ヤマノテライブプリンセス
パラダイス農家
第1話 ライバルの名は神宮美姫
「じゃ、スケジュールね。一度しか言わないからよく聞くように。いい?
まず朝5時起きで1時間のランニング。体力付けなきゃ生きてけないわよ。
6時にランニングが終わったら朝食食べながら軽い打ち合わせ。これで7時。
その後1時間のストレッチね。アイドルに大切なのは心と体の柔軟性よ。
9時からはお待ちかねの2時間みっちりボイストレーニング。無理に声出すと潰れるから、体から声を出すようにね。
ボイストレーニング終わったら軽くクールダウンしましょう。ウォーキングとストレッチ混みでね。
ウォームアップが終わったら昼食。スローライフなんて言ってられないわ。アイドルは急いで食べるのよ。
終わったらすぐ筋トレね。食べた分は動かないと。でも、あんまり筋肉付け過ぎないように、少しずつやりましょう。
13時からは2時間歌唱トレーニング。昨日渡した仮歌はちゃんと覚えてるわよね。
音の確認が終わったらダンスレッスンね。仮歌に併せて振り付けもしっかり覚えなさい。
17時から演技のレッスン。表情に気持ちが現れてないわよ。
演技レッスンは1時間くらいで切り上げて、夕食にしましょう。休憩だけど、昨日みたいにそのまま寝ないこと。
さあ、ゴールデンタイムね。19時から23時のプライム明けまではテレビを見ましょう。
もちろん、ただ見てるだけじゃダメよ。あなたの敵をよく知るの。
新人アイドルなんてのは、街行くちょっとかわいい女の子に毛が生えたようなモンなの。
なんたって所詮はふつうの女の子なんだから、どこかに致命的な弱点があるものよ。それを突き止めなさい。
あ、あと局やら代理店が推してるタレントはちゃんと把握しておくことね。うまいこと利用するのよ。
テレビタイム終わったら、タレント対策ね。アイドルの卵は少ないチャンスを確実に拾わないといけないのよ、分かってる?
常に全力で立ち向かえるように、傾向と対策をしっかり練っておくこと。あ、そうそう、島津伸輔には必要以上に近づいちゃダメよ。理由は言わずとも分かるわよね?
さ、日付変わったら本日のおさらいね。明日はオフにしてあげるから、がんばんなさいよ?
じゃ、お休み。あ、そうそう。夜更かしはお肌の大敵なの。早く寝なさい」
遊ぶ暇なんてない。同じ年頃の女の子達はショッピングやデートと青春を謳歌しているらしいのだけれど、これは私が選んだ道だから。
そりゃ多少は後悔もするけど、これが自分の夢だから。
まあさすがに自分でも頑張りすぎだー、なんて思うけど、睡眠時間たったの3時間でも人間生きていけるのよね。
……と言うことは、人生の三分の一を寝て過ごす必要なんて無いってことだよね。
睡眠時間3時間だと、人生の何分の一だっけ?
えぇっと……、六分の一くらい?
「八分の一よ」
さっ……最近はちょっとおバカな方がウケがいいのよ!
――ま、そういう日々を経て……。
はるか頭上から、太陽よりも眩しいスポットライトが照りつける。じりじりと肌を焦がすような熱も、押し寄せるざわめきには勝てない。
奈落の隙間から見えるのは、カラフルなサイリウムの光だ。それはまるで波のように、寄せては返す光の渚。
ここは日本最高のライブハウス、日本武道館。ライブツアーの最終日を締めくくる、初の武道館ライブだ。
いまここに居る人達はみんな私の虜。
そう、この感じ! 胸がゾワゾワするこの感じ!
子供の頃からアイドルに憧れてた。
テレビの中で踊る、お人形さんの様なかわいい衣装に憧れてた。
歌にダンスにお芝居に、時には体も張ったり不用意な発言に顔を赤らめたり。
イケメン俳優とのデートをスクープされたり、ファッションリーダーになったり。
どれもこれもが私の夢・希望・願望。
叶えるためなら2年間の下積みなんて、全然全く1ミリも苦労の範疇に入りません!
