「ホントに好きだった?」

 鳴っているはずがない。鳴っているはずがないのにトーコの耳には一定のリズムでリズミカルにどんどこ叩かれ響く和太鼓の音が聞こえていた。ここは街のど真ん中だというのに。

 今日は土曜日。ミエリとの約束の日。待ち合わせ場所は市内で一番大きい駅の中央改札の前、そして待ち合わせ時間は11時。


 現在10時30分。トーコが到着したのは10時。かれこれ30分もこうして和太鼓とともに待っている。たまにスマホを触るが、普段見ることのないニュース記事を開いては無意味にすますまスワイプを繰り返していた。


「これ、デートだよね? だよね?」


 もう何度呟いたかわからない独り言。

 いつも以上にしっかりとトリートメントした髪、いつも以上にケアしてきた肌、元彼氏たちとのデートでは使ったことのないリップ、普段以上に大人びたキレイ目の服装。そんな風だからかいつもよりも視線が飛んでくるが、目の前の事のほうがよっぽどで気にもならなかった。


 例の一件のあとメッセージアプリの連絡先を交換したが、一回もやりとりはなかった。教室でしっかりと話したこともない。だから本当に来るのかどうかわからないが、けれど昨日目線が合ったときは、ある、と確信した。

 そうだ、今がまさに送るべきときなのではないかとトーコは気づいた。


『着いたよ(適当な絵文字)』


 そんな感じで現状報告をしておくべきではないのかと。この内容であれば意味なく送ったようには感じないだろうし、実に自然な流れ。初めてがこんなに味気ないもので良いのかどうかも悩ましいが、


「たかだかデートくらいで意識なんかしてないから」


 という風にアピールもできる。あのときはいきなりだったからうまくやられてしまったが、今日はそうはさせない気持ちだ。

 唇に軽く触れる。一番お気に入りのリップ。無意識にどこか期待してしまっているトーコがいた。

 それはともかく送信だ。スマホでアプリを開き(あんまり連絡先がない)、ミエリに対して本文を入力する。


『着いたよ(アホみたいな絵文字)』


 この絵文字を選択したのは、あえてボケることによって緊張していないことをわからせるためだった。すまっと送信ボタンを送ればすぐに既読がついて、


『知ってた~』

 と続けて、

『後ろのカフェ見て見て~』


 言われるがままに後ろを振り返ると、そこには店内からガラス越しで手を振るミエリの姿があった。パーカーが目立つ、ストリート系の服装で優雅にコーヒー片手だ。いつもより髪がふわっとして毛先を遊んでいる。メイクの感じは普段とあまり変わらない。

 にひひと無邪気な笑みを浮かべていて、トーコが呆然としていると会計を済ませて出てきた。小さな手には飲みかけの紙コップのコーヒーが握られている。


「すんごい早く来てたねー」

「い、いつから?」

「ちょっと前」

「気づいてたなら……」

「一人の時間があるかもしんないじゃん? まあまあ行こ行こ」


 ぱっと手を取って上げ、それから指を絡めて握る。いわゆる恋人つなぎという形。こんな堂々と周りに見られるかもしれないのに、ミエリはまったく気にしていない、というより満足そうだった。


「繋ぐなら、別に普通にすればいいと思うけど……」

「いーじゃんいーじゃん。別におかしかないよ? 結構やってる人いるし」


 と言っても周りにいはしなかった。けれどじろじろ見られるようなこともなかった。人は思っているほどに他人のことはどうでも良いものだ。趣味は人間観察などと言う人であっても、実際熱心に人間観察スポットを見つけて眺めてスケッチやらメモやらするわけではない。あれは適当だ。


