緊急怪獣速報
緯糸ひつじ
《――進路予測が、更新されました》
ドォン――。
周期的な地響きも、いよいよ僕達の方へ迫っていた。
ドォン――。
その上、ポケットに捩じ込んであるスマホは、執拗に不快な警告音を鳴らし続ける。
平日の昼下がり、たくさんの市民を抱える街並みはいま、二つの不快な音に支配されている。
僕は警告音を無視したまま、アパートの一室のドアを叩く。
「誰か居ませんか!?」
部屋からは、人の気配がする。
ドォン――。腹の底に響くような重低音。奴が足を踏み鳴らす音。
僕がアパートの通路から、路上へと視線を向けると、スクーターに乗る相棒──金髪の武志が焦っていた。
「おい、寛太、早くしろよ!」
分かったよ、と返事をしてドアノブに手を掛ける。きぃと軽くドアが開く。
「おい、爺ちゃん! 寝てる場合じゃないよ!」
予想通り、部屋には人が居た。七十代くらいの男性が呑気に椅子で寝入っている。部屋に勝手に踏み入って、飽きれつつも叩き起こす。
「──ほら、これ、聴いて」
寝惚けた表情で、いまいち状況が掴めていない男性に、僕はスマホを差し出す。
《――緊急怪獣速報、緊急怪獣速報》
《――速やかに避難してください》
「へ? 怪獣?」
十数年前なら、手の込んだ大法螺だっただろう。
しかし怪獣は、かつてのようなフィクションの存在ではなくなった。
僕ら市民は、リアルな災害として一頭の怪獣と対峙しなければならない世界で生きている。
テーブルの湯呑みがガタガタと震えると、「地震? それとも怪獣?」なんて呟き、バラエティ番組からニュースにチャンネルを切り替えるような風景がある。
《――繰り返します、付近の住民は速やかに――》
もう既に、怪獣災害警報が出されて四十分、奴が上陸してから十五分が経過していた。これだけの猶予があれば、大体の市民は避難を終えているはずだ。
「ちょっと待ってろ。避難所の場所を確認するから」
スマホの画面をタップし、アプリを開く。携帯端末のディスプレイには、怪獣の位置がリアルタイムで地図上に表示されていた。
気象庁が発信する“怪獣ナウキャスト”――怪獣の進路や到達時間などの情報を示す短時間予測サービス――によれば、現在地から怪獣まで0.9km。あの怪獣の最高速度は時速40kmだと言われているから、駆け始めたら、ここまで一分半も掛からない。
「大通りを北に向かえば、怪獣の進路から離れる。最寄りの避難所は縁谷高校だ。さあ、早く、逃げて!」
僕は、この地域から少しでも遠くに逃がす為に、男性を急かす。どんな建物の中に居ようと、怪獣の前では全て無力だ。
「ほら、早く。──退避、退避、退避だ!」
怪獣災害の避難では、守るべき基本が三つある。
──基本、その一、怪獣から身を護る最善の方法は、怪獣からより遠くへと離れること。
「俺達は残って避難誘導を続けるから、さっさと逃げろ」
武志も玄関口から声を飛ばす。まくし立てるように男性に避難を促すと、男性は感謝もそこそこに、アパートを飛び出していた。
ドォン――。
僕は怪獣の足音を聞き、この様子ならこの場にまだ残れると踏んだ。
ふぅっと溜息をつき、鍵の開いたままの玄関から部屋に引き返す。電気が点いたままだった。
防災意識の低い家主だな、と一人で冷笑する。
──基本、その二。二次災害となる火災予防の為、ブレーカーを落とし、ガスの元栓を閉めておくこと。
「爺さん、行ったぜ」
武志が玄関から顔を覗かせ、口角をニッと上げて親指を立てた。
──基本、その三。しっかり窓と玄関を施錠して、貴重品は持ち出すこと。
このルールを守るか否かが、僕らにとって非常に重要だ。
「さて、どこから物色するかな」
なぜなら、僕らが火事場泥棒だからだ。
■
怪獣災害と、他の災害の違いは何だろうか。