私の名前がコールされる……。野太い声から黄色い声、しわがれた声からハリのある声。
みんなの視線が一点に集中する。
奈落を登って登場する段取りだから、ファンにはまだ私の姿が見えない。
気持ちは昂ぶっている。今、私は自分が立ちたかった舞台の真下に居るのだから!
それでも足はガクガク震え、指は小刻みに握ったマイクを揺らしている。
「カットイン後カウントで奈落上げるんで準備してください」
タイムキーパーの合図。それに対応するスタッフの返答。
顔なじみのスタッフも初対面のスタッフも私には温かい笑顔を向けてくれた。
会場に流れる大音量の一発目。胸と腹に不意の音量が響く。
聞き慣れたデビュー曲でもこれだけの音量ははじめて。否応にも体の震えが止まらない。
口の中がカラカラ、いやな汗が背中を伝って落ちる。
「優姫、アイドルの『下川優姫』を武道館のジャガイモ達に見せつけてきなさい」
優しく肩を持ってくれた桜井さん。厳しい練習の日々は私共々味わってきた。
時に目の下にクマをつくりながら、対策中に船を漕ぎながら。
私は精一杯の笑顔で応える。
「はいカウント入りまーす。5……」
ライブスタッフの皆さんに一礼して、ライトが差し込む天井を見上げた。
奈落は落とし穴のような舞台昇降装置だ。コールと音響が全身を感動で打ち鳴らしている。
ここを跳ね上がり、アイドルがスモークとスポットライトに照らされながら登場する。
桜井さんの笑顔が私を送ってくれた。
「……2……」
憧れの武道館ライブが、はじまる。
無音のキュー。ゆっくり上昇する奈落に乗って、憧れの舞台へ。
二階席が見える。私の名前を書いたうちわとペンライトが踊っている。
一階席が見える。身を乗り出さんとする必死な観客達が見える。
アリーナ席が見える。立ち見でアリーナ後部にぽっかりと空間が空いている。
みんな私を見ようと体を乗り出して、身を投げ出して、少しでも私に近づこうとしている。
ここが憧れの舞台、日本武道館!
大きく息を吸い、Aメロを歌い始めた。
曲は私のデビュー曲、『愛の七並べ』(ド演歌)
ヤマノテ・ライブ・プリンセス
「お疲れ様。後半戦入る前に衣装チェックするから」
マネージャーの桜井さんがタオルを掛けてくれた。柔軟剤たっぷり、ふわふわだ。
頭から被ったバスタオルも気にせずに、楽屋の椅子に崩れ込んだ。
純粋に立ちっぱなし歌いっぱなし踊りっぱなしの疲労と、常に胸を締め付ける何か。
数多くのアーティストが憧れた大舞台は、私のような成り上がりアイドルを許していないのかも。
しかし、楽屋の一角を占有している花輪や花束には紛れもなく、アイドルの下川優姫が存在している。
「喉乾いてるでしょ?」桜井さんがスポーツドリンクを渡してくれた。
下積み時代から寝食を共にしてきただけあって、私の事はほとんどお見通しだ。
20分の休憩を挟んで再演する後半は、トークありゲストありのアイドル番組を絵に描いたような構成。
「下川優姫は歌って踊るだけのアイドルやない、喋ってナンボのアイドルや」とはプロデューサー談。
そういえば楽屋に来なかった。彼――いや彼女は今日のライブを見に来ているのだろうか。
「あいりさんはナマでMステよ。新曲の事もあるしチェックする?」
私は頷いた。もはや返答を返すだけの力もない。
アイドル・下川優姫が、オフのアイドル・下川優姫になる瞬間。
中学を卒業して、地元の高校に進学したけれど夢を捨てきれず単身上京。
女子高生だった期間なんて3ヶ月にも満たない。親ともほとんど喧嘩別れ。
2年間の下積み中は口も聞いてもらえなかった。
デビューして芽が出たから辛うじて許してもらえたが、空中ブランコの真ん中に静止しているような宙ぶらりんの人生に変わりはない。
