生徒会・イン・ザ・ミラー
松明
虚像(1)
「生徒会役員とは我らが智久志学園高等部全生徒の代表です。学外との交流行事の際には、智久志の顔として恥ずかしくない振る舞いを求められますし、初等部、中等部の後輩たちの目標としてもふさわしい生徒でなくてはなりません」
むやみに広い敷地に戸惑いながらようやく大講堂にたどり着いたときには、すでに始業式は始まっていて、壇上では一人の男子生徒が堂々と演説していた。
僕は転校初日に遅刻するという失態に冷汗をかいていて、講堂の一番後ろの座席に滑り込んだ途端、すっかり放心してしまう。新しいクラスへの不安もどこかに押しやられ、スポットライトに照らされた生徒会長の姿をぼんやり眺める。
一高校の規格をはるかにオーバーしたステージにも埋もれない長身。超高校級どころか大統領もかくやというほどの威厳と、重々しい印象を和らげる甘いマスク。深い知性と教養を感じさせる鳶色の眼。
一番後ろの席なのに僕がここまで詳しく観察できるのは、ステージ上部の大型スクリーンに彼の顔がリアルタイムに映し出されているからだ。本当にここは高校だろうか。
会長はよどみなく演説を続ける。
「このような話を聞かされると、自分には無理だと諦めてしまう人もいるでしょう。ですが、己の能力と責任感に対する自覚は後からついてくるものです。生徒会の門戸はすべての生徒に開かれています」
ずいぶん気合の入った生徒会長だなと僕は思っていた。智久志学園はこの地方では随一の名門らしいし、そのトップである彼は幼少期から英才教育を受けてきたエリートに違いない。きっとヴァイオリンとかピアノとかにもプロ並みの技量を発揮し、大企業重役の親からは帝王学を施され、休日には高級紅茶の蘊蓄を恋人に語りながら優雅なティータイムを愉しむのだろう。
そんな無責任な妄想を繰り広げるだけで、肝心の内容はろくに聞いていなかった。だから会長が最後に名乗って深々と礼をしたときも、その名前をうまく聞き取れなかった。「いやはや」とか何とか言っていた気がする。
始業式が終わると、「二年三組」のプレートの張り出した教室を見つけ、担任教師に詫びながら足を踏み入れる。
佐鳥という年配の女性教師は、かっかっとチョークを鳴らして僕の名前を黒板に書き、顎で僕を指し示した。
「今日からうちのクラスになる賀茂惣利くん。いろいろ教えてあげてください。はい拍手」
おざなりな拍手が始まって三秒で絶えた。
「そこの席に座って。授業始まるから」
と、一番前列の壁際を示して、佐鳥は授業用のスティックを使い慣れた得物のように伸ばすと、壇上で立ちすくむ僕を睨んだ。
「ほら、さっさと座りなさい」
佐鳥は黒板消しで僕の名前をばっさり消す。
転校生の紹介って、こんなにあっさりしたものだったっけ?
僕は言われた通り席に着くと鞄から教科書を取り出す。転校は何度も経験していたけれど、ここまで適当な扱いは久々だった。せめて名前は自分で書かせてほしい。佐鳥は「惣」の字を「葱」と間違えていたのだ。カモネギとからかわれてきた記憶がよみがえって暗澹とした気分になる。
まあ、仕方がない。ここは前の学校とは毛色が違うから、と割り切って考えることにする。
佐鳥の数学のあとも話しかけてくるものはおらず、物理、英語、現代文ときて、とうとう昼休みまで僕は無言だった。
売店にパンでも買いに行きたいけれど場所がわからない。誰かに聞こうとしても、心なしか遠巻きにされているようで話しかけづらい。今日は始業式で授業は早めに終わるから我慢するか、と身体を省電力モードに切り替えるべく机に伏せたとき、背中を叩く手があった。
「賀茂惣利くん」
顔を起こすと一人の女子生徒と目が合った。つややかな濡羽色の長い髪。日本人形のように小さな口の笑みは慎ましく上品だ。
「君、生徒会に入らない?」
「は……」何を言われているのか把握しかねた。「あなたは誰ですか」
「わたしは副会長の華村。君には書記の役に就いてもらいたいの」
「どうして、僕なんですか」
「賀茂くん、転校生でしょ? うちの学校には珍しいから、生徒会にも新しい風を吹き込んでくれるんじゃないかって会長が考えたの。始業式でも宣伝してたけど、求めてる人材が見当たらなくて困ってるんだよね」
「でも僕、もう二年生ですよ。二学期だし、あっという間に引退じゃないですか。勧誘するなら一年生のほうが……」
「だからこそよ。一年を採用して延々と世代交代を繰り返すんじゃ新しいものは生まれてこないの。新しい血をどんどん取り入れることで柔軟な組織運営が可能なんだから。普通は試験を受けてもらうんだけど、今回は会長の推薦ってことでパス」
「だとしても、僕を選ぶ理由にはならないですよ」
