叫び声を歌に乗せて歩こう

ごんべい

叫び声を歌に乗せて歩こう

1/

 世の中で僕はそこそこ幸福な人間なんだろう。

 何故なら僕にはお金があるから。比較的裕福な家庭に生まれた僕は両親が死んでから、親の遺産を食い潰して生きている。

 親がいない。そんなことは些末なことだ。

 父親は交通事故、母親は癌で死んだ。そんなことは、誰にも言わなければバレはしない。幸いにも僕を引き取ってくれる親戚はいたけど、僕は高校生になって1人暮らしを申し出た。

 12歳で母親が死んで13歳で父親が死んでから、僕を家に置いてくれた優しい人たちだったけど、僕には少し窮屈だった。

 彼らが優しいのはわかったし、別に遺産を目当てに僕を引き取ったとか、そういう人たちではない。僕は学校に通っていたし、何不自由なく暮らしていた。

 だけど、そこはあまりにも僕に優しすぎた。別に僕は両親が死んだことを慰めて欲しかったわけじゃない。

 その優しさは僕には気持ち悪かった。

 この気持ちはきっと誰にも理解されないだろうな。別に理解してほしいわけじゃない。

 僕は、ただそっとしておいて欲しかった。

 母親が死んだ時、誰もが僕を慰めた。父親が死んだときも、誰もが僕を哀れんだ。

 そんなことをされても、僕は何も出来ない。母親が死んだ時、ショックで学校に行けなくなった僕を皆が心配してくれた、友達も先生も父親も親戚も、だけど、それが僕には無理だった。

 その間、僕は優しくされ、慰められた。だけど、優しい言葉をかけられても僕は立ち直ることもできない。ただ、誰かの優しさを受け取っても、何もできない僕が情けなくなっていくだけだった。

 こんなに君のことを心配してくれる人がいるんだから、大丈夫。とも言われたが何が大丈夫なのかさっぱり分からなかった。

 僕は全然大丈夫じゃなかった。

 だけど、時間というのは勝手に過ぎていって、僕の心というものは、そのうちショックに慣れたみたいで、僕の身体を動かしてくれた。

 なんとか小学校を卒業して、そこそこの中学に入学して、今度は父親が死んだ。

 2度めの衝撃は、思ったより僕を動揺させなかった。痛みに慣れた僕は残酷にも、死というものを受け流すことができるようになっていた。それを、些末なことだと思えるようになるまでに。