一番の特徴は、怪獣に対してハード面での対策は、ほぼ効果がなかったこと。怪獣の経路は、そのまま瓦礫の山へと姿を変える。自ずと対策はソフト面へ、特に住民に早期の避難を促すシステムの構築と注がれた。
例えば、今回の緊急怪獣速報もそうだ。怪獣の上陸が予測されると警報が発せられる。到達までに大体、一時間から二時間程の猶予があり、突発的に起こる他の災害よりも避難は容易だと言える。
実際に今回も、怪獣が陸に居座る数時間、半径数㎞以内の街並みから、殆どの市民は姿を消している。
僕らの狙い目になるのは、その時だった。
狙った住居へ『誰か居ませんか?』と一戸一戸、声を掛けてまわり、人が残っていれば避難を促し、留守なら盗む。
バレない程度の盗みを繰り返しながら、二台のスクーターを走らせ、無人となった理髪店や事務所など数件巡った。
「とりあえず目標金額に到達だ」
路上で見張りをしていた武志は、その言葉を聞きニヤリとする。
鳴り狂う警告音にも、既に慣れていた。無視を決め込んでいた。
「爺さんに、顔見られたの大丈夫かな?」
武志は歯を見せて笑う。
「あそこは大丈夫。財布の中身をイチイチ覚えるタイプじゃない」
武志と組んだのは、地元の情報通だからだったが、そこまで分かるだろうか。
「警戒無し、独り身、成功例有り。俺らのチームがいくつもマーキングを残してたよ」
侵入したばかりの事務所の郵便受けに、視線を向けると、地味に記号が幾つか記されていた。空き巣やセールスが表札にマーキングするのは、昔からのよくある手口だ。
「いつかいつかと、この地域あたりに上陸すると予想して準備したけど、大当たり。こんな上手く行くとは思ってなかったぜ」
「まだ気を抜くなよ、家に帰るまでが遠足です」
ニヤニヤした武志に、僕は教師のように言葉を返し、スクーターにスマホを取り付ける。
そして、アプリの“HollowMe”を起動させた。監視カメラを回避する為のアプリケーションだ。各地のユーザーが監視カメラの位置を地図上にプロットしていくと、透明人間になれるルートがいくつも浮かび上がる。犯罪者御用達アイテムのひとつだ。
「後は、見回ってる警察車輌に鉢合わせないように」
「おう」
逃げる間も万事順調で、軽口を叩いたり、ぼんやり思いを巡らす余裕すらあった。
スクーターを走らせつつ、怪獣の姿を確認しようと地響きの鳴る方へと顔を振る。しかし姿は見当たらない。怪獣との距離はスマホの画面上では1.4㎞。体高100mの怪獣も、住宅街で建物の死角に入ると簡単に見失う。都会は空が狭いなんて言うもので『油断していたら、あっという間に怪獣の足下に』なんてのは、怪獣被災のあるある話だ。
なにせ、自分もそのあるある経験者だ。その手の話では悲劇的な部類だろうな、と過去の記憶にするすると思考が流れていく。
二〇二二年。十五年前、僕が千葉県の九十九里に住んでいた五歳の頃だった。僕は休日でも、昼間からテレビをボーッと見るタイプの子供だった。
当時は、怪獣なんて当然フィクションの存在だった。朝方から緊急地震速報が狂ったように誤報を出していたのが予兆だった。と言えばそうだろうが、誰がそれと怪獣を結び付けられただろうか。
食器棚の皿が音をたてながら震え、吊るされた照明がぶらぶらと揺れる頃、両親は不思議に思い、外へ様子を見に行った。『ちょっと待っててね』『家から動くなよ』それが最後に聴いた両親の一言だ。
怪獣が抉った高層マンションから落ちる瓦礫の雨に、両親はやられたという。家に居た僕とは、たった数十メートル。その距離が生死を分け、僕は“怪獣孤児”になる。
そのとき僕は、ベッドで毛布を被り、ただただ怯えていただけだった。皮肉にも、そのときの心の拠りどころは、握りしめた怪獣のオモチャだった。
あの時の喧騒は今も耳に残っている。建物の崩れる音、大人の悲鳴、破裂音。地鳴りに重なった赤ん坊の泣き声……。
……あれ、泣き声?
