第7話

「おー? なんやここは? 地上の病院か? こんなところにワシと入れ替わる人間がおるんか? あっ、分かったぞフロイグ、ここの跡取り息子やな、絶対金持ちやで」


 キラユイは映像の神具が映し出している建物を見て言った。


「ふふっ、まあそのうち分かりますよ、映像の神具、例の部屋を見せて下さい」


「はい、フロイグ様」


 映像の神具は忠実に答えて、画面を切り替えた。


「あっ? 病室やがな、こんなとこに跡取り息子おらんやろ」


「ええ、跡取り息子ではなく、ちょっと彼らの様子をキラユイさんに見て頂きたいのです」


 フロイグはそう言って、キラユイと一緒に映像の神具が映し出している病室を見つめた。そこには制服を着た青年がパイプ椅子に座っており、ベッドに寝ている女性をジッと見つめながら泣いていた。どうやら彼は面会に来ているようだった。


「なんやなんや、辛気臭しんきくそうて嫌やなあ、ワシにこんなん見せたところで、どないしようっていうんや?」


 キラユイは言葉に反してニヤニヤしながら言った。


「ははー、分かったぞ、フロイグも悪趣味やなあ、人間の悲しんどる姿を見て楽しもうやなんて」


「違いますよ、キラユイさんと一緒にしないで下さい。今パイプ椅子に座って泣いている男の子が吉良きらマタオさんで、ベッドに寝ている意識不明の女の子が、彼の妹の吉良きらユイさんです」


 フロイグはキラユイの指摘を否定しながら、淡々と病室に居る二人を紹介した。


「ほーん、妹の方はフルネームがワシの名前と一緒やな。名は体を表すとか人間の世界では言うらしいが、やはりワシに似て容姿端麗やで。ほんで? だから何や?」


「彼らの顔に見覚えはありませんか?」


「うーむ、そういえば見たことあるような……」


 キラユイはフロイグの問いかけに曖昧に答えながらも、映像の神具が映している彼らをジッと見つめて、しばらく黙って考え始めた。


吉良きらさーん、面会時間そろそろ終わりですよ」


「あっ……はい」


 吉良マタオは病室に入ってきたナースに気付くと、素早く制服の袖で涙を拭きとって力なく答えた。まさか自分が映像の神具を通してフロイグとキラユイに観察されているとは知る由もない。


「……あと五分だけお願いできませんか? それでもう帰ります」


「吉良さんだけ特別扱いはできませんよ、他の方も時間を守って頂いていますので」


「そう……ですよね。僕たちだけそんなワガママ許されませんよね」


 マタオはまるで自分に言い聞かせるようにナースに言った。しかし彼の足がその場から動く気配はない。


「もうっ、私が悪いみたいじゃない……じゃあ他の病室に声かけしたら最後にもう一回来るから、その間だけよ」


「えっ? いいんですかっ!?」


「それくらいなら他の方たちも許してくれるでしょ」


「あ、ありがとうございます!」


「病室ではお静かに」


 彼女は微笑みながらマタオにそう言い残すと、扉を閉めて可能な限りゆっくりとした足取りで他の病室に向かって行った。


「本当にいい人だなあ」


 マタオはナースの気遣いに感謝しながら再び妹の顔を眺めた。窓から差し込む夕日に照らされた白い肌と漆黒のロングヘアーが、異様な雰囲気を醸し出していた。この殺風景な病室や簡素なベッドをもってしても、絵画のような気品すら感じ取れるが、その主役であるはずの妹に生命力は感じ取れない。


「ユイ……ごめんな」と彼は消え入りそうな声で彼女の名前を呟いた。


「俺のせいで」


 マタオは再び自分の目から、ポツリポツリと涙が流れてくるのを我慢出来なかった。


「あかん、全然思い出せん。ヒントや、ヒントをくれ、そもそも妹の方はなんで意識不明になっとるんや?」


 映像の神具を通してマタオたちの様子を見ていたキラユイは、記憶探っても分からなかったので、たまらずフロイグに聞いた。


「え? 本当に思い出せないんですか?」


 フロイグはドン引きの様子で答えた。


「……ええっとですね、一ヶ月ほど前に吉良さん一家は車で温泉旅行に向かう途中、事故に遭われたんですよ。その時に両親はお亡くなりになりまして、同じ車内にいたマタオさんを妹のユイさんが庇った結果、このような状況になっているというわけです」