普通の女の子な日々を送っていない私は、オフの日でも18歳の少女には戻れない。
私はもう、アイドルという人種だ。
他人の見ている所では決してボロを出すことは出来ない、皆の偶像であり続けなければならない。
テレビに映ったのは、小うるさい小柄な男――女。私のプロデューサー、あいり♀。
メスと言っても女ではない。いわゆるおネエタレントで、ビジュアル系バンドの元ボーカル。
親心あれば、とよく言うが私のライブに来てくれたことは一度もない。
出来れば見に来て欲しいのだけど、仕事の都合がどうしても合わないそうだ。
彼――彼女は別に事務所を立ち上げているし、その事務所のメンバーを優先する必要がある。
よく言うところの大人の都合。
そう、私は特別なのだ。
社長の知り合いだったあいりさんはデビュー前の私をいたく気に入ってくれた。
移籍交渉の話もあったそうだが、お世話になった事務所を離れたくなかったし、事務所側も2年掛けて育成した新人をそう易々とは手放せなかったのだろう。
そのため、別のペンネームを使って私に曲を書いてくれている。
それ以外の――所作など――指導は社長と桜井さんから直々だった。
事務所の稼ぎ頭になり、アイドルで居られなくなった先輩達を次々と追い抜いていった。
彼女らの笑顔の奥にある妬みや嫉妬が、トップアイドルへの階段を登る私の起爆剤だった。
どこかアイドルっぽい少女の後輩も居た。他所の事務所にもたくさん所属していた。
しかし彼女らはまだ『少女』という人格を捨てられていなかった。だから引き離す。そして潰れる。
私、下川優姫はどこからどう見ても非の打ち所のないアイドルであり、同時にひどい人間だ。
先輩を見捨て、後輩に手を差し伸べない。
実力主義の世界ではそれが当たり前。そう言い聞かせた。
自分が生きていくにはそれしかない。
私にはこの道しかないのだ。
休憩中の無味乾燥とした時間が刻々と過ぎていく。
音楽番組・Mステージの老齢司会者が今週のトップ10へVTRを振る。
緊張も何も、私の新曲は1位だろう、間違いはない。
「鹿野さん引退するらしいわよ」
鹿野とはウチの事務所最後の先輩アイドル。いわば目の上のたんこぶ。
私は桜井さんにどんな表情をしたのだろうか。無意識のうちに笑っていたのではないだろうか。
桜井さんの――私がどんな顔で返答したかに対しての――反応が怖くなって、すぐに視線を戻す。
孤独な芸能界で、桜井さんだけには味方でいて欲しかったのかもしれない。
雇われ外国人ナレーターがランキングを告げる。
どうせ1位だろう。これで10曲連続……。
「あら、おめでとう。初登場2位ね」
「トーゼン……」
え。
2位など意識して見ていない。
桜井さんに言われて見つめたテレビには、ハッキリと初登場2位・下川優姫の名前がある。
間違いない、3週間前にマスターがあがったPVだ。あの衣装はお気に入りだった。
いやいや、そんな事はどうだっていい。
「ちょっとどういう事よこれ!」思わず口に出してしまう。
疲れも吹っ飛ぶ。
「おかしいわね、メジャーどころとはぶつかってないはずよ?」
桜井さんの情報もそっちのけで、楽屋の液晶テレビにかぶりつく。
そんなバカな、私が1位じゃないって言うの!
それじゃ誰だって言うのよ、私の新曲に合わせてCDプレスした大バカは!
Mステージの1位はスタジオで披露というシステム上、ランキングはCM後に引っ張られる。
つまり、桜井さんは私に出演依頼が来ていない事を事前に知っていたことになる。
私のCMが流れはじめた。いつ見てもすっきり爽やかな美少女っぷりだ。
桜井ちゃ~ん、ちょっと聞いてもいいっかなー。
「どうせ武道館だし1位でも出られないでしょう。だから知らせなかったの」
紹介されても現在武道館でライブ中だから来られませんって紹介されたかったのに!