僕は咄嗟にスクーターのブレーキを掛け、周りを見回した。
「どうした?」
武志は困惑した表情を向ける。
「いや、ちょっと声が聞こえない?」
こもった子供の泣き声が聞こえる。耳をよく澄まして目を凝らすと、団地の二階、ベランダの窓際に、五歳か六歳程度の子供が居ることに気付いた。
「嘘だろ」
今の今まで、なぜ、どうして。母親は何をしているのか。なぜ避難していないのか。もしかしたら既に親は……。過去の記憶と疑問が溢れ、一瞬思考が停止する――。
「――ネグレクトか」
「え?」
武志の淡々とした物言いに、僕は意味を掴み損ねた。
「育児放棄だよ。あの家の母親、知ってる。パチンコ通いで有名だ」
置き去りにしたままパチンコに行き、そのまま逃げたのか。事の酷さに呆れながらも、そこまで知ってる武志を僕は感心した。
「なおさら助けないと――」
「はぁ? さっきとは訳が違うぞ。怪獣の経路とはもう反対だし、子供なんて厄介な荷物増やせねぇよ」
「でもさ──」
「助けてどうする? あとから他人に『そのとき、なんで避難区域に居たの?』って聴かれたら、どう説明する?」
確かにそうだろう。でも、普段は快活でニコニコしてる武志が、いつになく冷血に見えた。強い語気に怯んで、僕はナンセンスな質問が口を衝く。
「お前、そんな冷たい奴だっけ?」
武志は、呆れたように次の言葉を吐く。
「忘れたか。俺ら悪党だぜ」
――俺ら悪党だぜ。あれ? そうだっけ? と、不意に口から出そうになった。言葉を頭の中で反芻する。僕ら二人が仲良く結束できるのは、脆くも悪事だけなのか。
戸惑った僕が武志に視線を向けると、むしろ不思議そうな表情で見つめてきた。
《――緊急怪獣速報、緊急怪獣速報》
《――進路予測が、更新されました》
《――ここは怪獣の予測進路内です》
《――直ちに、退避してください》
油断していたら、あっという間に怪獣の足下に。
ふと問いが過る。危ない橋を遊び感覚で渡れるようになったのは、いつからだろう。
■
被災で怪獣孤児となった僕は、施設で暮らすことになった。
十六歳の頃、怪獣被災地支援のボランティアに誘われた。そのグループが、被災地支援を騙る窃盗集団だったと気付いた時は驚いたが、友達も出来ていたし、ずるずると過ごしていくうちに悪事のイロハを覚え、手を退くには踏み込み過ぎていた。
両親の死についてどう思っていたかというと、五歳で理解出来ること、考えられることもそう多くはなかった。哀しさを味わえる年齢になった頃には、過去の出来事と割り切り、重苦しく受け止めたりはしなかった。
怪獣のせいで何かを奪われた子供が、怪獣の足元で銭を盗む。おかしな話ではあるけれど、小判鮫みたいにおこぼれを得る生活は、性に合っていた。
逆に怪獣孤児の中には、怪獣を憎悪して、自衛官に成って仇を取るなんて宣う奴もいたけど、どうだろうか。十五年経っても、根本的な解決策が見出だせない。僕も含め多くの市民は、怪獣災害を年に三度くらい起こる残念な風景として慣れ切ってしまっている。
かくして、非日常を日常に取り込む。
人は慣れることが本当に得意なんだと、僕はつくづく思う。
■
「俺ら悪党だぜ」
武志の言葉に、自分の心の立脚点が揺らいでるような気がした。武志は淡々と続ける。
「怪獣のおこぼれを頂く悪党だ」
重い気配を感じて背後を見上げると、高層マンションに並ぶように、怪獣が佇んでいる。逆光で細部は視認できないが、冷えた熔岩が立ち上がったようなシルエットが青空を圧迫する。
「怪獣様様だな」
と武志は笑う。僕は言い返す。
「なんだよ、様様って。怪獣は災害だろ。神様じゃない」
「もちろん。だけど、怪獣は災害でもない。俺らの日常だ。被災地は仕事場だ」
怪獣が爪を研ぐように、マンションの側面を
だが様子がおかしい。
瓦礫はなぜか、緩慢なペースで落下する。
ねっとりと、ゆったりと。
空気が突如、粘性を増し水飴になったようだ。
