宛名のない手紙
百日紅
第1話
ロマンチックなストーリー。
そう前置きした
「ヒロインは声も届かない透明なドームに覆われた場所に住んでいて、主人公は大気汚染された外に住んでいる。ドームに文字を書いて文通をするけど、次第に文字でドームが真っ黒になって――そこからは、まだ読んでない」
「恋愛小説、好きなのか?」
「……うん」
薬師寺は少し興奮気味に早口で言い終わると、『だから読むのを邪魔しないで』と言う様に本を広げ黙り込んだ。
本当はこの本の内容を、僕は知っていた。一昔前に流行したベストセラー本で、あまり小説を読んだ事のない人でも知っているくらいの本だろう。
ただ、普段無口な彼女との会話を少しでも楽しみたいがために「どんな本なんだ?」と、僕は嘘をついてまで彼女との会話を引き伸ばした。
薬師寺は既に目線を本へ戻し、僕が居る事すら忘れた様に本の世界へ入り込んでいる。
流石にこれ以上は無理かと、僕は諦めて手元の本を開く。
図書委員が欠伸を噛み殺す音が、静まった放課後の図書室に響く。先程までの会話が嘘のように、静寂に包まれた部屋で僕は本を読むフリをしながら薬師寺を横目に見ていた。
薬師寺は先天性白皮症(せんてんせいはくひしょう)を患っている。
俗にアルビノと呼ばれ他と逸脱する容姿の彼女は、この学校では知らない人はいない程の有名人だ。しかし、それは決して良い意味ではない。
肩口で切りそろえられ、雪の様に真っ白な髪。
髪色も相まって兎を彷彿させる、ルビーの瞳。
ページを捲る手には厚めの白い手袋。
時折組み直す細足には白タイツで覆われ、薄くなった膝部分の生地から垣間見える艶美な肌。
実質的に彼女の白い肌が露出しているのは顔だけで、僕の高校である岬原高校は冬用のブレザーが白色を基調とした服という事もあり、全身白色で遠くからではただの白い塊に見えてしまう。しかし近くで見れば、これほど美しい女性はこの世にいないと僕は断言できる。
だが、個性を嫌う学生社会にとって、彼女は異端児とされた。
それは単に先の病が原因で、夏場だろうと冬場だろうと常に長袖でいる彼女の風体を気味悪がる生徒が絶えなかったからだ。
それ故に学校では悪質な噂を流布され周囲は誰も薬師寺に近づかず、また彼女も周りと関係を持たず、放課後はよく一人で図書室に居た。
今日もこうして陽も当たらない奥のテーブルを陣取り、彼女は黙々と読書をしている。その様子はまるで『声を掛けるな』と言外に言って見えた。
彼女が纏う近づき難い雰囲気が、彼女を周囲から取り残す要因の一つだと僕は思っている。
少なくとも僕は薬師寺が同性の生徒と仲良くランチをする様子や、帰路に着く姿を見たことがなかった。
左側の前髪を耳にかけ視線をぶらす事なく本へ注いでいる薬師寺は、時折難しそうな顔をしたと思ったら、クスッと小さく笑う。
普段の無愛想な顔とは裏腹に年相応な表情も出来るものだと、僕の目は自分で選んだ本ではなく、薬師寺ただ一人を捉えていた。
こんなに可愛らしい薬師寺の姿を見れるのが僕だけなのだと思うと、それだけで愉悦に浸れた。他とは逸脱しているからと煙たがる輩なんてどうでも良くなるくらい、僕は彼女と時間を共有していることが嬉しかった。
「……神代君は何、読んでるの?」
気まぐれか、彼女は本から視線を外し僕へと問う。
ずっと薬師寺の事を見ていた僕は、目が合うと気恥ずかしさから視線を外し誤魔化すように頬を掻いた。
「ミステリー小説だよ、好きなんだ」
「……そう」
「薬師寺はミステリー、読まないのか?」
「……恋愛モノ、ばかり」
「恋愛モノか。それなら『シエスタの子守唄』って知ってるか? 僕、結構好きなんだよ」
「うん。あの作者の書く世界はどれも魅力的。親を殺したヒロインの記憶を、主人公が自分の手で殺した事にする記憶に書き換えたシーンは泣きそうな程――感情移入、してた」
彼女と話す内容は全部本だった。話していたい僕は普段読み慣れていない恋愛小説を読み漁るようになった。
話題ができれば会話する回数も増える。
その度に薬師寺は笑みを浮かべてはアレが好き、コレが好きと語った。その後には決まって喋り過ぎたとハッとして口を閉じ、普段の無口で無愛想な薬師寺へ戻る。
そんな薬師寺が可笑しくって、僕はバレないように本を壁にして笑っていた。
今になっては当時図書室で読んでいた本の内容はおろか、タイトルさえ覚えていない。
だけど、屈託のない笑みを浮かべる薬師寺の顔だけは、今も鮮明に覚えている。
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