ゼロ ~心の在り処、涙を流す意味~
芦屋奏多
第1話 機械の街
あたしは雑踏の中を歩いていた。街は機械に溢れ、飛び交う交信に頭が参ってしまいそうだ。
電話、メール、インターネット、テレビ、音楽、全てが電子情報となり、電波となって人混みをすり抜けてどこかへ飛んでいく。
携帯電話を使っている人は少なくなった。代わりに、耳にはワイヤレス・イヤホンを差し、目には電子コンタクトレンズを入れる。すると情報はすぐに音となりワイヤレス・ イヤホンから聞こえ、コンタクトに映った情報が視覚から入ってくる。
携帯電話はどんどん廃れていき、こちらが主流になりつつあった。あたしは、そんな時代に古くさい携帯電話を使っていた。
零と一緒の会社の携帯だ。携帯電話には荒い画質の画像が映った。
零と一緒に美術室で撮った写真だ。
写真に夢中になっていたら正面から歩いてきた人と肩がぶつかった。
「す、すみません」
謝るけれどぶつかった人は正面を見たまま歩いていった。
電子コンタクトレンズに映るデータを見ているのか、どこか別の世界を見ているようだ。
すれ違う人たちはみんな宙を見ている。その光景が、なんだか嫌だった。
学校への登校で嫌な時間はいっぱいある。
電車の中は、通学の生徒と通勤の生徒で満員だった。誰もが耳や目から情報を得て、誰かと交信をしている。
目で文字を追い、耳で情報を聞く。
やっぱり慣れない。
数駅過ぎると学校の最寄駅に着いた。学校へはもう少しで着く。学校へ続く道は紅葉がよく映えている。
いつの時代もこういう景色は失ってはいけないと思う。この綺麗な光景を写真に収めたい。携帯電話のカメラを起動し低い背で背伸びをして撮っていた。
すると、後ろからひそひそと声が聞こえてきた。
「何あれ。いまどき携帯とか古くない?」
「あの子、一年の佐々木さんだよ。例の。知らないの?」
周りから囁かれる声は悪意に満ちていた。背中から受ける悪意を切るように、声をかけられた。
「蓮、おはよう。楽しそうだね」
「この光景が楽しそうに見えるなら、零の世界は楽しいしかないのね」
毒づいたあたしに、零は優しい笑みを浮かべた。
「そうかな? 僕には楽しい事だと思うよ」
あたしと零は今年からこの高校に通っている。
同じクラスでよく一緒にいる。「付き合ってるの?」とよく聞かれるけど、答えはいつもノーだった。
あたし達はまだ付き合っていない。
一応まだ。
「今日は美術室に顔出す?」
零は嬉しそうに言った。
「当たり前でしょ。毎日ずっと楽しみにしてるんだから」
「そうだよね」
すると、周りを取り囲んでいた女子のうち数人が寄ってきた。なんだか嫌な予感がする。
「あの、本村君。話があるんだけど、良いですか?」
やっぱりそうだ。この光景を直接見るのは初めてだけど、そんな予感はした。零はどこか冷たい表情をして応えた
「いや、良くないから、話はしたくない」
声をかけてきた女子は一瞬怯んだ。けれど、周りに取り巻きでいる女子が口を挟む。
「ちょっとぐらい良いじゃない? 佐々木さんなんかと話してる時間はあるんだから」
嫌味な言葉を嫌味な態度と表情で言われた。それなのに零は相変わらず冷たい表情をしている。さっきよりも冷たく、怒っているようにも見えた。
「君たちなんかと話したくはないんだ」
零は更に嫌味な言葉を使った。嫌味というよりか、本心で言った言葉のようだった。
「蓮、行こう」
「え、ちょっ」
さっきまで強気だった女子たちはすっかりと大人しくなってしまっていた。
あたしたちを呼び止めることもせずに、告白しようとしていた女の子は泣いているように見えた。
「零、なんで、あんな言い方したの?」
「なんでって?」
零は本当に何も疑問を持っていなかった。あたしの言葉の意味がわからないようだった。
「だって、勇気を出して告白しようと話しかけてくれたんでしょ? そういうの気持ちをあんな言い方で突き放さなくても良いじゃない」
「僕には蓮がいてくれれば良いから。他には興味がないんだ」
唐突の言葉に、返事が喉につっかえてしまった。何か言葉にしようと思っても、言葉にならない。零は更に言葉を続けた。
「蓮ほど面白い女の子はいないからね」
「喜んだあたしが悪かったわ。女の子らしくなくて悪かったわね」
「僕はそんなこと言ってないじゃないか」
笑いながら返してきた。あたしはそっぽを向いてふて腐れた振りをした。
「やっぱり面白いよ」
零は笑っていた。あたしもその様子がおかしくて笑ってしまった。
昇降口で靴を履き替える。あたしと零は同じ教室だから一緒に教室まで向かった。
「そういえば、今日って情報の授業多いらしいよ。いつもの倍だって」
「えー、やだなぁ。あたし情報苦手ー」
零は笑った。
「仕方ないよ。今の時代では情報処理が一番大事なんだから。どこに行っても情報はやってないと」
その言葉はどこか諦めに似た要素を含んでいた。電波と情報。これが現代で最も需要のある仕事のジャンルだった。
「あたし、画家になるもん。零だって画家になれば良いよ」
「またそんな簡単に言っちゃって」
零はあたしの言葉を受け、頬を持ち上げ苦い顔をした。
「簡単じゃないよ。だけど今だとさ、どこに行っても電波ばっかなんだもん。息抜きに綺麗な絵とか見たいでしょ? だったらあたし達が頑張らないと」
零はいつものように困り笑いを浮かべた。
「そうだね。きっと蓮みたいな人が大事なんだよね」
「大事って?」
「いや、こっちの話」
「何よ、気になるじゃない。教えてよー」
「絶対言わない」
零はわざとらしくあたしをからかった。
あたしにはその姿がとても愛しかった。
零はいつも穏やかで、頭が良くて、あたしとは何もかもが違っていた。その姿を見るたびにあたしはいつも胸がざわついた。
嫉妬とかじゃないと思う。
もっと淡くて、切ない、身を切るような気持ちだった。愛しいのに切ない。
零とあたしにはとても大きな隔たりがある。
その隔たりの川をあたしはいつも越えられない。零の心にはいつも届かない。
教室に着くとすぐに授業を告げる鐘が鳴った。この学校はチャイムではなく、本物の鐘が鳴り響く。あたしはその音が好きだった。心にずっしりと響いてくる。
各自の席には電子パネルがある。そのパネルに触れ授業が進んでいく。
一時間目は科学、二時間目は数学、三時間目は情報、四時間目も情報、の授業内容だった。
体育も音楽も美術も、週に一回しかなかった。あたしはその授業内容が、なんだか悲しかった。
もちろん、情報化していく現代に情報系の授業が多いのは仕方ないと思う。
でも身体を動かしたり、歌を歌ったり、絵を描いたり、そういう、人間らしく出来ることが減っていくのはなんだか寂しいし、悲しくもあった。
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