第1話「兄と妹」1-1







「……う……ん……」


 スマホのアラームの音で目が覚める。


「ふわぁ……ねむ」


 何か懐かしい夢を見てた気がするのだが、すでにどんな内容だったかは思い出せない。夢なんてそんなものだ。

 さて、さっさと朝ごはんの支度するか。

 そう思い立ち、俺はベッドから起き上がる。

 制服に袖を通してから部屋を出て、洗面所で顔を洗ってからキッチンへ。エプロンをつけて朝食を作り始める。


 出来上がった朝食をテーブルへと並べ、お弁当箱へ白米を敷き詰めて冷ますために置いておく。

「さて……」

 エプロンを外してから俺は妹の部屋へと向かう。


「おーい、沙雪ー。朝だぞー」


 ノックをしながら呼びかけるが、返事がないのはいつものこと。


「入るぞー」


 断りをいれてから扉をあける。

 我が妹は暑くて寝苦しかったのか、布団をベッドから蹴り飛ばした状態で眠っていた。


「……おい沙雪。朝だ。起きろ」


 長いまつげに小さな鼻、綺麗な肌。そんな端正に整った顔……なのだが、今は口の端から涎を垂らしてだらしなさそうな顔で眠っている。パジャマはめくれて腹も出ている。

 これは……間違っても他人様には見せられない姿だな。


「うーん。もう食べられないよお」


 ベタだな。おい。


「ほーう。食べられないのか。じゃあ沙雪の分の朝ごはんはいらないな」


「たべりゅっ!」


 ガバッという効果音がつきそうな勢いで沙雪が身体を起こす。


「……ふわぁあ。おはよー、あにじゃ。今日の朝ごはんは何でござるか?」


「白米と味噌汁と昨日の余りの筑前煮でござる」


「左様でござるか……むにゃむにゃ」


「ほら、さっさと顔洗ってこい。寝ぐせがすごいぞ」


「んー。どんな感じ?」


「……匠が作り上げた盆栽。みたいな?」


 なんかもう爆発とかそんなレベルじゃなかった。半ば重力を超越している気さえする寝ぐせだった。


「ほほー。すげえ。そりゃ見てこなきゃ」


 沙雪はとてとてと洗面台の方へかけていく。


「うおー。マジだ。匠の盆栽だ!」


 そんな声が聞こえてくる。


「ねーねー。にいに。この髪、友達にも見せたいんだけど学校までもつかな?」


 洗面所から顔だけだして沙雪が尋ねてくる。  


「馬鹿なこと言ってないでさっさと寝ぐせ直せ」


「あーい」


 まったく困った妹だ。誰が教育したんだか。

 ……うん。ほぼ俺だったわ。


 うちは幼い頃に母を亡くしている父子家庭だ。

 でもその父も仕事で家を開けることが多く、更には海外に単身赴任してしまい、今はほぼ二人だけで暮らしている。


 まあ、別に父さんが嫌いなわけでも悪いと思ってるわけでもない。今でもよく連絡はくれるし、お金だって多すぎるくらい振り込んでくれるしな。

 社畜は大変なんだなーとは思うけど。


「ふいー、きびしー戦いだったぜ。マスター。いつもの」


 寝ぐせを直してきた沙雪が席につく。格好は以前パジャマのままだ。


「はいはい。ミルクをストレートね」


 コップに牛乳を注いで渡してやる。


「ぷはー。朝はこれに限るねっ!」


「…………」


「ん? どうした、おにい。私の顔に何かついてるか?」


「立派な白い鬚がついてるよ。いやさ、お前は低血圧なんかとは無縁だなって思ってさ」


 我が妹ながらどうしてそんな朝からハイテンションでいられるのかが不思議だ。


「ふっふっふ。朝から高血圧の沙雪ちゃんたぁ私のことさ!」


「高血圧はまずいな。病院いくか?」


「やだーっ! 病院やだーっ!」


「はいはい。さっさと朝ごはん食べような」


「はーい。じゃあ、いただきまーす」


「いただきます」


 二人で手を合わせてから朝食を食べ始める。


「そういえば沙雪。もうすぐ期末テストだけど大丈――」


