はざまの子

西園寺 有里素

着物のくに

 町の中心にある聖ペテロ教会の鐘の音で、スージーは毎日7時ごろに目を覚ます。父はもう仕事に出かけ、母はスージーのために弁当を作ってくれている。眠い目をこすりつつ、カーテンを開ける。窓から見えるのは、いつもと同じ景色だ。オークの木、お隣さんの家、草ぼうぼうのうちの庭、この景色を毎朝、9年ほど見てきたわけだ。さすがに飽きる。それなのに、気が付くとぼーっと眺めてしまう。

「おはよう、スージー!」

母が部屋のドアをノックする。慌てて、

「今行く!」

と答える。時計をみると、起きてから15分もたっていた。ギンガムチェックの制服に着替え、髪を整える。我が家では朝食はシリアルと決まっている。いつもの通りにシリアルをかきこむ。かばんを背負うと、ダッシュで学校に向かう。イギリスの学校は朝が早い。今日もスージーは、いつもの道をかけていく。


 スージーはいわゆるハーフである。二重国籍やダブル、ミックス等々いろいろな言い方があるらしい。彼女の父はイギリス人、母は日本人である。ただ、スージーは日本のパスポートを持つことができなかった。父が許さなかったからである。スージーは完全なイギリス人として生きるべきである、というのが父の考えであった。だから、スージーはイギリスのパスポートのみを持っている。一家が日本に住んだことは一度もなく、日本を訪れたこともほとんどなかった。だから、スージーにとってはイギリスが故郷であり、母国なのだ。


 学校では、スージーは人気者だ。父から形の良い鼻と、母から美しい黒髪を受け継いだスージーは、しっかり者で、先生からの信頼も厚い。クラスリーダーを務めていた。クラス会の司会や、代表としての役割をになっていた。イギリスの学校は終わるのも早い。午後2時頃には家に帰ることが許される。だがスージーはその後も残り、先生の手伝いをしていた。今日も担任のミス・スミスの手伝いをしていた。手伝いといっても教室の掃除や配布物の整理などが主だったが、スージーはそういった事が好きだったから苦にならなかった。30分ほどして、配布物の整理が終わったので、家に戻ろうとするスージーをミス・スミスが呼び止めた。

「スージー、今日も手伝ってもらえて先生はとても助かってるわよ、どうもありがとう。」

ミス・スミスは笑顔でそう感謝した。

「いいえ、私、整理したり片付けたりするのが好きなんです。」

スージーははきはきと答えた。

「そうなの、それはとても良いことだと思うわ。でね、スージー、先生はあなたに一つ聞いてみたいことがあるの。」

「あら、なんでしょう。」

「あなたのお母さまは日本人と伺っているけど、もしあなたが気が乗るなら、今度の社会の時間に日本について教えてほしいんだけど、どうかしら。ほら、今度アジアの経済についてべんきょうするでしょう。その時に日本に関する知識は必要だから。もしよかったら、あなたはどうかと思って。ああ、本当に簡単なプレゼンテーションのようなものでいいのよ。」

スージーは答えに迷った。正直、日本についてはほとんど知らない。東京という首都と、オハヨウという挨拶はGood morningという意味であることくらいしか、本当に知らなかった。だが、スージーのプライドが断ることを許さなかった。

「あの、私、できます。やります。」

スージーは答えた。きっと先生は喜んでくれると期待しながら。

「本当にいいのかしら!ありがとうスージー。では、来週までにかんたんな発表の準備をしてきてちょうだい。」


 約束したは良いものの、スージーは困っていた。家に戻ると、父がいる。日本について母に話を聞くにはタイミングが大事だろう。機嫌が悪くなられたら困る。発表に使う画用紙をそろえながら、スージーはそんなことを考えていた。幸い夕方になると父が出かけたので、じっくりと母に日本の話を聞くことができた。日本の位置、地名、天候、習慣、歴史、そんなことをメモにとった。すると母が急に思い出したように言った。

