第10話千本桜が鳴り止まない

サトルはスケジュール帳の前でひとり腕組みしていた。窓の外には入道雲がかかり、蝉の鳴り止まない8月の終わりころである。


(9月3日なら予定が空いているんだけどなぁ。水曜日かぁ。)

サトルはそのお店に今度いつ行こうか思案していた。そのお店とはー。そう、今年4月からたまさかに足を運ぶようになったキャバクラ店「コルク」である。もちろんお目当ての梨奈がいなければ意味がないのである。

スマホを取り出して緑の画面、LINEを打つ。

[9月3日はいつも通りお休みだよね?]

梨奈はいつも水曜日はお休みにしていた。返信がすぐと帰ってくる。

[おお!月曜日休みとるから出ようとしてたとこ(笑)]

それは好都合だと思うや否やピアノに向かって練習をはじめるのであった。


「コルク」はピアノが置いてあることが特殊であった。平生なんの取り柄もないサトルが少しばかり弾けるピアノを披露できるのである。そもそも最初に披露した時、思いもよらず拍手を受け、気を良くして来るようになったのがきっかけでもあった。

ある時、梨奈が「千本桜」という曲が良いと言った時、安易なサトルは梨奈にピアノで「千本桜」を披露してみたいと思いつき、量産練習してから、拙いながら演奏すれば梨奈が喜んでくれたので、これに味をしめて、今度はガーネットクロウの曲を練習するのであった。

ガーネットクロウもサトルが知らなかった、梨奈の好きな楽曲であった。


9月3日。サトルはガーネットクロウの曲を伴奏して梨奈が傍らで歌っていることを妄想しながら「コルク」に向かっていた。しかもその妄想をLINEで送ったのだからタチがわるい。

しかし梨奈の返信が[いまめっちゃヒマだから、チャンスタイムだよ]というので期待してそのお店の扉を入った。


席につくと意外にもご指名の梨奈ではなく、他の女の子がついた。

「さっきまでヒマだったのに急にお客さんが入ってきたよ。」

と言う。お客さんが入るのはお店にとって良いことであるが、サトルにとってはバットタイミングであった。

ほどなくして梨奈の登場である。

「久しぶりー。」

「うん、今日はおれが来るから、出勤した?」

「えっ、あー、そうそう。」

「月曜日休んだ、というのはダイビング行ってたの?」

「ううん、お世話になっているダーツバーの奥さんが誕生日だったの。」

「そうなんだ。」


そこから会話は途切れる事なく、梨奈の出身高校の話や、その辺りの地理をサトルはよく知っていたので地元ネタで話は広がった。

ピアノもさらりと弾いたがやはりお客さんが多くて梨奈が傍らで歌う妄想は果たされてなかった。


それから4日後、[やっと連勤終わった…。]とLINEが入っている。サトルは思い返して[そっかー。水曜日におれに会うために出たから連勤になっちゃったんだね]と返すと、それに対する返信が、[あ、でもそれは無くもないよー。]というものであった。

梨奈にお客さんが何人いるか分からないけど、きっと梨奈にとってサトルが来る日は楽しみなのだろうと思うことにした。

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