第89話 - ナレエシ村のウズイの挿話

 冒険者どもの侵攻は抑えられない。

 首都からの援軍は来ない。


 趨勢すうせいはもはや誰の目にも明らかである。

 ――ヒウゥースは敗北した。


「ぬうぅぅぅぅ……! おのれ……何故なぜこんなことに……!」


「ヒウゥース様、早く避難を!」


「くっ……わかった。後は任せたぞ」


「はい! どうかご無事で!」


 配下を置き去りにしてヒウゥースは屋上へ走る。

 ……こうなれば出戻りだ。

 ここでの悪事が明るみに出れば、もはやこの国のどこにも居場所はない。

 金、地位、人脈。

 すべてを失ってしまうが、生きていれば再び挑戦できる。

 また名前を変えて……いちからやり直しだ。


 ヒウゥースは前向きにそう考えながらも、後ろ髪を引かれる思いだった。

 ただ自分を逃がすためだけに、体を張って敵の侵攻を食い止める、忠誠の厚い部下たち。

 まるで身を切られるようだ。

 背後から悲鳴が聞こえるたびに、足が止まりそうになる。


 失うには惜しい人材たちだが、また探せば良い。

 そう自分に言い聞かせるが……なぜだか「それは違う」という思いが、心の片隅かたすみから離れなかった。


 懊悩おうのうも、躊躇ためらいも、振り切ってひた走る。


 やがて背後に響く喧騒けんそうは届かなくなり……

 彼はついに屋上の扉に手をかけ、開いた。





「……ん? おお! ずいぶん遅かったじゃあないか」


 ヒウゥースが開いた扉の先。

 そこには、ここに居るはずのないものが待ち受けていた。

 死を運ぶ青い瞳の男。


「……ワイトピート……!」


 何故なぜここにいるのか。

 そして何をしているのか。


 ヒウゥースの視線の先でワイトピートは、あらかじめそこに設置してある気球に乗り込んでいた。

 ただ乗り込んでいるだけではない。

 彼は、逆さだった。

 気球のかご部分のへりに背中を預けて、両足を上に伸ばして器用に動かしている。

 動かしている――というか、遊んでいる。


「ほっ! ふんっ! うう~ん……そやッ!」


 バキンッ!

 耳障みみざわりな金属音と共に鉄の金具が壊され、バーナー部分がバラバラに分解されて地面に落ちた。


「おおっと、不良品か!? 壊れてしまったではないか! ちょっとちょっとぉ~……強度が足りないんじゃないかね、このオモチャ。ねえ、ウズイくぅ~ん?」


「き、貴様、何をしている!? ……いや待て。いま何と言った? その名……」


 ヒウゥースの右手が上がり、ワイトピートを指さす。

 その指先は細かく震えていた。


「ぃよっと! ふぅ……」


 ワイトピートは逆立ち状態だった体を戻して、今度は普通に気球のかごのへりに腰かけた。


 驚き、慌て、血相けっそうを変えるヒウゥースとは対照的に、ワイトピートはその身に不吉の風をまといながらも、穏やかとすら言える笑みを浮かべていた。

 さながら古くから馴染なじみのある友人と歓談かんだんするかのように。

 優しさを感じさせる声色で、男は眼前がんぜんのヒウゥースに語りかける。


「一人乗りの気球……良くない。良くないねぇ。いくらきみの体がはばを取るとはいえ……きみはまた、自分ひとりだけ生きびるつもりかね?」


「な……なにを言ってる。貴様……貴様、なにを……」


「私はね。ずっとずっと、聞きたくて聞きたくて仕方がなかった。今日ここにきた理由の半分はこれだと言っていいかもしれない」


 悲劇をもたらす青い瞳が射抜いた。

 ヒウゥースの目を。

 その心の奥の奥まで抉り抜き、ヒウゥースが守り続けてきた最も柔らかい部分に手を伸ばす。


「――きみは、彼女が生きていたことは知っていたかね?」


 ヒウゥースの口がぱくぱくと開く。

 何を言ってるのかと。

 ただそれだけの言葉が、のどから先に出て来なかった。


 ……その先の答えを聞くことを、精神が、肉体が、強くこばんでいる。


「ウズイくんは誰にも負けない! 絶対に助けに来るわ! おまえたちなんて、みんなウズイくんがぶっとばしちゃうんだから!」


 お世辞せじにも上手ではない裏声を使ってそんなことを言うワイトピート。

 それから彼は、満面の笑顔を見せる。

 それは悪意にまみれた笑い。

 嘲笑ちょうしょうだった。


「来なかったねえ、ウズイくん。女性を待たせるとは、まったくひどい男だ。だからね、今日は遅刻癖のあるきみのために、彼女をここまで持ってきてあげたよ。フフ……展示室が無事で良かった」


 そう言ってワイトピートはゴソゴソとポケットをまさぐる。

 ポケットからゆっくりと引き出され――そして、はヒウゥースの前にそっと差し出された。


「さあ、感動のご対面だ」


 それはガラスの小瓶に入った明るいだいだい色の瞳と、同じ色をした髪のたばだった。


「どうしたかね、そんなに震えて……? ははは、私が見ているからといって遠慮することはない。婚約者フィアンセを抱きしめてあげたまえ! ……そうだ、ここで結婚式をげようか! どうかね、この私のアイディアは!? ん? 何か言いたまえよ。ねえ、ウズイくぅ~ん」






 生まれ育った村が滅ぼされた時、復讐は考えなかった。

 代わりに武術を捨て、財の力を求めた。

 ……しかし、時折ときおりふっと頭の片隅かたすみをよぎることがある。

 あの時、自分は本当に財力という強い力を求めたのか?

