誘買い犯

その１

「これからお前には大事な仕事をしてもらう」

　私が今、耳に当て、会話をしているモノはスマホではない。拳銃だ。

　それも、自分以上に大切な命を刈り取ろうとしている拳銃だ。

「いいか、変な真似は起こすな。その時は息子の命はないと思えよ」

　電話の向こうの犯人の声に命令され、やってきた駅前のロータリー。

　平日の昼間にも関わらず大学生らしき若者、サラリーマン、話しながら歩いている主婦らと、人通りは賑やかだ。

　挙動不審になっていないか周りの視線が刺すように気になるが、悟られてはダメだ。息子の命がかかっていのだ。

　気付かれないようにスマホを耳に当てて、平然を精一杯装いながら、通り過ぎていき、駅構内へ入っていく。

「トイレが空くまで、時間を潰せ。怪しまれるな」

　変声機の声に指定された駅のトイレ横のコインロッカー。

　ちらっとトイレの中を覗くと、鏡で白髪を確認しているサラリーマンが一人。なかなか出て行かない。

「おい、まだか？」

　電話の向こうが声の圧力を上げたが、むしろ焦ったいのはこっちだ。

　私の睨むような視線に気づいたサラリーマンは、こっちを睨み返しながらトイレから出て行った。

「行ったぞ」

「よし、開けろ」

　指定されたコインロッカーに近付き鍵を開けると、黒い革の鞄が一つ。

「中身は確認するな。持ってすぐに個室のトイレに入れ」

　片手で鞄の持ち手を引っ張った瞬間、肩に鈍い重さを感じ、私の力が鞄に跳ね返された。

　なんだ、これは？

　想像以上に重い。

「早くしろ」

　両手で持ち手を引っ張り、鞄を抱えるようにしてトイレの個室に走った。重みと革が滑って、床に落ちそうになる。

　トイレの個室に入り、床に下ろすと「ドスン！」と重い音が広がっていく感触があった。

　何が入っているんだ？

「中を開けろ。いいか、何が入っていても声を出すな」

　重いものを持った事と緊張が入り混じり、心臓の鼓動が激しくなりながら、ファスナーを恐る恐る開けた。

　息子が誘拐され、身代金を要求されるものかと思っていたが、何やら雲行きがおかしい。

　ファスナーが半分に来たところで、中身に気付いた。

「お金？」

「喋るな」

　思わず口に出てしまった。しかも、並みの額じゃない。

　一万円札の束が子どものオモチャ箱のように、無造作にいくつも入っている。

　幾らあるんだ、これ？

「三千万だ。いいか、息子を返して欲しかったら、その金を今から二時間以内に使い切れ」

「えっ！　ちょっと、二時間って」

「喋るな！」

　銃の撃鉄を引かれたような声に、私は黙り込んだ。

「ただし、これから言う条件を守れ。

　まず、警察に捕まった場合、我々のことは言うな。お前の金だと言うことにしろ。警察に我々のことがバレた時は容赦はしない。

　次に、一つ二十万円以上の高級品を買うことは許さん。あと、土地やサービス業などの無形なものも買うな。買うのは、実物の商品だけだ。

　最後に、買った商品はすべてお前が責任を持って、家で使うこと。

　それを満たせば何を買っても自由だ。前から欲しかった物でも好きなモノを買え。

　だが、一つでも守れなかった場合、息子の命はない。いいな」

「わ、わかった」

　上ずった声で返事をする。

「時計が10時ちょうどになったら、始める」

　いきなり、カウントダウンが始まった。

「３、２、１、よし、出ろ。怪しまれるな。二時間後にまた電話する。それまでに買い物を済ませろ。いいな」

　電話はそこで切れた。

　どうする？　たった二時間で三千万など、新築の家以外でそんな大金を使ったことすらない。

　駅の外に出て、カバンを抱き抱えながら、ひたすら高いものを考えたが、何も出てこない。

　車は欲しいが、買えない。

　二十万以下の高級品なんて、庶民の俺にそんなポンポン出るはずがないだろ。

　というか、誘拐されて金を払うどころか、貰って好きなものを買えだなんて、犯人は何を考えてるんだ？

　しかし、今はそんなことを考えていてもしょうがない。拓海の命がかかっている。

「電気屋」

　とにかく高い物で思いついたのが、駅前の大型家電量販店。

　時間がない。

　とにかく急げ。

「いらっしゃいませ」

　平日の昼間、客の少ない時間のせいで、接客対応の店員が集中してこっちを見ている。

　が、品定めなんかしている暇はない。ここに入るまでで既に十分も使っている。

　なんせ、鞄が重いので、走りたくても小走りしかできない。

　早く金を使って、鞄を軽くしたい。

　だが、二十万以下なうえ、薄型テレビといっても、全部自宅に運ばないといけない。

　一軒家と言っても、ウチは都内のウナギの寝床のような分譲住宅。そんなに大きな物はたくさん買えない。

　パソコン。

「すいません」

　呼ぶと訓練された営業スマイルの店員がすぐにやってきた。

「何かお気に入りの物がございますでしょうか？」

「あの、この辺のパソコン、全部ください」

　私が言うと「はっ！」とあっという間に、営業スマイルが素に戻った。

「あの、地域の寄り合いで使うんです。あの、お金ならありますので」

　と、鞄から札束を一つ見せると、更に目を丸くして、「は、はい！」と上ずった声で他の店員を呼びに行った。

　怪しまれただろうか？

　だが、パソコンだけでも全然足りない。全部買っても300万くらいだろうか。

　「こちら、一括で割引しましょうか？」と、店員に値段を下げられそうになったので断った。

　安くされたら、それこそ買うものに困ってしまう。

「なるべく定価で売っていただけますか？」

「え？」

　私の返事を聞いて、店員は余計に怪しい目に変わって、レジの方へ向かった。いい終わって「しまった」と思った。

　レジにいた店長らしき人物に私の旨を伝えている姿が明らかに警戒をしている。

　だめだ、これ以上はここでは買えない。

　これ以上怪しまれる前に会計を済ませて店を出ることにした。

　もちろん、パソコンなんて持ちながら走り回れないので、全て自宅に郵送してもらい、いそいそと店を後にした。

　結局、300万程度しか使えなかった。時計を見るともう30分近く経っている。

　レジや郵送の手続きに以外と手間取ってしまった。

　買い方も工夫しなければ、すぐに怪しい目で見られてしまう。

　くそっ、犯人は俺に何をさせたんだ！