コルク〜キャバクラからはじまった物語〜

下海孝誠

第1話 コルク


サトルは友人と量産呑んだ後、たまたまその「コルク」という店に1人で足を踏み入れた。


「生演奏ですから。」

ボーイさんの案内の言葉はサトルにとって聞き捨てならなかった。


そこにヤマハのアップライトピアノが如何にも居心地わるそうに、例えれば、テレビのカメラを向けられた柴犬のように恥ずかしげに佇んでいた。


サトルはこのようなお店に足を踏み入れた自分が何処となく場違いな気がした。敷居が高い感じなのだ。

そのような意味でピアノと共感する思いが瞬時にあった。


卓に着いて女性を待っていながら店内を見渡すと、ふいに尾崎豊の「ダンスホール」を思い出した。歌詞の中には、陽気な色と音楽と煙草の煙にまかれていて、そこに登場する「お前」は、あどけなくも ませていて、訳もないのに乾杯して、こんなものよと作り笑いで微笑んでしまう。


ここは所謂「キャバクラ」であった。

妄想癖の激しいサトルは、そんないたいけな感情に浸っていたが、間も無くボーイに案内された女が意気溌剌と入ってくるとすぐとテンションも持ち直すのであった。


彼女は「梨奈」といった。

梨奈はまるで太陽の如く明るい印象があった。サトルが今まで出会ってきた「いわゆるキャバ嬢」とは、どことなく、良い意味で雰囲気が違っていた。胡散臭い感じがしなかったのだ。


梨奈の視線は意外なほど真っ直ぐであった。

「あ、あの出身はどこ?もしかして沖縄?」

第一印象を元に安易な推測をした。

「よく言われる。でも違うの。東京の中野だよ。」

「そうなんだ。」

東京出身のサトルにとって、中野に関してなにか引き出しがあれば話も広がるかと思って巡らすが、「タコシェ」しか思いつかない。


「タコシェ」はサトルが前衛的なアート活動家が好きで、知久寿焼とか、ケラリーノサンドロヴィッチとか、或いは友部正人など探している時に見つけたお店であって、話題にしてみたが、案の定梨奈は知らなかった。


こういう時はもっとマジョリティな話題からは入るべきかもしれなかった。 然し話術もない。話題もない、そうして話題を繋ぎたくて目を泳がせていると、ふとこの店に佇むピアノを思い出した。

話題埋めのつもりで、

「ピアノを弾く!」

と言った。既に呑んでいる酒の勢いがあるのは間違いなかった。

「え、本当?」

梨奈は半信半疑というより、寧ろ疑いの口調で合いの手を入れるのである。

「うん、よし、やってやろう。」


サトルは自作曲で旋律の良い局を瞬時にチョイスして酔った勢いでピアノに向かった。

酔っているのにピアノに手を出してかけると意外と緊張して息を飲んだ。

梨奈が興味津々に見ている視線を感じるからかもしれなかった。


そして滑りこむように旋律を弾き始めた。

自分で言ってはお終いだが、その旋律が店内に響き渡り、どこか刹那的な哀愁が音の波長に伸びた感があった。それもその筈サトルは夜な夜なその覚束ないピアノを弾き暮らしていたのだから、プロとは言えないまでもある程度奏でる事が出来たのであった。


驚いたのは、弾き終わって振り返ると店内のお客さんも含んでのスタンディングオベーションで拍手喝采を浴びたのであった。

「すごいね。わたし、キャバクラやっててこんな事は初めてだよ。」


サトルは自らの拙い演奏であると思っていたので、みんなの反応は意外であったが、いづれにしても、昔取った杵柄が梨奈の印象に残った事はサトルにとって予期せぬ僥倖の一石になったのであった。


そんな風にして慮外にサトルの存在を梨奈に印象付けた事は願っても無いタナボタになったのであった。

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