「いやー学校のときよりも大人っぽくてキレーだねー」


 歩き始めるミエリ。手が繋がっているトーコは彼女の手をふりほどくことなど当然できず、しかし横に並んで歩くこともできず、一歩下がってついていくしかなかった。

 ミエリは人ごみの中を歩くのがうまかった。トーコは急に止まったり人にぶつかったりしそうになることが多いのだが、彼女はまったくそういうところがなかった。ぴょんぴょん跳ねるようでいて、ふわっとした髪が揺れて香りが広がる。


 思わずぎゅっと握る強さを増してしまうと、ミエリが道の端に誘導していったん止まった。


「痛かった?」

「ううん」

「じゃあどしたの?」


 ペースにやられ続けてきたせいか、トーコはここで少し前に出る。


「……なんとなくぎゅっとしたかっただけ」

 すると一瞬きょとんとしたミエリだったがすぐに歯を見せ、

「かーわいっ」


 どうしてそのようにぽんぽんと人を褒める言葉が出てくるのか。本心であろうが建前であろうがトーコにはまったくできないことで、それが怖くとも素敵に感じられた。ここでミエリに対しても同じように褒めることができればきっともっと仲良くなれるはずなのだけれど。


「そだ、どこか行きたいとこってある?」

「特に……」

「んーじゃ、テキトーにあたしの行きたいところ行っちゃっていい感じ?」

「ん」


 わざとらしくにやりとした表情を見せつけ一つ提案する。


「ホテルとかいかがかなお嬢さん」

「アホなの?」

「きっつーい。トーコ結構きついとこあるよねー」


 いつの間にか呼び捨てになっているところに面食らってしまう。


「ままぁまーまーまー、あたしのこともミエリでいーからさー」

「そ、そういうことじゃ……」

「とりあえずロフトでも行こう、ぜっ」


 手をぎゅっと繋いだままその目的地へと歩き出す。トーコはなんだか緊張がややほぐれたのか、一歩後ろではなく並んで歩くように努め出す。

 慣れないことで何度か人にぶつかったけれど。


 かの有名な雑貨店。このやたら人が多い街にある店舗はビル一棟が丸々売り場になっていて、あまり見ないような物まで置いてあったりする。トーコもこの街に来たときはとりあえずな具合で見に来ることが多い。


「これかわいくない?」


 ミエリが手に取ったのは革で作られたネコの顔の形のチャーム。それぞれ金具で三つ繋げられていて、鞄などに付けるようにコーナーの紹介写真には載っている。


「一緒に買って学校の鞄に付けようよこれ」

「え、でも……同じもの付けてるって気づかれる、かも」

「なんかある?」

「え、だって……あれこれ思われちゃうかもしれないから……」


 か細い声で言うと、ミエリが肩を寄せてきた。


「ふーん、あたしたちあれこれ思われちゃうとやばい関係なんだ?」

「クラスで絡みなかったのに、いきなり同じもの付けてたら怪しく感じる人いてもおかしくない、かと」

「ああそれはそうかも。それはそれでめんどっちいよねー、説明してもなんだかんだって感じでさー」


 顎に指当てて、

「別にお互いのグループに入る必要もないしねー」

「え?」


 予想外の発言にトーコは間抜けに声を漏らす。てっきり仲良くなればミエリが仲良くしているグループに混ざっていくものだと思っていたが、それがどこか恐ろしく感じていたが、彼女はそうではなかった。


「だってそうじゃない? トーコとあたしなんだよ?」


 何気ない発言だったのかもしれない。けれどそれはトーコにとって心が飛び上がるかのようなことだった。からかわれているだけだと思っていた。あの校舎裏でしたこともすべて、ちょっとしたいたずら心なのかと思っていた。

 けれど本当に彼女も思ってくれているのならば、


「買う」

「え?」

「これ買おう、おそろいで。学校の鞄はあれかもしれないけど、それ以外だったら大丈夫でしょ。ほら、今日二人とも鞄持ってきてるし」

「う、うん、どしたの急に。買うけど付けるけど」

「さあ行こうレジに」

「行くよ? お金払わなきゃいけないし」


 というわけでおそろいのネコ型チャームを手に入れた二人は、そのあとも店を一緒見回ったあと近くのカフェへと入った。お昼ご飯を兼ねてだ。席もしっかり二人分空いているところがあって、この場所からすればかなり幸運だった。