「君を選んだのは会長。人を動かすことにかけては並ぶ者のいないあの人が君を指定したのよ。生徒を率いる能力のある人間として認めたからに決まってるじゃない。生徒会役員は学園生徒の上位に立つべき者で、下の者たちを正しく導く義務がある」
華村はアンクル・サムのポスターみたいに人差し指を僕に突きつけて「アイ・ウォン・チュー」と悩ましげに発音した。挑発すれすれの仕草だ。
「じゃ、放課後迎えに来るから」
華麗にターンを決めて去っていく彼女の後ろ姿を見送っていると、僕のまわりに人だかりができていることに気づいた。男子も女子もにこにこと上機嫌に声をかけてくる。
「賀茂、すげえな! 会長にリクルートされたんだろ?」
名前のわからない坊主頭の男子が言うので、僕は訊いた。
「会長ってなんて名前?」
「イサハヤさんだよ、諫早会長。初等部組だけどこれまでの成績は全部トップで、初等部と中等部は首席で卒業してる。父親は諫早グループの社長だし、ヴァイオリンとピアノの腕はプロ並らしいぜ」
僕の直感もなかなか捨てたもんじゃないなと思う。
「華村さんだって負けてないよ」
と、これまた氏名不明のポニーテール女子が口を挟んだ。
「父親はノーベル物理学賞候補だから遺伝なんだろうね。中学のとき数学オリンピックの日本代表に選ばれたし、進学先はマサチューセッツかカリフォルニアだって」
眼鏡をかけた優等生風男子も僕を祝福する。
「庶務の汐見は柔道の達人で、中学時代インターハイで準優勝してる上にオリンピック強化選手だ。強盗を現行犯逮捕して表彰されたことも数回あるらしい。あと会計の佐々山は新進気鋭の天才高校生シンガーソングライターとして大手プロダクションに所属してる。メジャーデビューもそう遠くないそうだ」
出るわ出るわ超人列伝。こんなそうそうたるメンバーの末席を汚すのは嫌だなと思い始めていたが、僕を取り巻くクラスメイトたちはしきりに加入を勧めるのだった。
坊主頭いわく、「高倍率のテスト抜きで直接採用されるなんてむちゃくちゃ運がいいんだぜ? あの面子と関係を持つために必死でテスト受け続けてるやつもいるんだ。普通なら口もきけないような相手だし、仲良くなったらバックについてる団体とコネができる。諫早グループに入社できりゃ一生安泰さ」
そう考えると悪くないかなと気持ちが傾き始め、帰りのホームルームのあとも逃げ出さずに教室で待っていた。やがて「お待たせ」と現れた華村に連れられ、やたらに広い校内を歩き回ってたどり着いたのは、『生徒会室』と戸にプレートの貼られた部屋。
「ようこそ、生徒会へ」
華村は芝居がかった仕草で僕を部屋に招き入れた。
教室ひとつぶんのスペースには机がコの字型に並んでいた。その一番奥に座って本を読んでいるのは、始業式で見た通りの人物だった。
「会長、賀茂くんです」
華村の言葉に、会長は本からぱっと顔を上げる。
「ああ、君か。こっちにおいで」
僕は彼の机の前まで歩いていき、握手を交わした。力強い手だった。
「歓迎するよ、賀茂惣利くん。これからは君も生徒会の一員だ」
至近距離で向かい合うと、諫早会長から放たれる凄まじいオーラを圧として感じることができた。これが天性の才能を持つ者のまとう雰囲気なのだろうか。あるいは訓練されたカリスマ性のなせる幻か。
訊かなくてはならない質問はあらかじめ考えていた。
「あの、書記って話でしたけど、具体的には何をすれば……」
「それはおいおい説明しよう」
渋みのある声で諫早が口を濁したとき、背後で戸が開けられた。「こんにちはーっ」「お疲れっす」と男女のエネルギーあふれる挨拶が聞こえる。
「ああ、君たちもこっちに来なさい。歓迎会がてら、みんなで自己紹介しよう」
メンバー全員が着席したので、空いた端の席が僕のものになった。
「では、始めようか」
と、口火を切ったのはやはり諫早だった。
「僕は生徒会長の諫早蒼一。三年四組だ。部活には所属していない。よろしく」
「わたしは副会長の華村瑞月。三年二組で帰宅部。よろしくね」
華村に続いたのは、腕と肩の筋肉が隆々とした大柄の男子。オリンピック柔道男だろう。潔く刈りこんだ短髪と太い眉が意志の強さを窺わせる。
「庶務の汐見虎之助。二年五組。柔道部に所属してる。よろしくな」
大男と並ぶとよけい儚げに見える線の細い女子もぺこりと頭を下げる。こっちは歌手女だ。外国の血が入っているらしく、ゆるくウェーブした髪も眼も明るいブラウン。肌は抜けるように白い。
「あたしは佐々山紗耶。会計やってます。二年一組で、部活はまあ一応ギター部かな。フランス人と日本人のハーフです」
いっせいに向けられる視線が肌を刺すのを感じながら、僕も名乗る。
「二年三組の賀茂惣利です。……ええと、よろしくお願いします」
勢いよく拍手を始めた諫早。他のメンバーも追従して生徒会室は盛大な拍手に包まれた。
諫早は全員の顔を見渡して口を開いた。