 誰かの涙も、慰めの言葉も、感傷も、僕の心を通り過ぎていってくれた。僕はとても安心した。本当に、安心した。 

 だって、父親の死も、彼らの言葉も、きちんと受け止めたように振る舞えたから。彼らは僕が、母親が死んだ時のようにどうしようもならなかった事に安心したようだった。

 だけど、時折、息が苦しくなる。もがいても、もがいても、息ができない。あまりにも、世界が優しくて、窒息しそうになる。


2/

「やぁ、少年。また来たね」

「……」

 寂れた公園に、その女性はいる。まだ少し涼しい4月らしくTシャツの上からカーディガンを羽織った快活な女性。

「ふふ、嫌なことがあったんだろ。そういう顔してる」

 綺麗な黒髪が、風になびいて、それが真っ赤な夕日に照らされてまるで燃えてるようだ。

「そんなとこです」

「そっか。ま、コーヒーでも飲め。お姉さんのおごりだから、遠慮しなくていいよ」

「ありがとうございます」

 名前は知らない。聞こうとも思わなかった。ただ、たまたま公園で路上ライブしてるところを通りかかって、その時の観客が僕1人だったから、少し仲良くなっただけの女性。 

 僕のことを何も知らない人。だから、彼女の隣は少し心地よかった。

「今日も曲、聞いてく?」

「はい……。お願いします」

「いよっし、お姉さんに任せな」 

 そういうと、彼女はベンチに立てかけてあるギターケースから、深紅のギターを取り出して、僕に曲を聞かせてくれた。

 ロックっぽい曲。彼女が作詞作曲もしてるらしく、快活な彼女らしいリズムに乗って彼女の想いが籠もった歌詞が僕の耳から頭へ抜けて、心の中に沈んでいく。

 上手い、のかは正直分からない。だけど、それは彼女の叫びには違いなくて、僕は少し、彼女の歌が好きだった。

「っと。どうだったかな、今日の曲は」

「かっこよかったです。ろくな感想が言えなくて申し訳ないですけど」

「いやいや、いいって、聞いてもらえるだけで満足だからさ。ま、君がもう少し音楽に興味持ってくれたら嬉しいけどねー」

「音楽のことは、よく分からないですけど、あなたの曲を聞いてる間は嫌なこと忘れられるから、だから、好きです。あなたの声も、曲も」

「あー、そこまで言われると照れるな。嫌な気はしないけどね」

「そうですか……」

 しばらく、沈黙の時間が流れる。別に何か共通の話題があるわけじゃないし、歳もまぁ10歳ぐらいは離れてるかもしれないのだから僕が曲を聞いて、感想を言うとそれだけで終わってしまうときも多い。

 僕が彼女に何かを質問することはないし、彼女も僕のことを詮索したりはしない。だけど、それでよかった。

 この関係には、僕たちの身の上話とか、日常とか、そういうものは要らない。お互いがお互いを知らないほうが心地が良い。少なくとも僕にとっては。

「じゃあ、今日は帰ります」

「そっか。じゃあ、また今度。次は日曜の昼ぐらいからいるから、よかったら来てよ」

 

3/

 『高校生で1人暮らしなんて、凄いね。お金持ちなんだ。いいなぁ』

 

 その言葉に、悪意が無いことは分かっていた。だけど、心がざわついて仕方がないのが、嫌だった。

 なんとか、愛想笑いで誤魔化して、なんとか、普通の人間のように振る舞った。なんとか、息ができる。大丈夫、大丈夫。大丈夫だ。

 

 『へぇ、1人暮らしを許してくれるなんて、叔父さんたちに感謝しなきゃね』


 その言葉にも、悪意はない。分かってる、分かってる。分かってる、大丈夫、まだ、息はできる。

 


 『あまり叔父さん叔母さんを心配させちゃだめだぞ。ご両親が死んで心配してくださってるんだから』


 その言葉も、悪意なんてどこにも感じられない。

 だけど、あまりにも窮屈で、あまりにも、苦しくて、あまりにも耐え難い。そんなことを、言われて僕はどうすればいい。

 叔父さんたちから逃げたくて1人暮らしをしたけど、これじゃ、何も変わらない。いや、もっと苦しくなったみたいだ。

 心配してくれなんて、頼んだ覚えはない。

 だけど、心配してもらわなきゃ、僕は生きてないことにも気づいてる。だから、苦しくて、苦しくて、苦しくて、苦しくて、苦しくて、苦しくてしょうがない。

 これ以上、僕はどうすればいい。僕は、どうやって息をすればいい。僕はどうやって生きていけばいい。

 優しくされれば、ありがとうと言えばいいのか? 心配されたら、大丈夫といえば満足できるか? 慰められたら、笑えば安心してくれるのか?

 最初から、頼んでもいない。だけど、誰も僕を心配してくれなきゃ、僕はどうやって生きていたんだ。親の遺産があるからって、たかだか17歳の高校生が1人で生きていけるわけない。

 僕は生かされてる。それがあまりにも、苦痛でしょうがなかった。だって、僕にはどうしようもないから。



4/

「や、また会えたね。少年」

 季節はもう夏、高校生の僕は夏休みだ。彼女がどういう人なのかわからないけど、彼女がいる、と言った日には平日の昼間だろうがお構いなしにそこにいてくれた。

「そうですね。良かったです、いてくれて」

「まぁ、暇だからねー、あたし。ほら、ジュース、買っといたからどうぞ」

 自販機で買っただろうオレンジジュースを一口飲んで、ベンチに腰掛ける。夏休みだからか、そもそも休日だからか、寂れた公園でも少しだけ騒がしい。何より五月蝿いのは蝉の鳴き声だけど。


「あのさ、大丈夫?」

 