「ここでパスタ食べるの初めてかも」


 お互いにパスタを注文し、席に座ったミエリが番号札を指でちょんちょんと軽く突き遊びながら言った。


「わたしも。いつもお茶しか飲まないから」


 パスタとあわせてそれぞれ飲み物も頼み、それはすでにテーブルにあった。トーコは紅茶、ミエリはコーヒー。


「楽しみだねー。ってトーコ紅茶派?」


 ずずっとミエリが一口コーヒーをすすり話題を振る。


「うん」


 砂糖とミルクの入ったコーヒーを彼女はおいしく感じているようだ。眉はぴくりとも動かない。それがトーコには信じられなかった。高校二年生だがまだまだその味は厳しい。


「そっか、甘くてもダメ?」

「ちょっ、なんで飲めない前提なの」

「そうっしょ?」


 わざとなのか。見せつけるようにしてもう一口。ふんと鼻から息を吐いて味を堪能しているかのようなデフォルメきいた顔になる。


「だれも飲めないなんて言ってないけど」

「ほい、それなら一口どぞ」


 差し出されるコーヒー。褐色の液体がカップの中で揺れている。それを受け取り、じいっと眺めてしまう。独特の香りが鼻を訪ねる。すでに追い返したい。自分よりも見た目幼い彼女がどうしてこの香りを受け入れられるのか。


「ぶ、ブラック派だから、混ぜ物なし派だから」

「ぷはっ、なにそれー」

 小さく噴き出し、

「ま、あたしも紅茶ダメだし、なんか変に苦くて飲みにくくない?」

「いやコーヒーの方が圧倒的に苦くてきついと思うけど」

「あ、やっぱりダメなんだ」


 己の失策にそこでようやく気づく。やられた。


「紅茶ダメなのホントだから。好みがまったく一緒ってのも、それはそれでいいかもしれないけど、でも楽しくないかもしれないっしょ?」

「どっちなの」

「んー、どっちでも。トーコとは一緒のところもあるけど、違うところもあったほうがあたし的には絶対楽しいと思うなー」


 ネコ型チャームを出し、目の高さに上げてゆらゆら揺らす。なんだか同じことをしたくなり、トーコも同じように出す。


「付けあいっこしよっか。初デートの記念に」


 デート。彼女がこぼしたその響きに、今の状況が間違いなくそうなのだと実感する。これまでの元彼氏たちとのものでは一度も感じたことのない鼓動の強さ。これが本当のものなのだと。


「……いいよ」


 お互いの鞄を交換する。トーコの鞄には肩掛け紐と本体を繋ぐ金具に。ミエリの鞄にはリュックなのでファスナーの引手に。トーコはすぐに付けることができたが、ミエリはやや不器用なのかちょっと時間が掛かったができていた。


「やっぱかわいいねーこれー」

「うん。かわいい」


 間もなく運ばれてきたパスタの味をトーコは覚えていない。

 それから色々と見て遊んだ二人。すでに時間は夕方になり、そろそろ帰る時間になっていた。トーコと違って夜も遊び慣れているだろうミエリだが特に不満はこぼさなかった。


「じゃ、またねー」


 駅の改札を通り、そこから利用する路線が違うために別れる。その別れ際。


「どう? ホントに好きだった?」

 いきなりのことに答えられないでいると、彼女は小走りで離れていって、

「あたしは好きかもー」


 ミエリの姿が見えなくなってからも、数本電車を逃してしまうくらいにトーコはその場から動けなかった。


 あっという間に現れてあっという間に帰っていく。はっきりと関係が定まらないままだけれど、トーコはようやく顔がひどく熱くなっていることに気づいた。

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