第71話 - 診療所の挿話
住宅街の裏通りに
クラマ達が
その病室のひとつでサクラ、一郎、次郎、三郎の4人が集まり声をひそめて相談していた。
「……で、やっぱりクラマ達と連絡はとれないの?」
「すいやせんアネゴ」
クラマ達のパーティーがダンジョンに
それだけならば探索が長引いているのだろうと考えることもできた。
だが、先日クラマ達の
クラマ達と彼らはもはや
憲兵にクラマ達の貸家が押さえられたとなれば、床に開けた穴を使って不正を働いていたことは当然、明るみに出る。
クラマ達が捕まれば、協力者であるサクラ達にも
これは
病室に集まった彼らの表情は一様に不安げだ。
ベッドの
「あたし達に何かできることないの?」
そんなサクラの問いに答えるのは次郎。
「へえ。クラマの旦那からは、何かあっても下手に動かず待ってるように……って言われてるっスからねぇ」
「う~~~~……ならしょうがないけど……。そうだ一郎、今日は外の様子を見に行ってたんでしょ? 何かなかったの?」
「えぇ、それが冒険者ギルドに行ったら、彼ら全員が指名手配されてやして。
「はぁ!? なにそれ、まずくない!?」
「そりゃあ……まずいですわ」
「まずいっスよ、アネゴォ!」
「お、おおお落ち着きなさい! あ、あたしがなんとかするから大丈夫よ!」
そう言うサクラの声も不安に震えている。
リーダーがそんな様子では周囲も落ち着けるはずもなく、次郎が
「お、俺っちたちだけでも逃げた方がいいんじゃないっスか!? アネゴは発信器を取ったから、この街から出ても大丈夫なんスよね!?」
「そ、そうだけど……だめよ。クラマ達を置いていくなんて」
「あの人らも先に逃げてるんじゃないっスか? ひょっとしたら俺っち達は見捨てられたのかも……」
「やめろ、次郎」
一郎がぴしゃりと次郎を止める。
「クラマの
「なんでそう言い切れるんだよ!? 見捨てたんじゃなくても、先に街から出て連絡がとれないって事もあるだろ? そしたら待つだけバカじゃんかよ!」
一郎と次郎は自分に
「そしたら、ここにいりゃ向こうから連絡つけてくれる。おれらが見捨てられることはねぇ。信じろ」
「じゃあ信じて来なかったらどうすんだよ!?」
ヒートアップしてきた2人。
それをサクラが
「ああもう! 一郎次郎、うるさい!」
2人の男はぴたりと言い争いを止める。
室内が静かになったところで、それまで口をつぐんできた三郎が、ぼそりと
「……あの男は危険から逃げるような男じゃないでござる」
「…………………………」
誰も反論はなかった。
それが間違いなく真実であると、その場の誰もが知っていたからだ。
……しかしながら次郎は少し気になった。
「クラマは逃げ出さない」と語る三郎の表情、そして声色が……希望や妄信などの明るいものではなく……ひどく暗く、否定的なニュアンスに思えたからだ。
その理由は次郎には見当がつかない。
三郎は続けて口を開いた。
「どのみちアネゴの治療も終わってないでござる。しばらくはここで待機するしかないでござるよ」
それにもまた、否定の言葉はなかった。
ハァーッとサクラがため息をつく。
「しょうがないわねぇ……じゃあ、当面はここで待機。一応逃げる準備もしておく。それでいいわね?」
サクラが場をまとめて、全員が
……と、そこへ診察室の方から何やら言い争うような声が届いてきた。
「……何かしら? こんな夜中に」
「ちょっと見てきやす」
一郎たちは廊下に出て、診察室のドアをそっと開けて
するとそこでは――
武装した憲兵数人が、どやどやと
診察室でカルテのチェックをしていたニーオは、急な
「
憲兵のひとりが前に出てニーオに告げる。
「クラマ=ヒロという地球人を知っているな」
「……………はぁ」
ニーオは無駄だろうなと思いつつも、一応
「たしかに患者として来たことはあるけど……それが何? 地球人は治療しちゃいけないなんて法律、この国にあった?」
「我々と来てもらおう」
憲兵は聞く耳持たない、ただこちらの言うべきことを言うだけ、という感じだった。
「せめて理由くらい聞かせてくれない? あの子が何をして、私が何を疑われてるのか」
「クラマ=ヒロは複数の冒険者ギルド規約に違反した指名手配犯だ。お前はその協力者の疑いがかけられている」
ニーオはやれやれという風に頭を
やっぱり裏目に出たか、と。