事態の不可解さに、混乱する。
「速く、助けなきゃ――」
「誰を?」
「あの子をだよ!」
僕は苛立ちも隠さず、子供を指差す。
「そうか、寛太を、か」
武志はベランダを見て、淡々とそう言った。
何をトンチンカンなことを。
僕はベランダに顔を向ける。すると、窓際には五歳の僕が泣いていた。紛れもなく、あの頃の自分が、ワンワンと泣いていた。
「え?」
酷く動揺する。
「助ける義理はないよ」
武志はあくまで冷淡だった。
「爺さんは助けたぞ」
訳の分からない反論をしてしまう。
「盗みの手順上、逃がしただけだ。あれは厄介な荷物になる」
「でも――」
「勘違いしてないか? 寛太は悪事に慣れてきたからさ、義賊や天才詐欺師が出てくる爽快なクライム映画みてぇなノリでやってるみたいだが、現実は違うぞ。良いとこ取りなんてできないし、諦める場面ばかりだ」
瓦礫の屑が、僕らの周囲にも、スローモーションで降りてきた。
ねっとりと、ゆったりと。
物理法則を無視した瓦礫は、近くで見るほど緩慢さが際立つ。
ゆるゆると沈みゆくコンクリートの破片を、武志はおもむろに手に取った。
「こうやって一度壊れたものは、もとに戻らない。命以外のアレコレを怪獣に奪われた寛太を、今から救える手立ては無いよ。諦めろ」
寛太は救えない、だって?
僕が何をしたんだ。
五歳の頃の自分に、落ち度なんて微塵もなかったじゃないか。それ以降も、自分で選んで生きたつもりだ。僕の額から玉の汗が落ちる。やっとの思いで言葉を絞り出す。
「いつの間にか奪われただけじゃないか。こういう生き方しか知らなかっただけじゃないか──」
──そう言い切った途端、瓦礫が元の速度を取り戻す。雨の如く、降り注ぐ。武志は直前、こう呟く。
「いつだって何処かで警告音が鳴ってる。それを無視して、ここにいるのは誰だよ」
■
そして、目が覚めた。
直感的に体育館だと理解した。高い天井の鉄骨に、バレーボールが挟まっていたからだ。
体を起こして見渡すと、人が溢れて救護所となっているのが分かる。ブルーシートの手触りを確認する。
今までのは夢だ、夢。タチの悪い夢だ。
シャツは汗で湿っていた。
怪獣災害で今まで何度も目にした風景が広がっていた。疲労感を滲ませるような喧騒だ。何人もの人が顔を歪め、呻き、診療を待っているようだった。簡易的なトリアージも行われている。
隣に居た女性が声を掛けてきた。
「起きたのね。あなたは軽傷で済んだみたい。呆けた顔で、五歳の子供を連れてきて、そのあとストレスで失神したのか、あなたは寝入ってたよ」
一部始終を見ていたようだ。かなり間抜けだっただろうと思う。
「あの、子供は?」
「大丈夫。あなたが守ったの」
僕は安堵で、息を吐く。
「あ、そうだ。じゃあ、武志は──」
──体育館中のスマホが一斉に
《――緊急怪獣速報、緊急怪獣速報》
体育館がざわめきだす。不安と焦燥が噴き溢れるように。
《――進路予測が、更新されました》
またか。喉元から濁った怒りが登ってくる気がした。
僕は何をしたんだ、と。
《――ここは怪獣の予測進路内です》
いや、今まで何もしなかったから、こうなったのかもしれない。
こんな悪夢を、そのまま自分の日常として受け入れたのが悪かったのかもしれない。
《――直ちに、退避してください》
酷い仕打ちや異常な状況に対して、順応してしまっていた。
現状の自分から目を背けて、対峙すべき問題から逃げることが癖になっていた。
《――直ちに、退避してください》
怪獣がフィクションだった頃の平穏な日常から、僕はどんどん遠くへと離れている。
執拗な警告音ともに発する言葉に、どっぷり浸かって慣れ切っている。
「ほら、早く。──退避、退避、退避だ!」
たぶん僕は、骨の髄まで敗走者だ。
■おわり■
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