異世界転生真剣将棋

絹谷田貫

『真剣師』

第1話 その男は如何にしてトラックに撥ねられたか


 思えば、はなから俺は金が好きで好きでならなかったんだろうな。


 金が好きで、好きで、俺にできる一番割のいいやり方だから、一生懸命にやってただけなんだろう。


 最初は、爺さんに連れていかれた町の道場だった。


 小学生にもなってなかったかな。鼻たれで言葉も危うい俺がそれ、、に夢中になって、腕をめきめき上げてくのがまわりの爺さん連中には可愛げがあったんだろうな。俺が勝つたび、小遣い銭をくれたもんだ。懐かしいね。500円玉がまだ銀色で、それだけありゃ煙草が二箱買えたころよ。道場帰りには新世界のごちゃごちゃした通りで、その銭握りしめて飴やらなんやら買って帰った。


 爺さんは陸軍帰りの昔気質らしく、プライドの高い男だったからよ。周りが銭渡そうとしても素直に受け取らねぇ。だから、方便もあったのかもな。


 家で寝てる母ちゃんに、たこ焼き買って帰ると、そりゃあ嬉しそうにしたっけな。


 顔も知らねぇ親父を待って、毎晩働く母ちゃんと、足を悪くして年金しかあてのねぇ爺さんと、育ち盛りの俺の三人家族だったが、まぁ、悪ぁなかった。


 良くなかったのは、ガキの俺が味を占めちまったことくらいかね。


 爺さんは、俺を馴染みの道場以外には連れて行こうとしなかったし、一人でうろつくのもいい顔しなかった。まぁ、わかってたんだろうな。ろくなことになんねぇのがさ。


 それも、中学に上がって、爺さんが亡くなるまでだ。


 馴染みの道場の爺さんたちが、俺のこと腫れもの扱いすんのが、糞餓鬼の俺にはうっとおしくてな。他所の道場――って、言っていいのかね。そんないいもんでもなかったが。――に、顔を出したのが、始まりだった。


 知ってるかい?


 世の中には、椅子に座って指先一つで金が稼げるモノ、、がある。


 真剣将棋、、、、ってんだけどな。


 貧乏で鼻たれの俺が、そいつにどっぷりはまったのは、言うまでもねぇことだ。


***


 真剣将棋ってのは、要するに賭け将棋の事だ。


 たいてい一口100円か500円。多くて1000円か? まぁ、遊びの範疇よ。


 それこそ、爺さんが戦争帰りしたころにゃあ、その辺の辻でもバチバチやってたらしいがな、いまどきはそうお目にかからねぇ。近所に道場があれば覗いてみりゃあいい。盤の横に煙草なりマッチなり並べて差してるのは真剣だ。せいぜい明日をも知れねぇジジイ同士の手慰みだけどな。


 とはいえ、世の賭け事の習いってもんでな。掛け金なんてのは、多けりゃ多い程いいって馬鹿ぁどこにだっているのさ。


 諭吉があっちこっちに飛ぶような勝負じゃなきゃヒリつかねぇようなジャンキーなんて可愛いもんだ。――知ってるか? この四十枚の駒の往ったり来たりに、土地だの、船だの賭ける連中も、いるんだぜ?


 そしてそんな連中が、にっちもさっちもいかなくなった時、どうするか。


 一発逆転を外注するのさ。


 俺みたいな、それっきりしか能のねぇクソガキにだって頭を下げてな。


 今の、この勝負もそうだ。


 東京都内、一晩泊まれば諭吉が小隊組んで飛んでいきそうなだだっぴろいホテルの一室で、俺は盤を挟んでいた。


 煌びやかで、ゆとりがあって、三日もいれば人がダメになっちまいそうな居心地のいい部屋なんだろうが……。両手の指じゃきかねぇ黒服の厳つい連中がそこかしこに突っ立って、思い思いに煙草なんざふかしてやがる。ど真ん中には、一つの将棋盤をはさんで男が二人。黒服の視線は、揃いも揃ってその二人にくぎ付けだ。