「お兄様助けて!」


「泣きつくの早えな、おい」


「何でもする! 何でもするから!」


「分かったから。教えてやるから。あと何でもするとか簡単に言っちゃ駄目だから」


 世の中にはその言葉に反応しちゃうやつ多いから。


「え? でも、おにいが持ってた薄い漫画だと女の人がこのセリフを言ってたよね?」


「それ見つけちゃ駄目なやつだからー! お兄ちゃんが丹念に隠してたやつだからー!」


 いつのまに見つけられていたんだ……? 隠し場所をすぐに変えねば。


「ふっふっふ。兄貴も好きよのお?」


「やめてっ! そんな目で兄を見ないでっ!」


 桜咲(さくらざき)家の朝食はいつも賑やかだ。





「忘れ物はないか?」


 制服に着替えた妹に声をかける。


「ばっちり。ティッシュもハンカチもゲーム機も充電器も持ったよ」


「うん。ゲーム機と充電器は置いてこうな」


「ごめん。実は持ってない」


「ならよし」


「ティッシュとハンカチも」


「やっぱ少しもよくないわ」


 妹がティッシュとハンカチを持ってくるまで待つ。なんか妹の部屋からどっしゃんがっしゃん騒がしい音が聞こえてくる気がするがたぶん気のせいだ。


「やあ、お嬢ちゃん。待ったかい」


「はいはい。行くぞ」


「ううん。私も今来たところ。抱いてっ」


 一人で小芝居を続ける妹を置いて靴を履く。


「いってきます」


「あ、待ってにいに。いってきまーす」


 二人並んで外に出る。

 季節は六月初旬。段々と暑くなりだした今日この頃。肌に触れるジメっとした空気がこれから梅雨が来るであろうことを感じさせ少し憂鬱になる。

 沙雪も暑いのか衣替えしたばかりの夏制服のシャツの裾を両手でばっさばっさしている。うん。とてもはしたないな。


「ところで兄よ」


「どうした妹よ」


「昨日、告白された」


「……はっ!? マジで!?」


 本気で驚く。いや、確かに顔は、顔は、多少可愛いかもしれないけどさ。


「すまん。嘘だ」


「……どうしてそんな嘘をついた。言え」


「にいにの慌てる顔が見たかった。ただそれだけだ」


「素直でよろしい。ただ、そういう冗談は兄ちゃん本気でびっくりするから次からやめような?」


「りょーかい」


「それで本当は何が言いたかったんだ?」


「……えっ?」


 今度は逆に驚いた顔を見せる沙雪。


「いや、言いたいことがあったんだろ? それで言い辛いから冗談を言った」


「……い、いやー、兄者には隠し事はできないっすねー」


「これでも十年以上、お前の兄をしてるからな」


「……じゃー言うけど」


「うん」


「……昨日、喋るぬいぐるみにこの世界に危機が迫ってるって言われたんだ」


「…………は?」


 喋るぬいぐるみ? 世界の危機? 


「だよね? は? ってなるよね?」


「それも冗談、もしくは夢の話か?」 


「……んー。そだね。もしかしたら夢だったのかも」


 その割には冗談っぽく聞こえなかった気がするけど……。


「さって、学校着いたよ。にいに」


 でも次の瞬間に見せた沙雪の顔はいつもの顔で、俺はそれ以上聞けなくなってしまう。


「じゃあ、にいに。またねー」


 下駄箱で沙雪と別れる。

 学年は沙雪が一年。俺が二年になる。


「沙雪も勉強頑張れよー」


「帰ったら、おにいに教えてもらうから大丈夫ー」


 妹を見送ってから、俺も教室へ。


「おう、おはよう。雪弥」


「おはよう」


 前の席の古賀葉介(こがようすけ)に話しかけられる。

 一年の時からの友人の一人だ。


「今日も仲良さそうに登校してたな。あー、オレも可愛い妹がほしいわー」


「可愛い……? アレが……?」


 100歩譲って家族目線で言えば可愛いかもしれないが、腹だして涎垂らして寝てるような奴だぞ? 


