バベル幻想譚

井中 鯨

朝靄のキャラバン

 朝靄がかかったバベル大路の向こうに、何やらよくわからない影がうごめいていくのをぼんやりと眺めるのが私の日課であった。その影は、大きな街のようにも太古の恐竜のようにも見えた。さざめく波のような音が鳴り響いている。私はその音の一つ一つに耳を澄ます。婦人が朝食の支度をする音。子供が朝っぱらからちゃんばら遊びをする音。老人の腰の骨がきしむ音。馬のいななく音。全ての音が重なって、波のような音になる。それらは決して耳障りではない。全ての色を混ぜると黒になるというが、そのような暗さはなく、ただ人がそこで動き、息をしているという証の音なのである。私はこの音で目を覚まし、茶を入れた後、ベランダに立ち、影を眺める。その影は私が家を出る頃には、幻想的な影ではなくなってしまう。ちょうど七時半頃には(新聞を読んでいる時間帯だ)、赤茶の外壁と水車のように大きな車輪をいくつもかかえたキャラバンが靄の影を抜けて、くっきりと姿をみせる。五十メートルにも及ぶキャラバンは、近くで見ると海老のようにも巨大な骨の連なりのようにも見える。いくつもの旗や煙突や洗濯物がキャラバンの屋根を飾り、キャラバンを引く何十頭もの水牛や馬などの背についた飾り羽がやたらと目に付く。八時半になるとバベルの南門に到着し、商売が始まる。そうなるともう朝方の幻想性は薄れ、陽気な音楽と巧みな口上で溢れ帰る。

 年をとったせいであろう。キャラバンに対する好奇心を失ってしまった。村にキャラバンが来たときは真っ先に駆けて行き、不思議な角を持った水牛や、行商人の吸う煙草のにおいに夢中になった。しかしバベルに住むようになってからは、全く興味を持たなくなってしまった。キャラバンは老若男女が集う社交の場であるのだが、いつしか私はその喧噪を避けるようになってしまった。

 しかし、あの朝靄の影は別なのだ。あの影と音にはどうしても惹かれてしまうのだ。それは子供の頃に村の外れの街道でじっとキャラバンの到着を待っていたことが大きく関係しているのだろうか。だから、私はじっと見つめるのだ。朝靄に潜むキャラバンの影を。

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