井の中のかわづ
@yomuyomuman
第2話 夜は短くない
時刻は二十一時五十分、住宅街にある公園。ベンチに座る井戸を除いて利用者はいない。昨日と違って怪異もいない。
井戸はベンチの背もたれに寄りかかり公園の時計を見ていた。二十二時の集合に遅れないように早めに家を出てきたが、少し早かった。やることもないから眠くなる。
「起きろ」
「……」
井戸は閉じていた目を開ける。うたた寝していたようだ。正面に阿澄が立っていた。よく見るスポーツブランドのショルダーバッグを肩にかけている。時計は二十一時五十五分。阿澄も集合時間より早く来るタイプらしい。
「こんばんは。よろしくお願いします」
「……よろしく。行くぞ」
公園を出る前、阿澄から何かを放られる。両手で受け止めると見た目以上に重い。何だこれとよく見るとビニール袋に入った塩だった。
「これ、何に使うんですか」
ジップロック付きのビニール袋にぱんぱんに詰まった粗塩。袋を開けたら閉め直すことは難しそうだ。
「清めの塩だ。悪いがお前の身まで守れるか分からない。何かあったらそれを撒くなりして逃げてくれ」
「わかりました」
井戸は袋の口を開けて左腕に抱えた。何かあったらすぐに塩を投げられるようにするためだ。
阿澄は散歩でもするような足取りで町の中を歩いていく。
町に起きている異変の原因を調べるというが、手掛かりやあてはあるのだろうか。
「調査ってどうやるんですか?」
「穢れの強い場所を探して、何かないか調べる」
「どうやって探すんですか?」
「歩いて探す。今日は昼間のうちに何ヶ所か見つけた。そこを回る」
「足を使う捜査ですね」
「安楽椅子探偵じゃいられないんだよ」
◆
この町には駅があり、すぐ近くに商店街がある。ひとつの通りにまるまる屋根をかけ、雨の日でも安心して買い物ができるアーケード商店街だ。しかし今はほとんどの店舗がシャッターを下ろしている。カラオケや深夜営業の喫茶店だけが寂しく路上に光を投げていた。
「この辺ですか?」
「もう少し先だ」
そう言いながら阿澄はショルダーバッグに手を突っ込み、手に握った何かを前上方にばらまいた。その辺りの空気がぐにゃぐにゃ歪み、半透明の人間の上半身が現れた。歯を剥きだしにした物凄い形相で掴みかかってくる。
井戸が驚いて身構える間に、阿澄は右手に持った棒状の物で上半身を殴りつけていた。往復ビンタのように二回三回と棒状の物の先端で上半身の顔を殴る。上半身が堪らず両腕で顔を庇えば、がら空きになった心臓辺りに棒状の物を突き刺して下へと振りぬいた。それで終わりと思いきや、返す刀で棒状の物を上半身の腕の隙間から顔面に突き立てる。
地面に落ちた上半身に阿澄はまた何かを撒く。井戸に渡した物と同じ粗塩だった。
上半身は苦悶の表情を浮かべて消える。
「……今の、怪異ですか?」
「ああ。多分霊の類だ。通りがかりの奴を襲うつもりだったんだろうな」
用は済んだとばかりに阿澄はまた歩き出す。井戸もその後を追う。
「最近はこんな奴がうようよしてる。ほっとくと人がどんどん死んでくぞ」
「それは良くないことですね」
「そうだな」
◆
一ヶ所目の穢れの強い場所は、阿澄が言った通り上半身の怪異と遭遇した場所からほど近い場所だった。大通りから外れ、店や雑居ビルの奥に埋もれるように建つ潰れた料理屋。
「この店の二階だな。鍵は開いてる。行くぞ」
「鍵、開いてるんですか」
閉業したとはいえ、鍵は閉めてあるだろうと思っていた。
「俺が開けたんじゃない、元からだ」
どっかのガキが肝試しでもしたんだろ、と阿澄はさっさと中へ入っていく。阿澄も恐る恐る店内に足を踏み入れた。外の灯りも屋内までは届かない。阿澄の持つ懐中電灯の光だけが頼りだった。
一階の客席スペース、厨房、二階の客席スペースと見て回るが、何の気配もない。
「……何もいないんでしょうか」
「そうだな。単に穢れが溜まってただけか、ここをねぐらにしてる奴が出かけてるのか。前者だとありがたいんだが」
「待ちますか?」
いや、と阿澄は首を横に振る。
「まだ回る場所はある。ここはざっくり穢れを祓って次に行く」
阿澄はショルダーバッグから塩の袋を取り出すと、部屋の中に撒き始めた。満遍なく塩を撒いた後は、またもショルダーバッグから出した大振りな瓶の中身を撒いていく。辺りに広がる匂いに井戸は鼻と口元を覆う。
「お酒ですか」
「飲まないから問題ない」
言い方から考えると阿澄も未成年なのだろうか。どうでもいいことだった。
◆
一ヶ所目は怪異との遭遇もなく終わったが、次の二ヶ所目はそうはいかなかった。
目的地であるバスの停留所へ向かう途中、前方から悲鳴らしきが聞こえた。阿澄はすぐさま走り出す。井戸もその背を追った。走る間も悲鳴は止まない。女性の声だった。
バスの停留所が見えてくる。停留所は雨よけの屋根と椅子が連なったタイプのベンチが一基置かれているだけの簡素なつくりだ。そのベンチに女性が座っている。
いや、と井戸は自身の認識を否定した。女性は泣き声交じりの悲鳴を上げながら必死に足をばたつかせ、ベンチから離れようともがいている。あれは座っているのではなく、立ち上がれていないのだ。