「妹いるやつはみんなそう言うんだよ。可愛いから。お前らの感覚がズレてるだけだから」


「でも……なぁ?」


 妹がいない身としてはそうなのかもしれないが、身内としては納得しづらいものがあった。


「ところでお兄様。妹ちゃんの連絡先教えて」


「誰がお兄様だ。絶対に嫌だ」


「ちっ。シスコンめ」


「シスコンじゃねえから」


「いや十分シスコンだろ」


「よーし、HR始めるぞー。席につけー」


 担任が教室に入ってきて、談笑していた奴らがそれぞれの席へと戻る。

 また今日も代り映えのない一日が始まる。






「やっほー。兄者。お昼食べよー!」


 昼休みを告げるチャイムが鳴り終ってすぐに沙雪がうちのクラスまでやってくる。


「毎回言ってる気がするが、お前クラスに友達いないの?」


「クラスメイト全員が友達だよ?」


 絶対嘘だ。


「目指すは友達100人だね」


「あれ高校一年生の歌じゃないからな?」


 富士山の上でおにぎりを食べるつもりなのだろうかこの妹は……。  


「……そんなに友達いるんなら、その友達と食べてればいいだろ?」


「でもでもそしたら、おにいが寂しがるでしょ?」


「寂しがってる顔に見えるか?」


「とっても嬉しそうな顔に見える」


 その目は節穴に違いない。


「まあいいじゃねえか、雪弥。一緒に食おうぜ」


「さすが古賀っちだ。兄貴より心が広いぜ」


「だろ? かっこいいか?」


「びみょー」


「ぐはっ」


 こう、うるさい奴が二人もいると二倍どころか二乗くらいで騒がしい気がする。

 他のクラスメイトたちの視線が痛い。


「ほら、お昼食べにきたんだろ? 食う時間なくなるぞ?」


「たべるー! ふっふふーん。きょーのおべんとなっにかなー?」


 歌いながらお弁当箱を取り出す沙雪。

 よくある楕円形の二段になってるお弁当箱だ。ちなみに俺のも同じお弁当箱で、色は俺が黒、沙雪のが水色となっている。


「じゃじゃーん! 一段目はなんとー白米だっ!」


「二段目は全部、昨日の残りだぞ?」


 朝ごはんにもなった筑前煮と鯖の塩焼き、ポテトサラダにブロッコリーだ。


「……二段目はおおっとー、ポテトサラダにブロッコリー! 筑前煮に鯖の塩焼きだー!」


「俺の言葉を華麗にスルーしたな、おい」


「おにい、からあげ食べたい」


「今リクエストするのかよ! 昨日のうちにしろよ!」


「あ、できれば甘辛いタレとかかけてほしいです」


「聞いて? お兄ちゃんの話聞いて?」


「うん。ちゃんと聞いてるよ? 優しいお兄様は今からコンビニまでからあげ買いに行ってくれるんだよね?」


「うん。聞いてないな。その優しいお兄様は、お前の妄想だから」


「お兄ちゃん……だーいすき」


「そんな甘ったるい声だしても駄目です」


「じゃあ、古賀っちが行ってくれるの?」


「よし。妹ちゃんの為にひとっ走り――」


「行かなくていいから。大人しく食べなさい」


「「はーい」」


 結局、お弁当を食べ始めたのは昼休憩半分くらい過ぎてからだった。





「じゃあ私は戻るぜ、おにい。良い子で授業受けるんだぜ」


「そっくりそのままセリフを返してやるよ」


「私、授業、まじめ、受ける」


「よろしい。頑張ってこい」


 なんで片言なのかは面倒なのでつっこまない。


「じゃあなー沙雪ちゃん」


「古賀っちもお兄ちゃんと仲良くね。あっ、でも仲良くなり過ぎてイケない関係になっちゃ駄目だからね?」


「誰がなるかっ! さっさと帰れ!」


「あーい」


 ようやく台風が去って行く。


「……雪弥。ぽっ」


「殴っていいか?」


「すみませんでした」





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