桜井さんは私のそういう妙な考え方まで読んでいた様で、くすくすと笑っている。
「まぁいいじゃないの。たまにはそういうこともあるわよ」
たまにはって……。私は溜息をついて背もたれにひっくり返った。
販促も打たずにCDプレスしてくるなんてよっぽどの大バカだ。
しかも私の新曲の発売日にぶつけてくるとなると、相当の自信家あるいは身の程知らず。
大バカで大御所。【芸能界対策ノート】に書いたことを思い出しながら、そんなことをしそうなバカを思い出す。
初動10万は堅い私よりも上を行く、大御所でバックアップの強いバカ。
そんなの……居ない。
……まさか、まだ芽を摘み切れていなかった新人だっていうの?
一体誰なのよ!
CM空けのアイキャッチが流れる。
聞き慣れたBGMよりも聞き慣れないバカ野郎の名を拝む方が先だ。
サングラスを輝かせて紹介する先に、私から10曲連続1位の座を引きずり落としたアーティストが居る。
誰よ、さあ早く。
「このカメラの動きは野村さんね」
コラ万年2カメの野村! とっととパンしなさいよ!
テレビには、絵に描いたような美少女が写された。
栗色の髪の毛をカールさせたコケティッシュな出で立ちに、飾らないシンプルなワンピース。
透き通る様な灰色の瞳と絹のように白い肌。地上波デジタルのどアップでもキメ細やかだ。
アップに強い美肌系。つかみはOKって事かしら。
野村め、このカメラワークは私に対しての嫌味なの!?
続いて顔から、首筋にかけて、綺麗に整えられたうなじラインと健康的な肩胛骨。
白くて細い腕。華奢な印象は受けるが線が細いなんて印象は全くない。
新人にしては自信に満ちあふれた出で立ちと崩れることのない優しそうな笑顔。
見下ろすと言うアイドルには少々難しいカメラアングルにもバッチリ対応できている。
私が見下ろし笑顔の習得に何年かかったと思ってるのよこの新人め!
「あぁ、野村ゾーンよ」
分かってる!
野村ゾーンとは2カメの野村が独断かつ打ち合わせ抜きで、ただでさえ低めのカメラアングルをさらに下げ、足から見上げた子供の目線を撮るお茶の間のお父さん方に大人気のカメラワーク。
そのカメラに映る領域を野村ゾーンと言い、アイドル業界では恐れられている。
イヤな顔一つせず、野村ゾーンを喜ぶように微笑んで、執拗なローアングルの応酬に耐え抜いた。
少し顔を赤らめながらも、野村和也35歳独身の独断を楽しんでいるそぶりさえ見せる。
この子……できるわ……。
バラエティ番組で子グマに殴られた時と同じ衝撃を受けた。
「すごいわねこの子」
摘み取らないと……。この子は絶対に私を超えてくる。
生き残るため、生き残るため。
彼女には悪いが、私が先輩アイドルとして直々に潰す。
名前テロップ。
神宮 美姫
「じんぐう みきちゃんだって。かわいいわね」
良いわ、神宮美姫! この下川優姫が貴女を明治神宮球場のサビにしてあげる!
「野球選手に迷惑かけちゃダメよ?」
タイムキーパーが楽屋を尋ねてきた。テレビには歌う神宮美姫の姿がある。
歌唱力も十分。ダンスも出来る。よく訓練されたアイドルだ。
私だって負けられない。
神宮美姫、私はあなたをトップアイドルへの踏み台にするわ。
楽屋を出る。去り際に聞こえるテレビの音。
喝采の拍手の中、挨拶をする彼女の声。
「ライバルは」そう聞かれた彼女が間髪入れずに放った名前は。
そう。良い度胸してるじゃない。
受けて立つわ。神宮美姫。
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