 もしかしたら違うのではないか?

 己の復讐心から目をらし、違う道に逃げ込んだ……ただの逃避だったのではないか……と。


 当時の自分がどう思ったか。

 もはや記憶は薄れ、思い出すことはできない。

 しかし……




 ――ウズイくん、おじいさまから聞いた? キミが首都の武術大会に勝ったら、私を嫁にやるって。




 ――うん、ありがと。でも別にいいんだ。




 ――私、そんな気が長い方じゃないの。だから……一回で優勝、決めてよね?






「ワイトピート!!! 貴様ァァァアアアアアアアアッ!!!!」


 絶叫にも等しい怒号。

 天をく激しい怒りに、ヒウゥース邸屋上の大気が鳴動めいどうした。


 次いで――ビシィッ、と屋上の床にひびが走った!

 ヒウゥースが地面に踏み下ろした震脚。

 その衝撃に耐えられず、屋上の床が崩壊する!


「!?」


 足場を失ったヒウゥース・ワイトピート両名は瓦礫がれきとともに落下!

 ふたりが落ちた先は、ヒウゥースの寝室。

 立ちこめる粉塵ふんじん

 砕けた瓦礫がれきの破片が宙を舞う。

 白くけむった視界の中で、ワイトピートは急激に広がる黒い影を見た。


「む――」


「ぬぅおああああああああああ!!!」


 突き出された拳がワイトピートの胴部、その中心にめり込む!


「ぐ、ぉ……!」


 影と見えたのは目前に迫ったヒウゥース。

 ヒウゥースは数秒間ほど舞い上がった粉塵ふんじんを目くらまし代わりに、全身全霊の一撃を眼前の男に叩き込んだ!

 憤怒ふんぬ鉄槌てっつい穿うがたれた敵はゴムまりのように吹き飛び、壁を破壊して隣の部屋まで突き破る……はずの一撃だった。


「ぬ……はは……。いや、なんともこれは、すさまじい。……あのまま武術を続けた方が良かったのではないかね?」


 突き出されたヒウゥースの拳。

 その手首をワイトピートの手がつかんでいた。


 そして次の瞬間、ヒウゥースが第二撃を放つより早くワイトピートは動いた。

 密着してヒウゥースの背後をとり、その首をめ上げる!


「ぐ……きさま、この程度でっ……!」


「ふふ……このまま格闘にきょうじたいところだが……残念ながら、今日は予定が詰まっているのでね」


 ず……と、ワイトピートは短剣をヒウゥースの首に突き入れた。

 まるでケーキに刃を入れるような気軽さで。

 とてもとても無造作に、銀の刃はずぶりとヒウゥースの首筋に沈み込んだ。


「あ――く――」


「さよならだ、ヒウゥース。きみは最期まで素晴らしいビジネスパートナーだった」


 ワイトピートは短剣を回して、ヒウゥースの首をねじ切った。



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 屋上破壊による振動は地下にまで届いていた。


「なんだ……!?」


 地下にいるヤイドゥークには、上階で何が起きているのか分からない。

 首都からの援軍は一向に来る気配がない。

 冒険者の侵攻は抑えられない。

 待てば待つほど状況は加速度的に悪くなっていく。

 もう待てない。

 ヤイドゥークは決断した。


「……おまえら、ここはもういい。全員で上がって冒険者を止めるぞ」


 部下の男が答える。


「し、しかしここの守りがなくなると、今度はこちらが挟み撃ちにされる可能性が……!」


「わ~かってる。だが動かなきゃ終わりなんでな。時間を稼いでくれれば俺がなんとかする……なんとか……まあ、たぶん……」


 そうやって部下に指示を与えたその時。

 地下全体に響く振動、そして爆発音!


「うおおっ!? ……来たか! おい今のなし! 全員対処に行くぞ!」


 ヤイドゥークは部下を連れて、揺れと音の発生源へと向かう!

 地下施設を駆け抜けながら、ヤイドゥークは大丈夫だと自分に言い聞かせていた。

 ダンジョンのどこから壁を抜けて来ようと、すぐさま包囲できるよう人員を配置している。

 また、壁を抜けてこの地下施設に入った敵には、いくつもの罠が襲うようになっている。

 迎撃の準備は万全だ。

 この地下への侵入者を殲滅せんめつした後、全員で地上へ増援に向かえばまだ……逆転の目はある。


 やがてヤイドゥークは辿たどり着いた。

 ここが音の発生源。

 侵入者がこの地下施設に入ってきた場所。

 そこには予想通り、大きな穴があった。


 ……ただし、壁ではなく、床に。


「し、下から……だと……!?」


 穴の周辺には打ち倒されて地面に転がる部下たちの姿。


「マジか……これ、は……」


 激しい虚脱感に襲われて、ヤイドゥークはがっくりとひざをついた。


「駄目だ……もう勝ちすじが……」


 あらゆる状況を想定できるヤイドゥークの多重思考。

 その能力によって無慈悲にも分かってしまう。

 この瞬間、自分達の敗北が決定したことが。

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