「ほう、気の毒になあ、ほなマタオはお兄ちゃんやのに妹に守られたっちゅうわけか? そらキツイわ、妹の方はもう治らんのか?」


「ずっと意識不明のまま目を覚ましません。医者からもさじを投げられています」


「まったく残酷な世界やで、ワシやったら事故のない世の中にしたるのに。なんで作者はこんな不完全な世界にしたんや?」


「作者には我々の想像を絶する考えがあるのですよ、それに吉良さん一家が事故に遭ったのはこの世界のせいではありません」


「ほな誰のせいや?」


「幸せそうな人間が嫌いだとかいう理由で、地上干渉用のゲートから急カーブの道路にバナナの皮をワープさせ、彼らの車を崖から転落させたキラユイさんのせいです」


「……あっ」


「思い出しましたね、私はあなたが忘れていることが今世紀最大の恐怖ですよ。吉良さん一家は幸せな人生を送るはずだったのに、あなたがそれを壊したのです」


「あ、あれは不幸な事故や、どうせ運転しとったマタオのオヤジが酒でも飲んどったんやろ、ワシは知らん、早く跡取り息子を出せ」


「あなたが入れ替わる人間は病院の跡取り息子ではありません、目の前に映し出されている吉良ユイさんです」


 フロイグは説明を聞いて逃げようとしたキラユイの長い金髪を掴んで言った。


「良かったじゃないですか、神具の回収をしながら自らの罪も償えるのですよ」


「嫌やっ! そいつと入れ替わるのだけは絶対嫌っ! 他の奴なら誰でもええからっ! 貧乏で汚いオッサンでもええっ!」


「黙りなさい」


「ぎゃあっ!」


 フロイグはキラユイの脇腹を殴った。


「ぼ、暴力……反対ぃ……」


「あなたに両親と元気な妹を奪われたマタオさんの気持ちが分かりますか?」


「そ、そうや、妖精ようせいさんやっ! ワシは妖精さんにやれって言われただけなんやっ!」


 キラユイは藁をも掴むような気持ちで、責任を架空の存在に押し付けた。


「都合が悪くなると妖精さんのせいにするのはやめなさい、この世界に妖精さんはいないでしょ? いるとしたらあなたの心に巣食う悪魔だけです」


「よ、妖精さんは心が清らかな者にしか見えんのや」


「それならあなたには見えないでしょっ!」


「ぎゃあっ!」


 フロイグはキラユイの脇腹をもう一度殴った。


「それにチェンジの神具で入れ替われる人間は彼女だけです。無関係の人間を巻き込むわけにはいきませんし、彼女なら入れ替わった後も目を覚まさないので好都合です。キラユイさんの身体は私が責任をもって手入れしておきますので、心配はいりませんよ」


「わ、ワシを操り人形にするための人質やろが」


「あっ、バレました? 地上で神具の回収を怠けてたらずっと入れ替わったままですし、殺処分の可能性も出てきますので、頑張って下さい」


「悪魔っ!」


「私たちは悪魔でも天使でもなく、作者のアシスタントですよ」


 フロイグはそう言って人差しで空中に円を描いた。ワープの神具により空間が切り取られ、同時に映像の神具に映し出されていた病室にも、同じような円が出現する。


「さて、ワープが病室に繋がりました。ではキラユイさん、マタオさんに事情を説明して、しっかり謝罪をするんですよ。本来事故に遭うべきでなかった両親と妹さんは、神具が全て回収できた時に必ず元通りにしますから、そう伝えて彼の協力を取り付けるのです。それではこちらの世界から見守っていますので、頑張って下さい」


 フロイグはスラスラ説明を終えると、チェンジの神具に矢をセットして、切り取った空間に向けて放った。そしてそれはワープして病室のベッドに寝ている吉良ユイに命中する。


「やめいー!」と次にキラユイが叫んだ時には、すでにチェンジの神具の力で身体が入れ替わっており、先ほど映像の神具で見ていた病室の景色が目の前に広がっていた。


「さ、最悪や」とキラユイはベッドから身を起こして言った。


「ゆ、ユイっ!」


 隣に座っていたマタオは、急に目覚めた妹に抱きついて叫んだ。


「ユイっ! ユイっ! 奇跡だっ! うわぁぁー!」


「おい! 離さんかっ! ワシはお前の妹やない!」


「ユイッ!? もしかして混乱してるのか? 大丈夫だ、もう大丈夫だからなっ! よかったー! うわーん!!」


「……」


 キラユイは号泣して自分に抱きつくマタオに複雑な気持ちを抱いた。天井に切り取られていたワープの穴が塞がる前に、封印の神具がひらひらと手元に落ちてくる。これを使って神具を回収しろというフロイグからの無言のメッセージだった。


「ふうー」とキラユイは大きな溜息をついた後、彼の頭を撫でて諦めたように呟いた。


「ただいま、お兄ちゃん」

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