 ベンチに座って数分、ボーっとしていると不意に話しかけられた。

 蝉の鳴き声と、少しだけ騒がしい子どもたちの声が急にどこかに消えたように彼女の声が鮮明に聞こえた。

「え?」

 心臓が少し跳ねた。

「なんか、凄く苦しそうだから」

「そう、ですね」

 見透かされてしまうほど、僕は自分を取り繕えていなかっただろうか。彼女が僕にこんなこと聞いてきたのは初めてのことだ。

「あなたこそ、大丈夫なんですか。僕は夏休みだけど、あなたは大人なんでしょ。仕事とか、ないんですか」

 思ったより動揺してるらしい。僕は少し強い口調で、彼女の質問に答えないように話をそらした。最低だ。

「あー、あたしってそんな年上に見えるかな。一応大学生なんだけど」

「え、ああ。そのすいません……。だって、少年、とか呼ばれてるから……」

「ああ、そういうばお互いの名前とか知らないで半年ぐらいになるのか。ま、仕方ないか。あたしはまだ20歳なりたての大学2年生だよ」

 凄く大人びて見えたけど、僕と3つしか離れてないのか。

「えーっと、僕は高校生です、2年生。部活とかやってないから夏休みも暇で」

「あー、あたしもサークルとか入ってないし。友達とかいないしさ。大体1人なんだよね」

「意外です。友達とか、多そうなのに」

 ああ、よくないな。話が、止まらなくなってる。これ以上、お互いのことを知るべきじゃない。こんな話をしていたら、いつボロがでるか分からないだろ。

「はは、そうかな。あたしって、話すの苦手なんだよ。君と会ってるときもだんまりしてることが多かったでしょ? 私って得意なことあんまないし、勉強とか運動もあんまりね。興味のあることも少なくって、周りの子たちの話についてけなくてさ。空気悪くしちゃったりとか、そんなだから影も薄くなってくしね」

 彼女はどこか自嘲気味に、自分のことを話した。それは、僕にはとても苦しそうに見えてしまった。彼女にも、黙って何もないところを見てる僕が、苦しそうに見えたのだろうか。

「あなたも、苦しいですか……?」

「そうだね……。たまに苦しい、かな。だから、苦しくなったら歌うんだ。これがまたどうしようもなくて、軽音部とか軽音サークルとか入ってもうまくいかなくて、結局1人。でも、今は君が聞いてくれるから1歩前進! かな……?」

「そう、ですか。僕なんかでよければいつでも聞きますよ」

「ありがと。で、君は、いや君も苦しいの?」

「そう、ですね。毎日、苦しいです。虐められてるとかじゃないんです。ただ、他人の優しさが苦しいんです。僕は、両親が亡くなってて、だけど、誰かに心配されることがあまりにも苦しくて。何言ってるか、分かんないですよね。すいません」

 そして、僕は彼女の問いに、何のごまかしもせずにそのまま話してしまった。ああ、終わりだ。

 彼女も、僕を心配する。それとも怒るかな。そんなに心配されて、もっと感謝しなくちゃいけないとか、そういうこと言うのかな。そんな分かりきってること何度聞かされたってどうしようもないのに。

「そっか……。じゃあ、一緒に歌う?」

 それは、予想外の返答だった。そんなことは言われたことなかったから。

「え……、どうして」

「だって、あたしは苦しさをどうにかする方法って、それしか知らないからさ。歌おうよ、一緒に。歌はいいよー。嫌なこと、吐き出せるから」

「でも、僕歌ったことなんて、あなたの作った曲、全部覚えてるわけでも……」

「細かいこと気にしなくて大丈夫。作曲ノート持ち歩いてるしさ、お姉さんに任せな」

 そう言うと彼女は強引にノートを渡してきた。暑さで頭がおかしくなっているのか、突然の状況で混乱しているのか、僕は彼女の小気味のいいギターの音に合わせて、歌い始めていた。

 それはもう、歌っているのか、叫んでいるのかよく分からない。だけど、彼女のギターの音と声に僕の声が合わさって、ずっと自分の中で疼いていた痛みが全部解放されていくような気分だった。 

 肺の中にいっぱい空気を吸い込んで、音と一緒に全部吐き出す。頭が芯から熱くなってギターの音に合わせて叫ぶことしか考えられなかった。

「はぁ、はぁ……はぁ……」

「っと。どうだったかな。今日の曲は」

「最高、でした」

 窒息しそうだった僕の世界に、彼女の呼吸が流れ込んだ気がした。

 

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