第12話

 「ふぅー出た出た、大物が出おったわ、終わったと思ってケツ上げたら、第二波がきたさか手間取ってしもうた」


「そういうのいちいち報告しなくていいですから、というかキラユイさん、ちゃんと流しました? 水の流れる音が聞こえませんでしたけど」


 洗面台の鏡を見ながら、エメラルドのロングヘアーを手櫛で整えていたカオルは、トイレの個室から出てきたキラユイに言った。


「まさかとは思いますが、記憶障害の影響でトイレの流し方まで忘れてしまったわけではないですよね?」


「流す? 何を流すんや? ケツはちゃんと拭いたんやが」


 キラユイは不思議そうに答えた。ユイと入れ替わる前は排便する必要がなかったので、彼女は昨日マタオからトイレの使い方を教わったばかりである。


「えっ? 嘘ですよね? い、一応確認させて下さい」


 カオルはキラユイの入っていた個室のドアを開けて、恐る恐る中を覗いた。すると案の定、便器の中には立派な汚物がどしっと放置されており、おまけに床にも豆大福ぐらいの汚物が一つフェードアウトしていた。


「ちょっとキラユイさんっ! 流していないどころか、一つはみ出していますわよっ!」


「それは第二波の奴やな、放っておいたらええ、そのうち世界と一つになるさか」


「意味が分かりませんっ!!」


 カオルは怒鳴りながら、トイレットペーパーをクルクル手に巻き付けて床にはみ出した汚物を拾い、それを便器の中に入れてレバーを回した。


「こうすれば水が出てきて流れますから、次からはちゃんとして下さいよ」


「はあ、まったく人間っちゅうのは面倒な生き物やで、便所に行くだけやのに花を摘むだの、クソをしたら流せだの、細かいことをぐちぐちと言いよってからに、ワシはもうウンザリや」


 キラユイはため息をつきながらぼやいた。


「……ウンザリもなにも、百歩譲ってお花摘みはトーリエ学園特有の言い方ですけど、用を足したら流すのは常識ですからね。臭いもしますし、次に使う人が迷惑します。あとおても洗って下さい、汚いですよ」


 カオルは、何食わぬ顔で洗面台を通り過ぎようとしていたキラユイに注意した。


「石鹸をつけて爪の間まで洗うのです」


「人間も便所も汚いもんや、それを無理矢理キレイにつくろおうとするさかおかしくなるんやで。汚いものをそのまま受け入れればキレイにする必要はないんや」


 キラユイはカオルの肩に手を置いて、さとすように言った。


「だから手ぇも洗わんでええ」


「はいはい、ワガママ言わないでキレイキレイしましょうね」


 カオルは拒否しようとするキラユイの腕を掴んで、力づくで洗面台まで引っ張った。


「やー! クソ掴んだ手でワシに触れるなっ!」


「誰のせいでそうなったと思っているんですか! 一緒に洗いっこすれば節水にもなって一石二鳥ですので」


 カオルはキラユイを後ろから抱きしめるようにして蛇口をひねり、水に濡らした手を重ね合いながら石鹸で丁寧に洗い始めた。


「ぬるぬるして気持ち悪いんやがっ!」


「えーそうですか? 私はすっごく気持ちいいですよ。記憶を失くして別人みたいになったとはいえ、キラユイさん相変わらず美少女ですし、柔らかくて肌もスベスベでいい匂いがします。できればこのまま捕まえて私だけのものにしたいですわ」


 カオルが耳元で囁きながら密着する力を強くしたので、キラユイはゾッとした。


「カオルよ、一応確認しときたいんやが」


「なんですか?」


「前にワシとベロキスした時、カネで解決したって言うとったけど、それってスケベ目的やったりするんか?」


「いえいえ、そのような自分勝手な理由ではありませんよ。私と以前のユイさんは、もっときよいお付き合いをしていました」


 カオルは真面目な表情でキラユイの推測を否定した。


「そ、そんならなんでワシとベロキスしたんや?」


「それはユイさんがキスをした事がないっておっしゃるものですから、つい」


「つい?」


「他の殿方とのがたに奪われる前に、ファーストキスを奪いたくなってしまったのです」


 カオルは頬を赤くして、キラユイの指の間に自分の指を絡ませながら言った。


「めちゃくちゃ自分勝手な理由やがなっ! 大体それやったら小鳥さんキッスでええやろっ! どこに舌をねじ込む必要があったんやっ!?」


「ぐへへ、だってベロキスの方が気持ちいいじゃないですか」


 カオルはだらしのない顔で言った。


「そしたらスケベ目的やないかっ!」


きよい関係ですよ」


「そもそもきよい関係やったらカネで解決せんやろっ!」


清潔せいけつな関係です」


「いくら出したんや?」


「美しい関係です」


「分かったさか、いくらワシに払ったか言わんかっ!」


「チップ程度ですよ」


「ほな、この世界の通貨でいうと三百さんびゃくバカーくらいか?」


三百万さんびゃくまんバカーです」


「さ、三百万バカーやとっ!? 庶民の年収レベルやないか! ワシはそのカネどないしたんやっ!?」


「さあ、知りませんけど、キラユイさんの記憶が戻れば分かることじゃないですか?」


 カオルは涼しい顔で言いながらこっそりキラユイの耳の穴に舌を挿入した。


「ひゃっ!? やめんかっ! どさくさに紛れて何をやっとる!」


 キラユイは叫びながら、力を振り絞ってカオルの密着から脱出した。


「真面目キャラかと思ったら、コイツはとんでもない変態やで」


「変態だなんて酷いですよ、本当はキラユイさんのウンチも持って帰りたかったですけど、我慢してトイレに流しましたのに」


「その発想が変態や言うとるんや」


 キラユイはマタオがポケットに入れてくれていたハンカチを取り出すと、濡れた手とカオルの唾液が付着した耳を拭いた。


「しかしかえって好都合かもしれん、要はワシの事が好きなんやろカオルは?」


「はい、お慕い申し上げています」


「それやったらちょっと協力せえ、クソすんのに集中して気付かんかったが、さっきから神具しんぐの気配がプンプンしよる」


「神具? 何ですかそれは?」


「着いて来たら分かる、ワシの役に立てばベロキス十秒くらいやったらしてやってもええぞ」


「ベッ! ベロキシュ十秒っ!? フォォーー!!! やりゅー!! やるやるやるやるー!! 何でもやるぅー!!」


「……お、おう、ほな行くぞ」


 キラユイはカオルの本性を見て、少し自分の発言に後悔したが、神具を回収するためなら利用価値のある人間はどんどん使っていこうと思った。

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