 部屋の両端には壁際にバカでかいソファが据えられ、それぞれ一等偉そうな男がふんぞり返っていやがる。片方なんざ両手にケバい女も侍らせて、まるっきり『週刊ゴラク』なんかの世界だ。


 俺は今、ヤクザの代打として将棋を指している。


 興味がねぇから詳しく知らねぇが、なんでも、俺が世話んなってる大阪の親父さんトコ、、、、、、と、東京の筋モンの間でもめ事があったらしい。発端は一年ほど前の小競り合いで、あれよあれよと雪だるま式に問題はでかくなり、今でも絶賛燻ってる最中なんだそうだ。


 そのやりあいの枝葉も枝葉、前哨戦の偵察戦程度のすったもんだで、土地を取り合うことになったらしい。


 重ねて言うが興味がねぇし、深入りしたってろくなことがねぇ。コナ、、がどうとか工場、、をどうとか言ってたが、どうせ俺には関係ねぇ。


 重要なのは、そのなにがしかの行ったり来たりを将棋で決めようって話が付いたこと。


 そして、俺にお鉢が回ってきたことだ。


 三十分切れ負け。一本勝負。どんなに長くても、一時間で勝負が決まる。

 

 勝てば三千万。


 負けりゃあお察しの一勝負、ってわけだ。


――言うのもなんだが、こりゃあ任侠ってより酔狂の類だぁな。


「ひひっ」


 思わず口の端が吊り上がった。こぼれた笑い声を聞いて、差し向いの対局者が俺を見た。慣れた目の色――狂人を見る眼付きだ。


 御大層に紋付き袴で現れたその男は、俺を見るなり絶句して、それから話しかけようはしてない。

「君は……」


 それでも、どうしても気になったんだろうね。『お願いします』以来一言も出なかった口が、開く。


「ヤケになってるのか?」

「――あァ?」

「いやね……。私もこの世界でそれなりに長い――こんな額の勝負も二、三度はこなしている。と、いうより、潜り抜け、、、、ている、、、。修羅場の数が、って奴さ」


 言いながら、男は厭味ったらしく、手にもつ扇子を、開き、閉じ、音を鳴らす。


 すでに、対局開始から三十分ほど。


「その時の相手は皆、なんというかね、鬼気迫っていたよ。……それはそうだろうね。こんな勝負、負けたら何をされるか分かったもんじゃない」


 繰り返し、繰り返し、音を鳴らしながら。――持ち時間も半分を割ってるってのに、余裕ぶっこいて。


「君からはそういう空気を感じないんだよね……。最初は、格好のせいかと思ったんだけどね」


 なんせ、こんな場所にジャージでくるなんてね、と開いた扇子で口元を隠しながら、男が笑う。


 扇子を、閉じた。


 そして男が、駒を引く、、


「Zだ」


 男の玉の周りが固まった。絢爛豪華。守りの王道。


 穴熊囲いからさらに固めて、絶対に王手がかからない状況。俗にいって、『Z』


 ゆっくりと手を伸ばして、男がチェスクロックを押す。体を倒し、盤に覆いかぶさるようにしながら。


「――――」


 そして、俺にだけ聞こえるように、呟いた。


「さぁ、どうする? 君の持ち時間もそろそろ半分に差し掛かろうってとこだが……」


 問いかけつつも自信と優越感に満ちた表情。俺にしゃべりかけることで、自分の中の疑念を確信に変えた微笑み。


 切れ負け――持ち時間の使いきりで即敗北のこの勝負、ここまで固めれば、負けはない。


 王手がかからねぇってことは、それだけ守りに余裕ができる。あとは俺がどう攻めようが、ぬるぬるかわしてるうちに勝負は終わる。


 みすみす穴熊を組ませ、あまつさえZに至らせるまで手をこまねいた俺の真意を、測ろうとしたんだろうが……。


「さてねぇ――」


 いやはや。よくべしゃる野郎だわ。


 オチも付けねぇ長話を気持ちよさそうに、やっぱり東京者はいけすかねぇわ。


