曼荼羅 企画用短編集
一瀬裕希
僕たちの恋物語
1話 同棲生活は突然に
1. 始まりは突然に
僕は目覚めると時計を一瞥した。時計の針が指していたのは六時だった。
いつもは七時に目覚まし時計をセットしている。だから一時間早く起きたことになる。
目覚ましの時計を止めたとき、いやな予感がして手が止まった。ゆっくりベッドから上体を起こした。
叱る人はいないのだけれど、きょうだけは二度寝はやめようと思った。野性の勘あるいは、第六感というものか。
それだけじゃない。未知への恐怖を感じる。自分の可能性を変える何かが……。
だが僕にはそれを受け止めるだけの器量がない。
きっと誰かに変えられなければ―――。
リビングに繋がる扉の前に僕は立っていた。僕は無意味に大きな深呼吸をしてから、扉をゆっくりと開けた。
エプロンを着た女の子がキッチンに立っていた。妹……? 目を擦って見ると違う。妹は小学生だから体格からして違う。エプロンの胸元からリボンがちらつき、それが学生だと思わせる。そんなの関係ない。
僕はその子の目の前に詰め寄った。予想に反して彼女は、「生まれてから悪行なんてしたことありません」というような顔をしていた。その彼女がニコりと笑った。どうやら、やっている行為の重さがわかっていないようだが。
「お前は誰だ!? 人の家に勝手に上り込んで……。住居不法侵入で警察に通報するぞ!」
威圧感はまったく感じられないだろう。だがこれでも、ぼくは脅迫したつもりだった。
「え……。聞いてないの?」
彼女の澄んだ目が哀しさを帯びる。これじゃあ僕が彼女を苛めたかのようだ。
言われてみると、そうだったかもしれない。
昨日の夜に両親が、「三日間出張でハワイに滞在するから、隣のマンションで一人暮らしをしている人に来てもらう」と言っていた。そしてお母さんからは、「男の子だから心配ないけれど、家事のできる人がいるといいでしょ」と一言。
「隣のマンションの人?」
「そうだよ」
やっと誤解が解けたかというホッとした表情を見せる。
彼女の髪は肩くらいの長さだ。前髪は額にかかっていて、綺麗に揃えられている。この子は僕より少し背が低いから155㎝前後か。平均的なサイズよりやや小柄の女の子といった感じだろう。
彼女はエプロンを脱ぎ、「ちょうど調理が終わったところだよ」と言った。僕が「ありがとう」と言うと、エプロンを綺麗に畳んで返却ボックスに置き、この家の住人のように椅子に座った。
着ているのは学校用のシャツだろうけれど、校章がないからどこの学校の生徒かはわからない。
見た目も動作も律儀な女子生徒を思わせる。けど気のせいだろうか、椅子に座った彼女の澄んだ目の奥にイタズラ好きそうな揺らめきを感じるのは……。
それにしても同年代の女の子が、三日間も男の家に泊まり込むのはどうかとは思う。僕の両親はだいじょうぶだと思ったのか?
「わたしは
「僕は
事態が完全に把握できない僕はぶっきらぼうに返事すると、橘さんは少しおかしそうにクスクス笑った。
橘さんは突然、思い出したかのように一言付け加えた。
「今日の朝食の一品に針が入っているから探してみてね」
橘さんはさわやかに笑顔を振りまく。
何それ、どういうゲームなの……?! 突然の脅迫めいた台詞に僕は唖然としてしまう。いくら冗談でもきつすぎやしないか。
彼女への淡い期待が、すぐさま裏切られた気分だ。お人よしな僕は
「もちろん、冗談だよね……」
「冗談なわけないでしょう」
橘さんは真顔で言った。僕の背筋に冷たいものが走る。
僕は内心動揺した。彼女は僕に対して危害を加えようとしているんじゃないか。
危害を加える動機は不明だ。頭がおかしいか、きつい冗談なのか。それとも受験勉強や、家庭のストレスなどが原因?
もしかしてヤバイ子なの?
2. サイン ~橘真美~
僕は椅子に座り、朝食が出来るのを待っていた。
夢見がちな僕は、女の子が朝から料理してくれるなんてことは、
「出来たよ。ええと……小浮気。針も入れたから完璧だよ」
ニコニコ笑っているから怖い。これが本物のサイコパスと呼ばれる精神病患者だろうか。
「あのさ。針、入っているんでしょ。何が……」
言いかけたところで甲高い声が耳に響いた。アッハハハハハ……! 笑っている……、橘さんが笑っている。
通報する前にここから逃げよう。
「まさか本当に信じるとは思わなかったよ」
「え……?」
急に彼女が年相応の女の子に見えた。これがほんとうの彼女の素顔なのだろう。けれども僕は、過去のことを水に流せる人だった。
「やめてよ。心臓にわるいから」
僕はほほえみながら彼女を
「ごめんね。ちょっとからかってみたかったの。だってお隣なのに……」
彼女が言い終わるうちに僕は朝食に手をつけていた。行儀がわるく僕らしくなかったが、早く食べないと遅刻するからだ。
「わるいね。君も学生なら早く食べないと。感想は後で言うから」
橘さんが軽くため息を吐いたような気がした。だがそれに構ってやれるほど僕の心には余裕がなかった。
僕は制服に着替えると、川北高校へと向かう。
靴を履いて扉を開けようとしたとき、不意に後ろから声をかけられた。
「駅までいっしょに行かない?」
女心に疎い僕は断るしかなかった。
「わるいけど今度ね。君も早く学校へ行きなよ!」
バタンと扉を閉め彼女を後にした。残された彼女は肩を落とし、借りている小浮気の両親の部屋へと戻った。
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