鞘side
アイツの笑顔が好きだから 1
授業の終わった放課後、俺、笹原鞘はバイトに行くために教室を出た。
モデルの仕事を始めてから、もう二年になるだろうか。町でスカウトされ、小遣い稼ぎになるならと思って始めたはいいけど、最近はいい加減やめようかと考えている。
モデルという肩書目当てに近づいてくる女子が後を絶たないというのは、かなり疲れるから。
こんな事を言ったら野郎どもからバッシングを食らうのは火を見るより明らかだから、決して口に出したりはしないけど。
女子からちやほやされるのは悪い気はしない。だけど中には度を越した奴もいるから、そんなのの相手をするのは億劫で仕方がない。
先日皐月に絡んでいた箱崎なんかはその代表格だった。図書室にまでやって来ては場もわきまえずに大声を出すし、自分勝手な理屈を並べては他の女子を攻撃する。
ファンがつくのは良いけど、あれは勘弁願いたい。おかげで図書委員の先輩に何度も謝る羽目になったし、皐月にも怪我をさせてしまった。
こんなトラブルが続くのなら、本当にモデルなんてやめてしまった方が良いのかもしれない。元々成り行きでやっていただけだから未練も無いし、金が欲しいなら別のバイトを探せばいいだけだ。そんなことを考えていると。
「笹原君」
不意に後ろから、自分を呼ぶ声が聞こえてきた。だけど俺は振り返らずに、そのまま廊下を歩き続ける。
「ちょっと、シカトしないでよ。ねえ、笹原君ってばー」
ああ、五月蠅い。あんまり大きな声を上げるものだから、皆何事かとこっちを見ているじゃねーか。出来ることならこのままスルーしたかったけど、どうやらそれは無理なようだ。渋々振り返り、声の主に目を向ける。
「何の用だよ、箱崎」
そこにあったのは、やはりと言うか箱崎の姿。前にあんなにハッキリと拒絶の意を示してやったと言うのに、性懲りもなくまた来るだなんて。そのあまりのふてぶてしさには、思わずため息が出てしまう。
「えっとね~、別に用があるって訳じゃないんだけどね~」
「そうか。だったら俺はもう行くから」
踵を返そうとしたところで、がっしりと腕を掴まれた。
何だ、やっぱり用でもあるのか?言いたい事があるのならさっさと言えば良い物を。分かり易いぶりっ子を見ていると、イライラして仕方が無いと言うのに。
「そんなに睨まなくても良いじゃない。用が無かったら話かけちゃいけないわけ?」
「そうしてもらえると助かるな。前に言わなかったか?ちょっかいかけてくるなって」
「それは水城にでしょ。笹原君に絡むなとは言われて無いもん」
そうだったっけ?しかしあんなにも強く言ったのだから、もう俺にも話しかけてこないだろうと思っていたのに。どうやら見通しが甘かったようだ。
「なんにせよ用が無いならもう行くからな。これからバイトなんだよ」
「ふーん。それなら仕方ないか。水城さんの事で、ちょっと気になる話を聞いたんだけどなあ」
「はぁ?」
歩き出そうとしていた足を止め、箱崎に目を向ける。何を考えているのかは分からないけど、含みのある笑みを浮かべていて、良からぬ事を企んでいるのが丸分かりだ。
「アイツに手を出すなとは言ったよな」
「そう怖い顔しないでよ。別に何かしようって訳じゃないんだから。本当にちょっと噂で聞いただけなんだけどね」
嫌な予感しかしない。しかしそんな俺の心中なんてお構いなしに、箱崎はどこか楽しげな様子で話してくる。
「笹原君も吸血鬼なら知っているかもしれないけど。水城さんの血って、ちょっと特別らしいのよ。魔力体質って言うんだってね」
「―――ッ!」
何故箱崎がそんなことを知っているんだ?
いや経緯はどうだっていい。問題はわざわざそんな話を振ってきた事だ。コイツは皐月に対して良い印象を抱いていないはず。いったい何を企んでいる?
「他とは比べ物にならないくらい、美味しい血が流れていて、欲しがっている吸血鬼は山ほどいるんだってねえ。ねえ、笹原君もそうなの?血が欲しいから、アイツのそばにいるわけ?」
「てめえ…」
皐月の血が特別だという事は、十年前から気付いていた。あの頃は毎日のように一緒にいたけど、皐月は後先考えずに動くことが多くて。外で遊んでいると、怪我をすることも少なくなかった。
ある日転んだかどこかにぶつけたかして、皐月が膝に怪我をした事があった。皐月はちょっと痛がる程度だったけど、俺は滲んでいる血を見て思ってしまったのだ。美味しそうな血だなあ、と。
それは考えてはいけない事だと、子供心に分かっていた。皐月は友達なのに、まるで美味しいケーキでも見るような目をしてはいけないと。
本当はその血を吸いたくてたまらなかったけど、ぐっと我慢した。そんな俺を見て皐月は、自分が怪我をしてしまったからこんなに慌てているのだろうと思ったのか、まるでお日様のような笑顔を向けてきた。
『平気よこれくらい。ごめんね鞘、怖がらせちゃって』
違う。
怪我してなお俺のことを気遣う優しさがとても辛くて。血を吸いたいなんて思っていた自分が途端に恥ずかしくなった。
しかしその後も皐月の血を見るたびに、それを吸いたいという衝動は襲ってきた。このままではいけないと思った俺は、どうして皐月の血だけそんなに欲しがってしまうのかを必死になって考えた。
やがて母から魔力体質の話を聞き、皐月がそれなのだと悟った。
吸血衝動の原因が分かってからは、ただひたすらに我慢した。いくら美味しそうに見えても、目の前にいるのは友達の皐月であって、お菓子ではない。ずっと自分にそう言い聞かせてきたのだ。
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