4話 僕たちの恋物語
1. 境内へ向かう道
僕はハナイカリさんと話したあと、早く橘に思いを伝えるべく走って家に帰っていた。あのときの少女は
僕はそのときに初恋を体験し、今もなお僕は彼女のことが好きだと気づいた。
この思いを早く橘に伝えたかった。
十分ぐらいは走っただろうか。僕は後ろに哀愁あるあのときと少女と同じ視線を感じた。手と足をふと止め、立ち止まった。
そこにはいつもの笑っている橘がいた。
僕は絶え絶えになった息を整え、それから喋りだす。
「どうしてそこにいるの」
「……とりあえずこっちにきて!」
橘は僕の手を引っ張って走り出した。
「どこに向かってるの!?」
橘は無垢な少女のように笑いながら、「着いてからの秘密!」といった。
十分ぐらい走ったぐらいで高見神社が見えてきた。
何となく嫌な予感がする。僕はそこには行きたくない。
「高見神社に向かってるの?」
「そうだよ。じゃあそろそろ、歩こっか」
そういって。橘は走る速度をだんだんと緩めていき、高見神社の鳥居の前まで来た。
2. 続く物語
橘は息を切らしていた。しかし僕は息切れが収まっていた。
「もしかして陸上部?」
「うん。これぐらいならまだいける」
僕たちは、鳥居と賽銭箱の間まで歩いた。
橘は小走りをして、僕の少し前へと進んだ。ふと足を止め踵を返し、こちらに体を向けた。僕も同時に足を止める。
「さっき小浮気の両親から電話がかかってきて、明日には帰ってくるらしい」
橘の口調は平淡だった。
「うん。……あのさ、言いたいことがあるんだけど話してもいい?」
「いいよ」
「あれは六年前だった。ある少女が崖から飛び降りようとしてたのを助けたんだ。僕はその少女に恋をした。それも初恋だ」
橘は先程と表情を一変させた。彼女の目には涙が含まれていた。
「その少女って……、橘なんだよね?」
「うん」
彼女の表情とは異なり、声がしっかりとしていた。
僕は前から秘めてきた想いを放つ。やったことはない。ぶっつけ本番だ。
「あのときからずっと、橘のことが気になっていた。……僕と付き合ってくれないか」
頭を下げて左手を前に突き出して言った。
「ごめんなさい……」
手を突き出したまま顔を上げると、彼女は嗚咽しながら大粒の涙を流していた。その涙は頬を伝い、乾いた地に落ちる。
その涙は地面を少し濡らしたかと思うと、次々と蒸発していく。異様な速さで驚くべきことだが、僕はそれ以上に橘のことが心配でならなかった。
橘の涙と
彼女は服の袖口で涙を拭い、語を継いだ。
「私も小浮気のことは、ずっと好きだったよ。今も変わらず好きでいるの」
橘はまだ涙目だったが、無理やり笑顔を見せた。だけど僕は、
「……じゃあ、なぜダメなのか」
と言い放った。僕は動揺とショックのせいで、肩と声をわずかに震わせた。
橘はゆっくり息を吸い、そして吐いた。
「私は『空』に帰らなきゃいけない。あのとき助けられたんだけれど、結局は死ぬ運命だったみたい。でもそれって……」
その時、風が吹いて橘の声が聞き取れなかった。
いや聞こえていたのかもしれないが、僕の頭が真っ白になっていた。
橘は頬を朱に染めながらも、己の運命から退かず、僕に言った。突然風が吹いたことと、僕の状態を見て、「ううん、なんでもない」とぼかした。
「僕は君のことを信じるよ」
返答になっていないかもしれない。だが、この子がもうこの世には居られないことだけはわかった。だからこそ、大事なことを伝えたかったのだと思う。
僕の発言を聞いた橘は、安堵した表情を見せたが、すぐに少し俯き気味になる。
「ありがとう。けど私が空に帰ったら、小浮気ともう会えなくなっちゃうね」
僕もわかっているし、橘もわかっていることだ。
橘の声はあくまでも明瞭だが、声のトーンはやや下がっていた。
「空に帰ったらもう会えないかもしれない。けどさ、僕と橘との恋は、障壁さえ越えられない淡い恋だったのか?」
僕は橘と同じく、はっきりとした口調で言った。けれどもこれは、橘を励ます言葉でもあった。
「そうだね! 私たちの恋物語は、障壁を軽々と跳び越せる壮大な恋物語だよね!」
橘は顔を向けて、確かな返答をした。その表情に迷いはない。
僕も一抹の寂しさを覚えている。だけど橘は、本来帰るべき場所に戻るだけだ。
「空から小浮気のこと、ずっと見守っているから!」
橘はこちらへ歩みより、「ちょっと目を瞑ってて」と言う。僕は彼女に言われるがまま目を瞑った。
唇にやわらかい感触を感じた。僕はそれを受け入れた。
「もういいよ」
目を開けると、ニコりと笑った橘がいた。橘の瞳は透き通っていた。
橘は小走りで元いた位置へ戻る。
「じゃあ私は行くね。小浮気のこと、好きでいつづけるから」
「うん! 僕もだ」
「でなかったら、今度は本当に朝食に針を入れるからね!」
文面だけだと初日と言っていることは変わらない。だけどそのときとは違って、口元が笑っている。目は寂しさを感じさせない。心の強い子だ。
「よしてくれよ。忘れるはずがないだろ」
「さよなら。隆志くん」
「さよなら。真美」
橘の背中から突如羽が現れた。橘は僕に手を振った後、後ろを振り返らず、空へ向かって飛んでいく。その背がだんだんと小さくなる。やがて彼女の背が追えなくなってしまう。
橘が向かった空は蒼く澄み渡っていて、彼女の瞳を連想させる。空の広さは彼女と過ごした時間である。
橘はもういない。だけど僕たちの恋物語は、この空と同じように終わりはない。これからも僕たちが作り、続けていく物語だ。
☆☆☆☆☆
オリジナルのエピローグを6月3日の夜以降に載せます。
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