「まぁ、一つだけ言えるとしたら」

「うん?」

「ジャージかっけぇし万能やろが文句あンのか」


 桂馬をはねて、チェスクロックを押した。


***


 持ち時間は残り三分を切るまでに減っていた。


 俺がじゃない。


 目の前の東京者のが、だ。


 一度は固めた穴熊は、今や哀れなまでに食い破られ、引き裂かれ、散り散りに消え去っていた。


 簡単な理屈だ。


 将棋ってのは同じ数の駒を使ってやりくりするゲームだ。


 守りに駒数を割けば、攻め手はもちろん貧弱になる。


 攻め手が細くなってるんなら、俺は自分を守らなくてすむ。


 そして、往々にして、、、、、攻めより守りの、、、、、、、方が読み辛い、、、、、、


 ほんの十数分前の余裕はとうに消え去り、今や男は目を見開き、歯を食いしばりながら、盤面だけを睨みつけている。


 扇子なんてこじゃれたもんはずいぶん前に脇に放り出され、にやついていた唇はひきつれて震え、ただ、目玉だけがぎょろぎょろと忙しなく動いては、盤面を駆けずり回っていた。


「……こう、で」


 聞き取れるかどうか、蚊の鳴くような声を出して、駒を動かす男。


「『詰めろ』だぜ?」

「ッ……!」


 間髪入れずに、俺の手が動く。使用した時間は五秒にも満たない。全て、予定通りの手筋で進んでいる。


 もはや死に体。


 俺の玉に王手をかけ続けなければ――細い攻め手を一手も切らさず差し続けなければ、即座に詰む状況。


「ッ、銀。ダメか。上がっても竜。なんで。クソッ……!」


 頭を掻きむしり、苦し紛れに俺の玉に食いつく東京者。


「詰めろ」

「――ッひぃ!?」


 そして、振り払う、俺。


「なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで」


 右手の爪を噛み、体をゆすり始める対局者。


 棋力の差は明らかだった。


 紋付き袴も、うるせぇ扇子も、こけおどし。最後まで投げねぇクソ根性を足しても、せいぜい一流半って程度。――そもそも、穴熊ぁ組ませてやる、、、、、、のに持ち時間の半分も使うような野郎だ。こんなもんだろう。


 その肩越しに、黒服の群れの隙間からソファに座った男に目をやると、まるで自分が追い詰められてるかのように青ざめていた。


 この程度の差し手だってのに女を侍らせてにやついて、緊迫感の欠片もなかった敵方の大物、、、、、が、信じられねぇって顔で見てやがる。


 そうだろうなぁ。絶対勝てるはずだったもんなぁ。


 八百長。


 なんせこの勝負、俺が負けたら、テメェから、、、、、六千万だったもんなぁ?


「なんで、なんで、なんでだっ! お前っ……!」


 この東京者も、話だけは聞いてたんだろうよ。半信半疑だったのが、半ばまで差して確信に変わったんだろうなぁ。


 俺にだけ聞こえた呟き。


「もっとうまくやれよ。バレるだろ?」って、あの、一言。


「――ホンマなぁ。俺も安ぅ見られたなぁ? ン?」


 俺は歯列をむき出しにする。


 俺から星を買いたいってんならな。


「桁が足りねぇんだよ。ボケ」


 王手。


 俺を舐めくさった連中の面子をズタボロに嬲って。


 こうして、俺――榊竜馬は、一週間ぶり、今年に入って二十回目、、、、の七桁万の勝負を終えた。


 そのまま一週間、東京の夜に繰り出し悪い遊びを一通り堪能し。


 大阪に帰って二日後、トラックにはねられクソミソのミンチにされた後コンクリに練りこまれて山梨の工事現場に納入された。

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