最終話 無色の未来

 勤務を終えたバッカス達出稼ぎ労働者が借家で見た光景は地獄絵図だった。

もう死臭を放ちだしたイアンに必死に人工呼吸を施し、泣き叫ぶフレッドの姿がそこにはあった。

疫病に感染していた事を知っていた住人たちはフレッドをイアンから引き離した。

「もう死んでいる。」とバッカスがフレッドに言うと、涙を流しながら一瞬固まったが、それでも信じられぬフレッドは狂ったように暴れた。

「何故病院に連れて行かなかったのだ。」「どうしてこんなところに。」

怒りの矛先を変え、何度も何度も恨み節を叫ぶフレッド。

ここではそれが当たり前なのか、皆落ち着きを払って「無理なんだ。」「外に捨てられなかっただけマシだ。」と慰めた。

出稼ぎ労働者達なりの優しさがあったのだろうがフレッドには伝わらない。

フレッドがそれを少しずつ受け入れだしたのは、イアンの死後から一か月が経った後だった。

疫病にかかったイアンの死体はマンチェスターで埋葬され、最後の最後までフレッドはイアンに付き添った。バッカス達に礼を言えるほど回復した頃、フレッドはようやくイアン最期の地をあとにした。


来た時と何ら変わらない荷物で一人蒸気機関車に乗る。灰色の霞に包まれた都市が窓の外でどんどん遠ざかっていく。

「……。」

それを曇りきった瞳で見つめるフレッド。

あたりに緑が戻り始めたころ、同じコンパートメントに老人が乗車してきた。

「ご一緒しても?」

「どうぞ。」

窓の外を眺めるイアンに老人が尋ねる。

「どちらから乗られたので?」

「マンチェスターから。」

その単語に老人が目を輝かせる。この老人も昔のフレッドと同じだ。あそこがどんな都市なのかを知らない。

「今や我が国は最先端をいっている。」

演説でもするかのように手を広げて語り始める。

「産業で右に出るものなし。この工業化は歴史に名を刻み、未来にまで受け継がれるでしょう、言うなればまさに――――産業革命。」

その革命とやらの下で届かぬ叫び声を上げている人間がいることは、命を落とす人間がいることは、未来に受け継がれるのだろうか。そんな事を思いながら微かに残る灰色の煙が漂う先を見つめる。大西洋の向こうを。

老人はフレッドの表情に気が付かず話を進める。それを聞きながら亡き人の顔を思い出す。

「火器も発達し、この先の戦争で……。」

命と環境を犠牲にした革命で、さらに命が散る。負の遺産を隠して時代が進むというならば、この先発展していく国は犠牲のもとに成り立つ発展を永遠と繰り返すのだろう。公害が子孫に与える影響、環境破壊が身体に与える影響、それが目に見えるところまで迫った時には誰もそれを止められないところまで来ている。食い止めようともがき、無理な政策という名の不可能な産物をさらに生み出すのだ。

この先の未来の行く末に思いを馳せながら、シルバーの懐中時計を握りしめる。時計の冷たさから来るものなのか、まだ冬は先なのに悪寒がした。


 故郷に戻り、新鮮な空気を溜め込みながら家路を行く。

何度澄みきった酸素を吸っても生きた心地がしない。

ここを出た時とは別の胸騒ぎがフレッドを包んでいた。その原因な何か、突如不安に駆られたフレッドは懐中時計を開く。

 時計はきちんと時を刻んでいた。

「良かった、イアン。」

不安は消えたのにまだ収まらぬ胸騒ぎと悪寒。

「……はあ。」

足取りが鉛でもぶら下げているかのように重たい。

「はあ、はあ。」

息切れがする。

「はあ……。」

呼吸を吐き出す事さえ苦しくなる。

家は目前だが畦道に膝をついてしまった。

「はあ、はあ。」

肛門が熱い。そして太腿に何かが伝う。

「……。」

臀部に視線を落とし、じんわりと染みを作るズボンが見える。広がっていくその色に、体中を絶望が染め上げる。

「うぐっ。」

下腹部の内側から刺される様な痛みで前かがみになる。治まることを知らない痛みに、視界はチカチカと光、その刹那にイアンの姿がちらつく。

「っっ!!!」

イアンと同じ疫病なら、このまま脱水で死んでしまう。

早く水をと手を伸ばすが家は未だ遥か先。

そして誰も通らぬ牧畜地帯の畦道。

「っ!」

痛みに耐え声を出す余裕も残っていない。


───このまま一人死んでいくのか。


誰にも看取られる事なくまたここに革命の犠牲者が命の時を止めようとしている。

残された力で懐中時計を開く。

フレッドの事などお構いなく、一定のリズムで時を刻んでいる。まるでそれは革命の犠牲を顧みず進み続ける自国の様に、ただただひたすら先へと進んでいる。

この懐中時計とこの工業化の先を見届けなければいけない。イアンのような犠牲の歴史も伝えなければいけない。

だが、無残にも意識はどんどん遠退いていく。

見つめる針はぼやけ、鼓膜に音だけが焼き付く。

「……。」

チクタク、チクタクとまるで子守唄の様に……。


 何日その状態が続いただろう。

フレッドの耳に焼き付いていた音は聞こえなくなっていた。

しかし、彼の掌の中で針は今も一定のリズムを刻み続けている。



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