あんな男と関わったばっかりに、とうとう手に縄がつくことになってしまったようだ。
……とはいえ、ニーオに後悔はなかった。
医者として――人を助けるために。
それができる場所を求めて、帝国からこの地に身一つでやってきたのだ。
クラマという爆弾に関わったのは不運だったが、たとえ何度繰り返しても自分は同じ事をするだろう……。
ニーオはそう考えている。
「……ま、もしまた無事に会えたら……ぼったくるネタにはなるかな」
ニーオはそんな独り言を言って椅子から立ち上がった。
――そこに、声がかかった。
「ちょっと待ってください」
扉を開いて現れた男。
ニーオは目を見開いて驚いた。
そこに立っていたのは、この診療所で薬物治療のかたわら助手を
現れたダイモンジに憲兵が反応する。
「地球人の男……? 誰だ?」
ニーオは憲兵に向けて言った。
「この地球人はただの患者。関係ないよ」
「そういうわけにもいかないですよ、先生……このまま連れて行かれたら……戻って来られないんじゃないですか……?」
この街を
答えられずに苦い顔をするニーオ。
そんなニーオの様子を見て、ダイモンジは拳をぎゅっと握った。
「それじゃあ引くわけにはいかない……!」
「震えてるじゃない。無理しないの。確かあなた、人を殴ったこともないんでしょ?」
ニーオの指摘は当たっていた。
生まれてこのかた、ダイモンジは他人に対して拳を振り上げた経験がなかった。
扉を開けて姿を現した時から、ダイモンジの体は恐怖に震え、体中に汗が
「そうですね……でも……」
今すぐにでも逃げ出したい。
そんな思いを後一歩のところで必死に押さえこんで、その場に立つダイモンジ。
彼はゴクリと
「ここで何もしないで見過ごしたら、僕を助けてくれた彼に顔向けできない……!」
どうあっても引くつもりはないと、
そんなダイモンジの顔を見て、憲兵は話し合う。
「令状にはありませんが……」
「面倒だ。邪魔するなら一緒に連れていくぞ」
動き出そうとする憲兵たち。
ダイモンジはその前に唱えた。
「エグゼ・ディケ! 向こうからこっちに触らせない……!」
憲兵がダイモンジに
……だが、ある者はダイモンジに触れる直前で転倒し、またある者は壁にあるものが落ちてきたりと、奇妙な不運に
「よし……!」
憲兵がドタバタ劇を繰り広げている間にと、ダイモンジはニーオを連れて診療所の外へ出ようとする。
が……扉に向かう道は憲兵の体で阻まれている。
「エグゼ・ディケ! 囲みを突破して外へ……!」
唱えて突破しようと走る!
しかしどうしたことか、扉を阻む憲兵は
ダイモンジの首からかかった札にある運量の数値。
その残りは――0であった。
「ぐぁっ!」
頭を
ふたりは床に顔を押しつけられたまま、顔を合わせる。
「う……す、すみません……役に立たない男で……」
「まったくね。痛い思いしただけじゃない」
「は、はい……」
ニーオの
「……ま、
「ニーオ先生……」
「でも、そういう事するならもう少し
「はい……」
……その様子を、扉の
「どどどどうするよ……!?」
次郎が声を震わせながら2人に
同じく冷や汗を流して震える三郎が
「い、今のうちに逃げ……」
そこに口を
「……助けないと」
「バカおめえ無理に決まってんだろ! こっちにゃ
その指摘に一郎は
次郎の言う通り、彼らに憲兵を撃退する力などない。
「ぐっ。アネゴを連れて窓から――」
「ひぃ、来たっ……!」
一郎たちがいる廊下と診察室を
扉の前で
それを見て憲兵が声をあげる。
「お前らだな! 指名手配犯の協力者!」
「隊長、間違いないっす。昼間に冒険者ギルドで
憲兵の言葉に、一郎の顔がひきつる。
そして近付いてくる憲兵。
一郎たち3人は、おたおたと床を
逃げようとした一郎が憲兵に腕を掴まれ――
「ちょっと、何やってるのよ!」
廊下に響き渡る
病衣を着たままのサクラだ。
「……!」
一郎の目が見開かれる。
それまで憲兵から逃れようとしていた一郎だったが、しかし急に
「アネゴ、ここはアッシが
通路に
サクラには背を向けているが、その顔には決死の覚悟があった。
その一郎の背に、サクラの声が飛ぶ。
「なに言ってんの! あんた達を置いて行けるわけないじゃない! あたしがこのパーティーのリーダーなのよ!」
「アネゴ……!」
一郎の胸中に複雑な思いが
そんなことを言わずに一人でも逃げて欲しいという思いと――
