波を体全体で感じているような感覚で目が覚めた。起き上がった後にもその感覚はまだ続いていた。

ふとその時、何かの気配を感じて、カーテンを開けて窓の外を見た。

私の家の前には道路を挟んで空き地がある。普段は何もないその空き地に、怪しく虹色に光る何かがあるのが見えた。

私は気になり、外に出て確かめてみることにした。三月に入っているとはいえ、真夜中の外はとても冷え込んでいて吐く息はとても白かった。

空き地に入り近づいてみると、それは私の見間違えではないことが分かった。

近くで見たそれに実体はなく、光そのものだった。

大きさは大体一メートル程の虹色の光。宙に浮いており、テレビで見た北の国で見られるオーロラを連想させた。

それを怖いとは思わなかった。ただただ、不思議でしばらくの間見とれていた。

私の中の好奇心はすさまじい勢いで膨れ上がり、何を思ったか、私はそれに手を伸ばし触れてみたのだ。

その瞬間、信じられないことが私の目の前で起こった。触れた所から広がるように景色が変わっていったのだ。

それまで真夜中の真っ暗闇にいたのが、昼間くらいの明るさになっていった。


私の目の前に広がったのは、私の見たことのない、知らない世界だった。

住宅地の真ん中にいたはずなのに、周りには人工物は一切なくなっていた。

その代わりにあったのは、一軒家程もある大きな岩と、ビルのような大きさの大木。そして私の背丈くらいの高さの草。それらが集まり、大きな森を作っているようだった。

木々の間から見える空は薄い緑色をしていて、ここは私の住む世界とは違うのだということが分かった。

よく見てみると、その森の中でさらに景色が違うのに気が付いた。

花が咲き色とりどりの場所があれば、濃い緑色の草が生い茂っているところもあり、葉が赤や黄色になっている木々があれば、葉や草はほとんどなく白い雪が降り積もっている場所もあった。場所によっては雨が降っていたり、薄く霧がかかっているところもあった。

美しい。知らない世界に飛ばされたのにもかかわらず、私は冷静にただそう思った。

ここには季節の全てが揃っているのだ。


私がその美しい景色に見とれていると、空中を漂う青い半透明の布のようなものが見え始めてきた。はじめは一つ二つだったのが、次第に数が多くなっていき、最終的には私の周り360°全てに見えるようになっていった。

その様子に見とれていると、それらは次々に合わさっていき、やがていくつかの大きな塊となった。

その中の一つが私に近づいてきた。思わず私が後ずさると、それは私に優しい声で話しかけてきた。

「あらあら。珍しいお客さんねぇ。」

日本語。そして、女の人の声。生き物かどうかすらも分からないのに、それは私と同じ言語を操り、意思の疎通をすることができるのだ。

「ここはどこなの?あなたは一体何者なの?どうして日本語を喋れるの?」

混乱していた私は次々に質問を投げかけていった。

目の前のそれは優しい声で答えてくれた。

「ここはあなたの住んでいる世界と同じよ。ただ少し、見る角度を変えているだけ。私とあなたは同じところに住んでいるの。」

言っている意味が全然分からなかった。だってここは、どう見たって異世界と呼ばれるものだと私は確信していた。

私がきょとんとしていると、目の前のそれはさらに続けた。

「あなたやわたしが住んでいるこの世界はね、様々な『顔』を持っているの。本当は同じ場所にいるのだけれど、私の住む『顔』とあなたの住む『顔』は違うから普段はお互いを認識することはできないの。だけれど、ごく稀にこうして別の『顔』へと迷い込んでしまうことがあるのよ。」

「それならどうして、あなたはそのことを知っているの?私はそんなこと知らなかったのに。それに、私の住む世界では様々な言語があるのに、どうしてあなたは私と同じ日本語が話せるの?」

「私を見てごらんなさい。」

私はそれをじっと見つめた。その形は布のような、霧のような…。青い体は半透明で、うっすら向こう側が透けて見える。

「私のどこに、あなたにあるような口があると思う?」

「いや…、分からない…。」

「私たちにはね、実体というものが存在しないのよ。言い方を変えれば、体はなく、心だけで存在しているの。だからこうして、あなたの心に直接話しかけて会話をしているのよ。」

「心だけが存在…」

「そう。『体』という縛りがないからこそ、こうやって宙に浮いて自由に動き回れたり、他の仲間たちと合わさったり、違う生き物と会話を楽しんだり、あなたの住む『顔』へ行ったりできるのよ。」

私の住む『顔』ではどんな人も、心そのものを通じ合わせることができる人はいない。

年を経て、人付き合いが多くなった今、自分が人からどう思われているか、どう見られているかが気になって葛藤してしまうことがある。

そんな時、この出来事のことを思い出すと、心と心を通わせることができるなんて、なんてうらやましいことだと思ってしまう。

だが当時の私はそんなことは思いもせず、別の言葉に引っ掛かっていた。

「あなた、私の住むところへと来れるの?」

「えぇ。そんなに頻繁ではないけれど、あなたのところを含める様々な『顔』に『あるもの』を届けるのよ。」

「あるものって?」

「それはね…」

言いかけてそれは言葉を止めた。もっとも、言葉は発していないわけだから心を通わせるのをやめたとでも言うのだろうか。

「どうしたの?」

「う~ん、やっぱり今ここでは教えるのをやめておくわ。」

「えっ!?どうして?」

私は思わず少し大きめの声を出してしまった。

「私たちが何を届けるのかは…あなたが帰ってから七日後に分かるわ。」

「???」

「ふふふ。七日後、その日はスカートは履かないように気を付けなさいね。それじゃあ、おやすみなさい。」

そう言うと、私の視界の中心から広がるように景色が変わっていった。


私は真夜中の住宅街に立っていた。私の家のすぐ目の前の空き地。

周りの家には明かりはなく、電信柱の明かりだけが点々と見える。

あの虹色の光も、青の半透明のあれも、もう私の目の前にはなかった。

冷たい風が私の体を突き抜け、ブルっと体を震わした私は急いで家へと戻り温かいベッドへと潜り込んだ。

ベッドの中でウトウトしながら私は、今のはきっと不思議な夢だったんだと思い、再び深い眠りについた。


それから一週間後。私はその日、友達と一緒に買い物に出かけていた。その日は少しお洒落して、短めのスカートを穿いていた。

楽しくお喋りしながら歩いていると突然、



ゴォォオォォオォォオォ



凄まじい音とともにとても強い突風が吹いた。

「キャアッ!」

私は思わずスカートを押さえた。

すると、クスクスと笑う声がどこからともなく聞こえてきた。

「だから言ったじゃないの。気を付けなさいって」

あの時の声だった。夢ではなかったのだ。

あれは今、私のいる『顔』に来ているのだ。

私は辺りを見回した。強風で乱れた髪を直す人。何事もなかったかのように歩く人。

そして、キョトンとした顔でこっちを見ている友達がいるだけで、あれの姿は見えなかった。

その時、私は上の方に何か大きな気配を感じた。

空を見上げてみると、何かとてつもなく巨大ななにかがいた。

鳥のような形をしている。空の色とはまた違う鮮やかな青色。だけれど半透明で、空にある雲がうっすらと透けて見える。

そして、実態はない。なぜか、それがわかる。

きっとあれは、こっちの顔では「精霊」と呼ばれているものなのだろう。

そして、私のいる「顔」に季節を届けに来たのだ。



その日を境に、私の住む「顔」には春が訪れたのだった。

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