阿澄は走る速度を緩めず、勢いをつけてベンチに蹴りを叩き込んだ。ぎゃあ、と痛がる声は明らかに女性のものではない。女性の体が僅かにベンチから浮き上がる。井戸は女性を抱えてベンチから引き離し、バランスを崩して二人で道路に転がった。
大丈夫ですかと声をかけるが女性はぐったりと俯いて返事がない。気絶しているようだ。井戸の手を不自然に温かい液体が濡らす。鼻を衝く鉄の臭い。女性の太腿から血が出ていた。
「何もんだ」「邪魔すんな」「人間如きが」「ぶっ殺すぞ」
微妙に違う声がてんでばらばらに阿澄と井戸を罵倒する。椅子のひとつひとつに顔があり、それぞれ好き勝手に喋っていた。
「殺されんのはてめえらだ」
阿澄は袋いっぱいに入っていた粗塩をベンチの怪異に向けて豪快にまき散らす。
「てめえよくも」「殺す殺す殺す殺す」「いてえ、痛えよお」
ベンチの怪異は椅子ひとつひとつにばらけて阿澄に襲いかかる。全部で四体。どうやって動いているのかと思ったが、脚の部分が腕になっていた。指の力で動いたり跳ねたりしているらしい。
井戸は女性を抱えてその場を離れようとするが、気を失った成人女性というのは想像以上に重い。阿澄も怪異を井戸たちから離すように立ち回ってくれたお陰で距離はひらいているが、四苦八苦しながら移動する井戸たちは当然怪異たちの目に留まる。
「女が逃げる」「あいつも女だ」「二人いる。二人食える」「逃がすな」
怪異たちは二手に別れた。二体が阿澄を足止めし、残る二体が井戸達に向かってくる。
「井戸!」
阿澄が叫ぶ。何かしらの指示が込められていたのかもしれないが、生憎名前を呼びあうだけで意思疎通ができるほどの仲ではないので自己判断で動くしかなかった。
女性を地面に下ろし、前に向き直る。怪異二体が女、肉、と歓声を上げて迫っていた。
涎を垂らす大口目掛け、井戸は袋から掴み取った塩を投げる。阿澄のように振り撒くのではなく、雪玉を作るように固く握った塩だ。
塩を口に投げ込まれた一体がもんどり打って後ろに倒れ、もう一体が警戒したように井戸から距離を取る。
「阿澄さん、お酒ください!」
無傷な一体に塩を撒いて牽制しながら井戸は叫ぶ。
阿澄は自身が相手取る怪異を蹴倒しながら、ショルダーバッグから酒瓶を引き抜いて井戸へ投げた。受け取り損ねて地面に落とす。瓶底にヒビが入るが、中身が無事なら問題ない。むしろ好都合だった。
井戸は酒瓶の首を掴んでひっくり返っている怪異に叩きつける。座面の角を狙ったお陰か、酒瓶の底から腹にかけてが割れた。怪異の酒を浴びた部分が沸騰したように泡立ち、怪異はだみ声の悲鳴を上げてのたうち回る。
「クソガキ、許さねえ」
無傷の怪異が怒りを隠さずに叫ぶ。井戸は残り僅かな塩を構えた。
「ぶっ殺してやる、手足捥い……」
中途半端なところで怪異は言葉を止めた。そのまま前に倒れて動かなくなる。
「殺されるのはてめえらだって言っただろうが」
怪異の後ろに阿澄が立っていた。離れた場所に転がるベンチの残骸。あちらは片付いたらしい。
阿澄は酒を浴びた怪異にも止めを刺した。元のベンチに戻る。
井戸は塩を両手で持ったまま、へなへなと座り込む。
「阿澄さん、お酒って、料理酒とかでも怪異に効きますか?」
「明日からお前の分も用意しておく。カバン持ってこい。両手が空くやつ」
「お願いします」
阿澄は路上に散乱したベンチの残骸や破片を払って屋根の下に放る。井戸も手伝おうとしたが、立ち上がることができなかった。
「あ……」
女性の存在を思い出して後ろを振り向く。まだ気を失ったままのようだ。井戸は這うように近づいて様子を見る。息はしているが、太腿の傷からはまだじわじわと出血している。
治療が必要だが、道具も技術もない。病院に連れて行くのは難しい。
「救急車……」
ポケットから取り出した携帯を開こうとして取り落とす。余程気が動転しているらしい。
「俺がやる。お前は傷口抑えて止血してろ」
スマホを耳に当てた阿澄からタオルを渡される。これで傷口を抑えろということだろう。
阿澄が救急車を呼ぶ間、井戸は女性の太腿の傷をタオルで抑え、阿澄が電話を切ったところで交代した。阿澄はタオルと太腿に包帯を巻いて固定する。
止血の済んだ女性を歩道まで移動させ、道路に散乱した酒瓶の破片を拾っていると救急車のサイレンが聞こえてきた。
「阿澄さん」
「逃げて隠れろ」
聞く前に阿澄は指示を飛ばす。拾った酒瓶の破片を道端に置き、二人は少し離れた場所に建つ建物の陰に隠れた。
すぐに救急車が現れ、女性を車内に乗せて去っていく。
「……行ったな」
「行きましたね」
サイレンが聞こえなくなってから井戸と阿澄は物陰から顔を出す。
暗い夜道には通行人も車もない。隠れる二人を見咎める者もいない。
「こういう、誰かが襲われてることって多いんですか?」
「……時々ある。今回は間に合ったから万々歳だな」
阿澄が周囲に人気がないことを確認して建物の陰から出る。ショルダーバッグを掛け直し、井戸に新しい塩の袋を渡した。
「よし、次行くぞ」
「はい」
夜はまだ長い。
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