そんな彼女だからこそ、守りたいという思い。
いずれにしても、その場を引くという選択肢だけは、一郎の中にはなかった。
「……さっさと引っ立てろ。奥の奴は地球人だ。面倒だから先にな」
「はっ!」
いかに覚悟を決めようとも、力のない身にとって現実は
一郎は憲兵に蹴り飛ばされて廊下を転がる。
そして憲兵は
「ちょっ、離して! 離せ、このっ――むぐっ!」
抵抗するサクラの口を、憲兵が塞ぐ。
口を塞いでしまえば面倒な運量を使われる心配もない。
安心して連れて行ける……と気を抜いた瞬間だった。
「はオゥッ……!」
サクラを捕まえた憲兵の体がくの字に折れる。
その股間にサクラの
「お、おい! 大丈夫かッ!」
「くお……おォん……うおぉん……」
股間を押さえて崩れ落ちる憲兵。
代わりに別の男がサクラに手を伸ばす。
しかし今度は、サクラを捕まえようとはしなかった。
代わりに――殴る。
男の拳がサクラの
「おらァッ!」
「あうっ……!」
男の
少女の軽い体は、吹き飛ばされるように地面に転がった。
「ぅ……あ……」
地面に倒れたサクラは意識こそ残っていたが、体が動かず起き上がれないようだった。
それに拳を構えたまま、馬乗りになる憲兵の男。
「やめろ!」
暴れる一郎。
だがいくら暴れようとも、上から別の憲兵にしっかりと拘束されて、立ち上がることすらできない。
そして通路の
その様子を眺めながら……何もできない次郎と三郎がいた。
「ああ……もうだめだ……」
絶望にうちひしがれる。
それは、今の状況に対する絶望だけではなかった。
先ほど見たダイモンジや一郎、そしてサクラのように……仲間のために体を張ることができない自分自身に対する、自虐的な絶望だった。
――だって抵抗しても無駄だと分かってる。
――自分が弱いなんて、自分が一番よく分かってるんだ……。
でも……と、次郎は思う。
次郎が一郎と初めて出会った時、彼は一郎に自分と同じものを感じていた。
ダイモンジに対してもそうだった。
自分の同類……ヘタレの目をしていた。
しかし、目の前の光景は違っていた。
必死になって仲間のために戦う一郎やダイモンジと……廊下の隅で縮こまっている自分と三郎。
――なんでこんなことができる?
分からない。
ほんの少し前までは、同じ穴の
自分と彼らとの間に、どうしてこんな差がついたのか。
分からない。
次郎には分からなかった。
ただ――
次郎の
それは、この街で知り合った地球人の少年。
あの少年ならば、
そして鮮やかに、見事なまでにあっさりと、やってのけるに違いない。
「あいつが……」
次郎の唇から、祈るように言葉が
「あいつがいれば……」
その時、診察室の方から物音がした。
続いて警戒を
「なんだ貴様! おい止まれ……うぐあっ!」
ドダッ、と重いものが床に転がる音が次郎の耳に届いた。
その騒ぎに廊下にいる憲兵も気がつき、目を向けた。
「何があった。確認しろ」
「はっ! ……あっ!?」
黒い影が、診察室から廊下に現れる。
迷いなく振るわれる拳、そして投げ。
突如として現れた男に、廊下にいた憲兵は次々と倒されていった。
あっという間に男たちは叩き
男は立ち上がり、乱入者の顔を見て言った。
「貴様、こいつらの仲間か!? ……んっ!? いや、貴様、その顔……!」
憲兵はその顔を見て
そして、その憲兵の足元で、倒れたサクラの唇が動いた。
「……クラマ」
剣を抜こうと腰に手を伸ばす憲兵。
だが踏み下ろすような蹴り込みによって、腰に伸ばした手は蹴り足と
「――ぐぁっ」
だが痛みから立ち直る暇はなかった。
次の瞬間には指を立てた
「ぬむ――」
目潰しを受けた男は反射的に顔を手で
その下がった頭を両腕で抱え込まれて――今度は顔面に膝を打ちつけられる。
そこでほぼ意識は飛んだ。
が、さらに
……憲兵は倒れて起き上がらない。
突風のごとく駆け抜けたひとりの男によって、
廊下の奥に
黒いコートの裏地には、ちらりと見えるリバーシブル仕様の白。
それはサクラ達のよく見知った男。
しばらくぶりに彼らの前にその姿を見せた男は、ゆっくりと肩越しに振り返り……にやりと笑顔を見せて言った。
「や、助けにきたよ」
クラマが、地上に帰還した。
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