「そういえばスージー、あなたに一つ、見せたいものがあるの。」

「何?」

母は押入れの中から長い箱を取り出した。独特な香りがする。箱を開けると、中には朱色の美しい着物が入っていた。

「これ、実はあなたのよ。」

母がさらりと言った。

「私の?ママが買ってくれたの?」

「いいえ。あなたのおばあさんが誕生記念に買ってくれたのよ。」

「日本にいる、おばあさん・・・?」

「ええ、そうよ。あなたは一度も会ったことがないけれど。」

「でも、パパは日本のおばあさんは私が生まれる前に亡くなったって・・・。」

「あなたが生まれる3週間前に亡くなったの。でも、ずっとあなたに会えると思って楽しみにしてたのよ。この着物だって、あなたが生まれる前におじいさんと一緒に買ってきたものなの。」

「・・・私、その着物、着てみたい。」

「着物は着方が難しいの。私はわからないわよ、着方を習わないとね。自分の部屋にもっていって、大切に保管しておきなさい。パパを怒らせないように。」

「分かってる。」

スージーは着物を大切に抱えながら自分の部屋のハンガーにつるそうとしたその時、袖から何かが滑り落ちた。ひろうと、封筒だった。日本語で宛名が書かれている。茶色っぽくなっている封筒をそっと破ると、中には一枚の手紙が書かれている。ほとんどが日本語で書かれているが、最後の方にたどたどしい英語で

「This is kimono for Susie.スージーのための着物です。 Susie, please become a bridge between the two countries.二つの国の架け橋になってください。 From your grandpa, grandmaあなたのおばあさん、おじいさんより」

スージーは何度も何度も手紙を読み返していた。二つの国の架け橋になってほしい、その言葉がスージーの胸にひっかかった。その言葉がスージーが忘れていた大切なことを思い出させた。


 スージーは真面目だった。周りの期待に応えることや、きまりを守ること、人を裏切らないことを大事に思っていた。そして、実際に期待に応えてきたつもりだった。だが今、祖父や祖母の期待を裏切っているような気がして混乱していた。日本語など話せず、日本についての基礎的な知識さえ持っていないのに、架け橋になどなれない。スージーは辛かった。初めて母を恨んだ。なぜ日本語を教えてくれなかったのだろうと。父を恨んだ。なぜ日本に短期間訪れることさえ許してくれないのだろうと。悔しかった。悲しかった。なにもかも蹴飛ばしたいと思った。日本語さえ話せれば、将来は日本でも適応していけるかもしれない。日本についてもう少し知っていれば、胸を張って日本との懸け橋になりたいといえるのに。スージーは葛藤していた。


 やがて発表の時がやってきた。ミス・スミスやクラスメイトの前での発表は、もう慣れていたから、緊張せずに淡々と発表した。日本の位置の話から始め、気候の特徴を説明すると発表は終わりだった。誰からみてもきっちりと用意された、生徒としては素晴らしい発表だった。皆が拍手した。ミス・スミスは感激していた。だがスージーは悲しみのあまり、涙を必死でこらえていた。この発表が終われば、もう日本について考えることはなくなってしまうような気がしたからだ。まるで、日本に別れを言わなければならないような気がしていた。そんなことを思うと涙がついにあふれてきてしまった。ミス・スミスが慌てて水とティッシュを持ってきてくれた。が、それでも涙はとまらず、スージーは頭痛がすると訴えて早退した。


学校を出ると空気が新鮮だった。スージーは歩き続けた。どこまでもどこまでも歩き続けた。ふっと疲れて寝転がった。空が青い。太陽がまぶしい。元気がわいてくるような気がする。その時、スージーは決意した。日本に行ってみようと。父も母も関係ない。あと6年でスージーは大人になる。そうしたら、絶対、日本に留学しよう。そう決意した。必死に勉強し、奨学金をとって日本に行ってみたい。kimonoのくにに行く、いつしかそれは、スージーの目標へと変わっていったのだ。






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はざまの子 西園寺 有里素 @aliciabrown

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