同憂 815
towa
第1話 靖国の夏
宣誓
私は、我が国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法 及び法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身を鍛え、技能を磨き、政治的活動に関与せず、強い責任感をもつて専心職務の遂行に当たり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえることを誓います。
「国民の負託とは いったい何んであろうか」
灼熱の太陽が照りつけていた。
この夏、都心は連日 35度以上の猛暑日を記録していた。
8月15日 東京 九段 靖国神社。
東京メトロ九段下駅から靖国へ向かう九段の坂は、鉄パイプのバリケードで囲われ、背中に黄色く「POLICE」の文字が染め抜かれた濃紺の出動服を着た大勢の機動隊員が厳しい眼差しで辺りを見回していた。
様々な団体が署名活動をしている。
憲法改正、教科書問題、拉致、台湾、北方領土・・・
暑く息苦しい空気に響く 右翼街宣車から流れる軍歌。
戦友会の老人。
遺族会の人達。
日の丸を担いだ若者。
旧日本軍の軍服を着て旭日旗を掲げるコスプレイヤー。
靖国に向かう人の群れは途切れる事はなかった。
そして、その群れは歩道橋の上からも警察権力に監視されていた。
それは、8月15日の靖国での何時もの光景だった。
ただ一つ違ったのは、光格天皇以来200年ぶりの天皇の生前退位の前の年であると言う事だけだった。
この日、参拝した閣僚はいなかった。
首相は、玉串料を私費で奉納。
それは、秋に予定されていた日中首脳会談に配慮した形だった。
与党で唯一参拝してのは、数ヶ月前にセクハラ問題から閣僚を辞任した元防衛相だけだった。
参拝は世間への懺悔の為か、もっぱらこの日のマスコミの関心事はこの元防衛相に向けられていた。
その他、超党派議連の国会議員数十人が集団参拝していた。
この年、現政権の閣僚、官僚の失言、贈収賄、スキャンダル、セクハラ問題が後を絶たず 内閣支持率はついに30パーセントを下回っていた。一方、野党もこれと言った政策を出せず週刊誌の記事をネタにもっぱら与党の粗探しに終始するばかりであった。
正午。
静寂に包まれ靖国では黙祷。
参拝者達は、静かに頭を垂れ祈りを捧げていた。
喧騒に溢れた境内が深い、蝉の鳴き声だけが響いていた。
12時01分
陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地。
一台の黒塗りのワゴン車が、ゲートから出て行った。
ワゴン車は、昼食に急ぐスーツに身を包んだサラリーマン達を横目に見ながら灼熱のアスファルトを静かに走って行った。
黙祷が終わった12時03分。
陸上自衛隊木更津駐屯地。
偵察用ヘリコプターOH-1 通称「ニンジャ」一機 エンジン始動。
甲高い轟音とともに回転翼が回り出す。
12時08分。
陸上自衛隊朝霞駐屯地。
73式小型トラック1台 エンジン始動。
12時15分。
陸上自衛隊習志野駐屯地。
73式小型トラック1台 73式大型トラック6台 エンジン始動。
夏季休暇時期の各駐屯地は人影もまばら、ジョギングをする隊員、グランドでソフトボールに興じる隊員など、この時期ならではの、のんびりとした光景だった。
それは、北朝鮮の脅威が一先ず落ち着いたのも一つの要因だったかもしれない。
灼熱の太陽。
騒ぐ蝉のの鳴き声。
青い空。
真っ白い入道雲。
靖国神社 社務所の物影から南門へと望遠レンズ付きの一眼レフカメラを構えた一人の男の姿があった。
真っ白い空。
天から、降る白い雪。
思いをめぐらすに、日本は、万世一系の天皇陛下の下に、八紘一宇はっこういちうをまっとうするという国家。
日本は、神武天皇の建国から明治維新を経て、体制を整え、今や日本の精神風土は、世界万民に開かれようとしている。
しかるに私利私欲にまみれた不逞のヤカラが政財界を牛耳り、私心や我欲によって陛下を軽んじ、民衆の生活をとたんの苦しみに追いつめている。
元老、重臣、軍閥、財閥、官僚、政党等は、この国体破壊の元凶。
ロンドン軍縮条約、ならびに教育総監更迭における統帥権干犯問題とうすいけんかんぱんもんだいは、陛下の大権を奪い取ろうという企みである。
三月事件、あるいは学匪共匪大逆教団等がくひきょうひたいがくきょうだんとうは、政財界と利害関係を結んでこの国を滅ぼそうとするもの。
彼らの罪は万死に値する。
中岡、佐郷屋、血盟団の先駆者たちの捨身の戦い、五・一五事件、相沢中佐の閃発など、彼ら佞臣に反省を促す動きは、これまで幾度もあった。
けれど売国奴たちには、いささかの反省もなく、依然として私利私欲をほしいままにしている。
このままでは、日本は完全に破滅に追い込まれてしまう。
いま、内外に重大な危急がある時。
我々は、日本破壊を阻止するために、日本国破壊の不義不臣を誅殺。
ここに同じ憂いを有する同志たちと機を一にして決起し、奸賊を誅殺して大義を正し、日本を守る。
皇祖皇宗の神霊、願わくば、照覧給わり、陰に援助を給わらんことを。
安藤は、妻 房子の写真を見つめ、何度も自分自身に言いきかしていた。
国を憂いているからこそと。
ワゴン車は照りつける太陽の下を走り続けていた。
千葉は、妻 佳苗とこの春 小学校に入学した一人娘 美桜との3人家族だった。
千葉穂高。1等陸尉。新潟県出身。防大卒。
母子家庭で育った千葉は、経済的な理由から学生でありながら手当が出て、しかも国家公務員として就職率100パーセントの防大を選択した。入学時には、特に国防に燃えていたわけでもなかったが、18歳で一般社会から隔離された軍隊式の防大生活の中で彼の中で脈々と国防の意識が目覚めて行った。
防大を卒業して任官する者には高級幹部を目指す幕僚タイプと第一線部隊で指揮を執る軍人タイプに別れる。彼は、正しく後者の血気盛んな軍人タイプに変貌していた。
自衛隊最強部隊と謳われる習志野駐屯地を拠点とする第1空挺団、いわゆるレンジャー出身である。
去年の秋の人事異動で市ヶ谷の陸上幕僚監部運用支援訓練部に着任したばかりであった。
それは千葉にとっては不本意な人事異動ではあったが、妻にとっては実家に近い東京生活は娘の養育にも好都合な人事であった。
千葉も、車内で娘の入学式の写真を見つめていた。
家族3人が笑顔で仲良く寄り添う写真を。
そして、千葉も何度も自分自身に言いきかしていた。
国を憂いているからこそと。
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