青藍玉都

さかきち

序章

  序章



『瑠璃いろの天空 藍いろの海原 ここかしこ誰もなし。

 

うつろふ刻だに、もは凍りて、ただひとり姫君は永久の眠りにつきたるのみ。


 遥かなる古、御代を治めける姫君は、深き深き、かつよもや醒むることなき眠りにつきたりけり。


 古の美姫が名は、『たまゆら』といふ。その姿、陶磁の肌、朱の唇、紅紫の貴石。いづれも麗しきことかぎりなし。


『都』なる姫君、御代の玉敷の都とて、未曾有の栄えを誇りたるは、かの『たまゆら』の眠りにければ、その扉をこそ閉ぢて開かずなりにけれ。


 今となりては美姫の姿、知るものなし。かつての栄えおぼゆるものだにいたう多からず。


『人』のすむあまたの島々、大海を越ゆる遠き末に、『都』なほ夢うつつの心地なり。


 在りしに同じく行く末もまた。何をか待つらむ。


 大海を渡る永久の街、『都』にて。


 古き言い伝えなり。誰かは覚えぬべき。世を治めける姫君の望みしものは――』



 ――海宮史書・玉響伝


     ☆


 海の色を映す明るい群青の瞳は、もう海を見ることはない。

 遥かに深く蒼く、透明に澄み渡る大海原の波のむこうに、少女の故郷・『都』はある。

 けれどもそこは、少女が二度と再び足を踏み入れることを許さぬ、遠い――遠すぎる土地になってしまったのだ。

 少女はもう、「姫君」と呼ばれることもなく、その稀有なる美しさを褒めそやされることもなく、典雅な日々を悠々と送ることもないだろう。

 優しい空気に包まれて、ひねもす優雅な遊びに興じることもないだろう。

 すべては過去の憶い出。

 それは思い返せば儚い夢のよう。


 ――私が決めたことよ、ゆのか。


 踏み出す足はけして軽くはない。

 都に生まれた貴族が、故郷を捨てること。そして、海を越えて人の世界へ堕ちることは掟の上で裏切りだった。

 背徳だった。

 だから少女は、いまや罪人だ。

 追っ手の気配はまだなかった。しかし、おちおち安堵はしていられない。


 ――……覚悟したことだわ。


 ここで、生きて行かねばならない。

 生き延びねばならない。

 ここが未来へのよすがなのだ。まだ、生を諦めることはできない。

 白砂浜の波うちぎわ、早くも挫けそうになる己の心を苦々しく叱咤しつつ、少女は目を伏せた。

 裸の足元で砂が軋んだ。

 海原は背に。

 もう振り返ることのできぬ故郷は背に。

 眼前広がる砂浜は、あまりにも白すぎて、眩しくて目が痛かった。その先続く雑木林。


 ――さあ……行こう。


 簡素な夏衣の裾についた白砂をその手で払い――少女はゆるりその幼い指で髪を梳いた。

 濡れそぼつその黒髪から、潮の香が飛び散った。

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