怒られた私

 夜。八福荘の自宅にて、私は夕飯の洗い物をしていた。だけど茶碗をスポンジで擦っている間もずっと、昼間見た鞘の傷ついた顔が頭から離れない。


 やっぱりショックだったよね。でも去り際には『このまま日の光を浴びて灰になってしまいたい』という吸血鬼ジョークを言うだけの余裕はあったから、傷は深くなかったと思いたい。冗談…だよね?


「…さん……姉さん」

「――っ、なあに八雲?」


 横を見ると、さっきまで洗濯物をたたんでいたはずの八雲がいつの間にかそばまで来ていた。そして何だか心配そうな顔をしながら、私が手にしている茶碗を指さした。


「さっきからずっと同じ物を洗い居続けてるよ」

「え、そうだっけ?ごめん、ボーっとしてた」


 どうやら昼間の出来事が気になるあまり、作業が上の空になっていたようだ。実は放課後のバイト中も同じように気がそれてしまっていて、オーダーミスを二回もやらかすという失態を冒している。


 それにしても、笹原があの鞘だったなんて。改めて思い出して笹原と比べてみると、確かに似てるんだよね。昔から可愛かったけど、すっかり美人になっちゃって。

 だけどあれから何度も鞘と遊んだ時の事を思い出してはいるというのに、鞘が男の子だったという所がどうしても浮かんでこない。確かによくよく考えたら履いていたのはいつもズボンだったし、可愛いアクセサリーをつけたところも見た事が無かったけど。

 とは言え私だって昔も今も、動き易いという理由からスカートよりもズボンを好んでいるし、アクセサリーも進んで付けようとはしていないから、未だに笹原=女の子というイメージから脱却できていないのだ。

 酷い事を言ってるって自覚はあるよ。でも思い出せないものは仕方が無いじゃない。とは言えこんな勘違いをされていたのだから、当然笹原は面白く無いだろう。


「ねえ八雲、もしもの話をしていい?」

「突然何?別に良いけど」

「何年も会っていない仲の良い友達がいたとして、久しぶりにその子と再会したら嬉しいよね。だけどもし相手からずっと性別を間違えられていたとしたら。男の子なのに女の子だと思っていたって言われたら、いったいどう思う?」

「何それ?」


 途端に眉間にシワをよせて、露骨に嫌そうな顔になる八雲。もうこの時点で答えは聞いたも同然である。


「そりゃあ、そんな風に思われていたら凄いショックだよ。いくら仲の良かった子でも…いや、仲の良かった子だからこそ余計に辛いと思う。僕だったらきっと、数日は引きずっちゃうだろうね」

「そっか…やっぱりそうだよね」

「当り前だよ。ねえ、いったいそれがどうしたの……」


 不思議そうに聞いてきた八雲だったけど、そこで何かに気付いたように息を呑んだ。そして――


「姉さんっ!今度はいったい何をしたのっ!」


 怒ったような、しかし何だか真っ青になったような何とも言えない顔で声を上げてきた。どうやらこれはただ事でないと気づいたらしい。


「べ、別に何もしてないわよ。て言うか『今度は』って何よ『今度は』って?」


 一体姉を何だと思っているのか。断固問いただしたかったけど、八雲の勢いは止まらない。


「さあ、早く謝りに行こう。僕も一緒に行って頭を下げるから。大丈夫、基山さんならちゃんと謝ればきっと許してくれるよ」

「ちょっとは話を聞いてよ。まず基山は関係ないからっ!」

「え、違うの?てっきりまた、基山さんが被害に遭ったものだと」


 酷い言われようだ。とりあえず落ち着いてはくれたけど、それでもまだ訝し気な目を向けてくる。


「でも基山さんじゃないとすると、いったい誰に迷惑を掛けたの?」

「まずは迷惑かけたの前提で話を進めるのを止めてくれないかな。お姉ちゃんそろそろ泣きたくなってくるよ」

「違うの?」

「迷惑かけたって言うか、ちょっと。本当にちょっっっとだけ勘違いしちゃってた事があってね。それで少し相手を傷付け…ううん、気を悪くさせちゃったかもねえって…」


 だいぶソフトな言い方にしたつもりだったけど、八雲の態度は依然変わらない。心配そうに私を見つめながら、静かに尋ねてくる。


「姉さん、怒らない……かどうかは分からないけど、正直に話してみて」


 この冷たい眼差しが辛い。この手の視線は昼間から向けられ続けているというのに、一向に慣れないものだなあ。そんなことを考えながらも茶の間に移動し、飾ってある鞘の写真を取ってきて八雲に見せる。


「実はね、学校でこの写真の子。魔女の仮装をしているこの子と会ったんだけどね……」


 鞘とどこで会って、何があったかを、一つ一つ丁寧に教えていく。八雲は最初こそ写真の魔女の子との再会話をワクワク顔で聞いていたけど、次第にその表情は曇っていって。全てを話し終えた時には頭を抱えてしまっていた。


「……姉さん」

「……何でしょう?」

「姉さんはどうして人の心を持っていないの⁉」

「そこまで言うっ⁉」

「だってそうでしょっ!仲が良い友達だったのに、どうして忘れちゃってたの!」

「いや、忘れていたわけじゃなくて、女の子だと勘違いしてただけなんだけど」

「どっちでも良いよ!その鞘さんがどれだけ辛い思いをしたか分かってるの⁉」


 うん、分かってるよ。何度も何度も謝ったけど、結局鞘は一度も私の目を見てくれなかったし、もし立場が逆だったら私なら泣いていたかも。それほどのことを自分がしてしまったのかと思うと、気がすむまで殴られても文句が言えないとすら思えてくる。もちろん殴ったところで鞘の気が晴れるとも思えないけど。

「こんな姉を持って僕は恥ずかしいよ。ナイフみたいに尖ってて、触るもの皆傷つけて!」

「私はギザギザハートの持ち主か⁉」

「何言ってるの⁉同一視したらチェーカーズに失礼だよ!だいたい姉さんは、普段から基山さんにだって酷い仕打ちをしてるじゃない」

「さっきもそうだったけど、何だかやけに基山の名前を出すわね。私ってそんなに基山に酷いことしてる?」

「ほら自覚が無い!そんなんだからこんな事態を招くんだよ!」


 そう言われても、基山にした酷い事ねえ。

 例えば前にお世話になったお礼にご飯をご馳走しようとして、ラーメン屋に連れて行ってニンニクの匂いで苦しませちゃった事とか?

 それとも最近八雲が私よりも基山の方に懐いていて複雑だから、度々睨んで怖がらせてしまっている事かな?

 いやいや、もしかしたら女子アレルギーを改善させてやろうと、背後から抱きついて涙目にさせてしまった事を言っているのかも。

 八雲が言ってるのがいったいどの事だか分からないけど、こうして並べてみると確かに少し悪い事をしたような気がしないでも無い。


「まあ基山の方はとりあえず置いとくとして、鞘にはもう一度ちゃんと謝ってみる。私だって気まずいままなんて嫌だもの」

「それが良いよ。けど、くれぐれも謝りに行って余計に相手を傷つけたりはしないでよね」

「そんなことあると思う?」

「姉さんなら十分にあり得る」


 どれだけ信用無いんだ私は?

 反論しようかとも思ったけど、今日の失態を考えると何と言われても文句は言えない。ひょっとしたら基山達にも同じように思われているのではないだろうか?

 下がりに下がったであろう自身の評価を考えながら、私は胸を痛めるのだった。

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