第2話 勇者見習い
その女性はテーブルの上の魔法陣の上に降り立った。そして、着地した瞬間にバランスを崩してすっころんだ。倒れたのは俺の上。
痛い。と言うか、もの凄い衝撃と圧力を感じた。
しかし、ぽよんぽよんと柔らかい感触がする。彼女は、一般的には〝ふくよかな〟という表現がぴったりな、ぽっちゃりさんだった。
妄想の中では鎧に兜を装備していたのだが、今の彼女はそういう堅いモノは身に着けていなかった。ゲームなら初期装備の、布の服って感じの質素なワンピースを着ていた。木綿で生成りだった。
「ご、ごめんなさい」
彼女は顔を真っ赤にして俺から離れる。
結構痛かったのだが、あの柔らかい感触を味わえたのは役得だと思った。できればもう少しくっついていたかったのだが……。
俺はよっこらせと起き上がり彼女の顔を眺める。
丸顔で目が大きく胸もそこそこ大き……いや、かなりの巨乳だった。つややかな黒髪は後ろで三つ編みにしている。かなり長くて腰までありそうだ。
そんな彼女は俯いたまま固まっている。
これは気まずい。
緊迫しているこの雰囲気をどうにかせねばなるまい。俺はとりあえず、自己紹介することにした。
「俺は
俺が魔法陣を書いていた事はとりあえず伏せておく。あのいい加減な魔法陣で彼女を召喚できたとはとても信じられないのだが、状況から考えればその可能性は高いと思う。できればそうあって欲しくない。責任を問われるのは不味い。そして、もしかすると他の原因があったのかもしれないと信じたかった。
「あら、きれいなお魚さんですね。コレ、食べられるの?」
「観賞魚です。ペットみたいなものですよ」
「ごめんなさい。ペットは食べないですよね。でも非常食なのでは?」
「非常時にも食べません。ところでお名前は?」
「ごめんなさい。ちょっとお腹が空いてるんで……私は勇者見習いのイチゴと申します。本日は召喚していただきありがとうございます」
まず、イチゴと言う名が変だ。これは絶対に偽名か通り名だと思う。そして、勇者見習いというのが気になるし、召喚に対してお礼を言ってるのも気になる。しかし、熱帯魚が食べ物に見えるのは、これ、相当に空腹なのだろうか。もしそうなら由々しき問題だ。
ギュルルルル!
彼女のお腹が鳴る。
やはり、空腹のようだ。
「何か食べる? カレーしかないけど」
「カレーというのがよく分かりませんが、好き嫌いは無いので大丈夫かと思います。しかし、その食事に対する対価を持ち合わせていないのです。今、お財布持ってないんです。どうしましょう。支払えるとしたらこの体だけなんですが……」
と体をくねらせる。
ブッ!
いきなり鼻血が抜けるかと思った。
体で払うって、それはエッチな事をしてもOKって事なのだろうか。
いや、それはイカンだろう。初対面の女性にそのような要求をするわけにはいかない。そして彼女は異世界の住人だ。我が世界、我が日本の品格を貶めない為にも、ここは紳士的対応をすべきだと思った。
「ああ、お金とかいいから。俺も食事しようと思ってたところだし、ご飯はそろそろ炊きあがる頃だし、昨日買ってきた4パック348円のカレーがあるからそれ食べよう」
俺は準備を始める。と言っても鍋に水を張り、レトルトのカレーを2パック取り出して鍋に入れ火をかける。それだけ。
俺の行動を見ていた彼女は驚きの声を上げる。
「今、どうやって火をつけたんですか? コレかまどですか? すごい精巧な作りです。びっくりです。薪は何処ですか? 炭を使ってるの??」
どうやら彼女の世界ではガス器具などは存在していないらしい。ここから説明せねばならんとは難儀である。
「イチゴさん。これはガスという可燃性の気体を燃やすコンロです。かまどの進化形で、この世界では一般的な調理器具になります。薪や炭を使って調理することはほとんどありません」
「へぇ~。よくわかりませんけど便利です。簡単だし。これを捻ると水が出るんですね。うひゃ! 冷たい。この水飲んでいいですか?」
「どうぞ」
ガラスのコップに水を入れて手渡す。
「うーん? すこーし薬品の味がします。味は微妙かな?」
「ああ、上水道の水だからね。伝染病とか衛生対策ってことで消毒してあるんだ。これでも昔に比べて水質は良くなったらしいけどね。そのまま飲んでも体に害はないよ」
「なるほど。水にあたってお腹を壊すことはないと。何ていうか、都市機能ですか。そういうのが私が住んでいた世界と比べて物凄い進歩してるって感じがします。よくわかりませんが」
そんな話をしているうちに鍋が沸騰し始めた。
火を若干弱くして吹きこぼれないようにする。
「おお、もう湯が沸きました。早い!」
薪で湯を沸かすよりガスで沸かす方が断然早いと聞いたことがある。イチゴが驚くのは無理もない。
炊飯器のブザーが鳴りご飯が炊きあがる。
大皿二枚にご飯を盛り、レトルトのカレーをかける。カレーの香りが周囲に漂う。いつも思うが、この香りは食欲をそそる。
それはイチゴも同じらしく、くんくんと鼻を鳴らしている。
「これは、高価な香辛料を使ってますね。ものすごく沢山です。それに、野菜やお肉も入ってる。ああ、なんて贅沢な食べ物なんでしょう」
イチゴは両手を合わせ感動しているようだ。目にはうっすらと涙を浮かべている。
俺はテーブルの上に放置してあった魔法陣を書いた紙を畳んで仕舞い、カレーの入った大皿を並べる。ガラスのコップにペットボトルの麦茶を注ぐ。
「いただきます」
俺はいつものように両手を合わせていた。いちごも同じように両手を合わせて合掌している。
「真似しなくてもいいよ」
「いえ。これは私達の世界では畏敬と感謝を表す作法なのです。この食事を与えて下さった神さまと壮太さんに感謝します。ではいただきます」
スプーンにカレーをすくって口に入れる。いちごは目を丸くして叫んだ。
「辛い! でも美味しい!」
ふくよかでやや大柄な体型だった彼女にあわせ、ご飯は大目に盛っていたのだが、見る見るうちに平らげてしまった。
「ああ、もう無くなってしまいました。お替わりは……ありませんよね」
「無いよ。どうにかするから、とりあえず俺が食い終わるまで待ってて」
「はい」
彼女は結構な大食いさんのようだった。俺の向いで小さくなっている。
これは、食費が馬鹿にならない。バイトを首になったばかりの俺にとって、それは脅威的な負担となる可能性があったのだ。
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