暴力を振るう者 2

 私は何も霞を見捨てたわけじゃない、むしろその逆だ。もしここで言われたとおりに土下座してしまったら、きっと彼女達は味をしめて、これからどんな要求をしてくるか分かったもんじゃない。そうなると遅かれ早かれ霞にも迷惑がかかってしまうだろう。

 ならばここで屈するわけにはいかない。強気な姿勢を崩しちゃいけないんだ。


「そっちのバカげた事情なんか知らないわ。悪い事なんてしてないのに、何で土下座なんてしなくちゃいけないの?言いたい事は終わり?だったらさっさと返して――」


 瞬間、バシッという大きな音が響いた。

 左の頬が熱い。どうやら平手打ちを食らったようだと、冷静に理解していく。


「さーちゃんっ!」

「平気よ霞、こんなもの何でもないわ」


 私を案ずる霞に笑顔を作って見せた後は、視線を戻して正面にいる箱崎さん達を睨みつける。


「アンタ本当にムカつく!」


 いったい誰が言ったのか、そんな言葉が耳に届いた。だけどちっとも怖くは無い。こっちはついこの間強盗犯に人質に取られたばかりなのだ。徒党を組んでいるとはいえ女子高生の脅しなんかで心が揺るぐわけが無い。だけど次に言われた言葉には眉をひそめざるを得なかった。


「なによ、血を吸われるのが好きなだけの変態のクセに」

「はぁ?なによそれ」


 予想の斜め上を行く暴言を吐かれ、訳が分からなくなる。だけど箱崎さんはさも当然とばかりに話を続ける。


「聞いたわよ。アンタゴールデンウィークにあった強盗事件の時に、吸血鬼の犯人に血を吸われたって。それから、昨日止めに入ったあの男子も吸血鬼なんだってね」


 基山のことまで知っているのか。昨日始めて話をしたばかりだというのに、随分と情報が早いものだ。けど、気にするべきはそこではない。


「世の中には血を吸われることに快感を覚える人もいるそうね。アンタもそうなんでしょ。だから笹原君に近づいて、血を吸ってもらおうとか考えてるんじゃないの?」


 何と的外れなことを言っているのだろう。そんな性癖は無い。そもそも私はあの犯人に血を吸われたのはトラウマになるほど嫌な事だったというのに。

 基山に吸われたのは別に嫌というわけじゃないけど、それにしたって血を吸われたがっているなんて根も葉も無い事だ。


「あのクラスの男子からはいつも吸ってもらってるんでしょ。気持ち悪いわね全く」

「何よそのデマ。ふざけないで」

「ネタは上がってるのよ。よく一緒に帰って、家に行くだか連れ込んでるだかしてるんでしょ」


 基山と一緒に帰る事があるのは家がアパートの隣同士だから。確かに基山はよくうちに来るけど、それにしたって八雲の面倒を見てくれるからだ。それ以外の理由なんて無い。


「この事を笹原君に教えてあげるのも良いかもね。笹原君は優しいからアンタみたいなのにも構ってあげてるけど、こんな最低な女だって知ったらさすがに愛想つかすだろうし」


 もしそうなったとしても、それはそれで仕方がないだろう。けどそれだと、今度は基山まで風評被害に遭うかもしれない。この上まだ他人を巻き込もうというのか。


「変なこと言わないでくれる?そっちの勘違いにこれ以上振り回されたくは無いんだけど」

「言う事を聞かないそっちが悪いんでしょ」


 ダメだ、とても話が通じそうにない。この人は自分が間違ったことをしている自覚が無いから質が悪い。自分は正しい、そう思い込んでいる人に何を言っても無駄だ。それでもなお言う事があるとすれば。


「そっちの言い分はよく分かったわ。けど、一つ言わせてもらえるかな」

「何よ?」

「私が目障りだから排除したいって思っているんだろうけど、それが叶ったところで笹原はアンタの事なんて見ようとしないから」

「はぁ?何が言いたいわけ?」


 前に図書室で男子から、血を吸われた女だと陰口をたたかれた時の事を思い出す。

 あの時は怒った笹原が掴みかかっていったんだっけ。てっきり自分も吸血鬼だからバカにされたようで気を悪くしたのだと思っていたけど、今にして思えば私のために怒ってくれたのかも。


 笹原とはまだ出会って間もない。もっと前に会ったことがあるらしいけど、さっぱり思い出せない。だけどこれだけは分かる、アイツはこういう人を侮辱する行為を嫌う奴だってことが。だから。


「アイツのことが好きなら人を蹴落とすんじゃなくて、好かれる努力をした方が良いわよ。こんな事を続けていたら、いずれは嫌われるだろうから」

「―――ッ!このッ!」


 再度平手が、バシッと頬を打つ。

 衝撃で眼鏡が外れて視界がぼやけたけど、それを気にする余裕もなく、私は壁際に追い込まれる。

 箱崎さんは直も怒りが収まらない様子で、今度は髪を引っ張ってきた。


「――ッ!」

「さーちゃんっ!もうやめてよ!」


 霞が声を上げたけど箱崎さんはもちろん、見ている誰もが止めようとはしない。それどころか。


「ちょっとヤバくない?」

「良いんじゃないの、これくらい」

「調子に乗りすぎたのが悪いんだし、ちょっとしたお仕置きでしょ」


 耳障りの悪い笑い声が聞こえてくる。おそらく彼女達も、欠片ほどの罪悪感も無いのだろう。皆が良いと言っているのだから間違っていない。本来なら許されない行為でも、皆でやることで感覚が狂ってしまっているのだ。


 これはちょっとマズイ。冷静な判断ができる者がいない集団は歯止めがきかなくなる。このまま殴られ続けることになったとしても、きっと止めてくれる者はいないだろう。

 ケラケラという笑い声が響く。ぼんやりとした視界にまたしても箱崎さんが手を振り上げてくるのがうっすらと見え、私は思わず目を瞑った。

 けど……


 ――――おかしい。


 予期していた衝撃が、いつになってもやってこない。それにさっきまで聞こえていたせせら笑う声も、今は聞こえない。

 急に静かになったことを不思議に思っていると。


「何やってんだよ」


 静かに、だけど激しい怒気を含んだ聞き覚えのある声が聞こえた。この声は。


「…笹原?」


 目を開けると、高く振り上げた箱崎さんの手を掴んでいる笹原の姿があった。

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