「さて、これで三ヶ月ぶりに五人が揃ったわけだ。やはり生徒会室に四人は少ないものだし、欠員のぶん仕事量も増えていた。この由々しき問題の解決に一役買ってくれた副会長に感謝したい。本当なら新メンバーのためにもっと時間を割きたいところだが、学園祭が迫っているとなるとそうも言ってられない。話し合うべき議案が山ほどあるからね」
会議はさっそく学園祭の話に移行する。
すると華村が赤いノートを取り出して僕に渡した。
「これで会議の記録をとってくれる? なるべく詳細に」
「わかりました」
いきなり書記の初仕事だ。僕はちょっと緊張しながらシャープペンシルをノックした。
諫早は議題の記されているらしい青のノートを開くと、会議をスタートさせた。
「ではまず、学園祭実行委員会から上がってきている今年度のテーマについて……」
僕はうつむいてかりかりかりとペンを走らせる。なるべく詳細にと言われたのだから、各人の台詞も会議の進行状況もかったるいほど緻密に。
「『スターリーヘヴン』と『シュテルンツェルト』。この二つからひとつに絞りたいと思う」
「スターリーヘヴンは『星空』ね。もう一方は何という意味?」と華村。
「ドイツ語で同じく『星空』だよ」
「英語とドイツ語の二択ですかあ」と汐見。「ドイツ語の方が字面はイケてますねえ」
「そう? あたしは英語のほうが好き」と佐々山。「『ヘヴン』の持つイメージは視覚的に強く訴えるものがあると思う。生徒たちも来客もドイツ語は馴染みが薄いでしょ。そう思いません? 会長」
「僕は『スターリーヘヴン』に一票入れるよ。汐見くんの意見も一理あるが、やはり学園祭のテーマは学外の人々や初等部・中等部の後輩たちにアピールすべきものだ。わかりやすいに越したことはない」
「それもそうですね。俺も英語に一票」
「『スターリーヘヴン』に賛成する人は手を挙げてくれるかい。……よし、全員賛成ということで可決。次の議題に移ろう。実行委員会からの提案だが……」
神経質に書き連ねたノートはみるみる黒くなっていき、二十の議題を消化し終えたあと僕の右手はシャー芯の粉で黒光りしていた。
佐々山は背もたれに身を預けてうーんと伸びをする。
「今回もだいたい予想通りの着地でしたね」
「新しい発想は必要だが、堅実な方針も忘れてはいけない。僕たちは智久志の伝統を受け継いで後世に伝える義務があるんだから。しかし変化を恐れるのは進化を拒絶することと同じ。たとえ痛みを伴うとしても僕たちは前に進むべきだ。そう思わないかい」
「その通りですよ、会長」
汐見は頷いた。他の面々もにこにことしている。諫早の表情にさっと陰が差したように見えたのは目の錯覚だろうか。
「よし、今日のところは解散だ。お疲れさま」
お疲れ様でーす、とばらばらに部屋を去っていく役員たち。
僕は諫早にノートを渡した。彼はノートの中身をぱらぱらとめくって小さく眉を上げる。
「君はなかなかの逸材だったようだね。初仕事をここまで完璧にこなすとは」
「あ、ありがとうございます」
「この調子で明日も頼むよ。……ここは僕が戸締りするから、先に帰りなさい」
「あ、はい。……お先に失礼します」
会長に言われた通りまっすぐ帰ろうとしたのだが、華村に連れられて来たものだから帰りのルートがわからない。とりあえず一階に下りてみたところ、「南棟1F」の表示を見つけて溜息を洩らした。昇降口があるのは校舎の最北端にあたる北棟で、おぼろげな脳内地図から察するにここから正反対の位置だ。しかも新棟と理科棟は一階で連絡していないという事実が明らかになると、窓から飛び降りて上履きのまま帰ってしまおうかと自暴自棄な気分になった。
そんなわけで陽の傾いた校内を幽霊のようにさまよっていると諫早を見つけた。鞄を斜め掛けして青いノートを手に持ち、階段を三階へと上がっている。生徒会室に忘れ物でもしたのだろうか。
「会長!」と僕は呼びかける。
急に立ち止まったはずみでノートが諫早の手から滑り落ち、ばたたばたたとめくれながら僕の足元まで落下してきた。表紙に「議事録」と書かれたノートを拾って、階段を駆け上がって諫早に渡す。
「本当にすみません、急に呼んだりして」
「いや、いいんだ」
諫早はどこか困惑しているようだったけれど理由はわからない。
「昇降口の場所がわからないんですが、教えてもらえませんか」
「ああ……そっちの渡り廊下を直進して、突き当たりから右に進めば階段があるから、そこから一階に下りればいいよ」
「なるほど、ありがとうございます」
「もういいのかい? じゃあ、僕は行くよ」
逃げ出すように三階へと消えていく諫早を、僕は立ち尽くしたまま見送った。
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