第71話 - 診療所の挿話

 草木くさきも寝静まり、夜陰やいんますます深まりゆくという頃。

 住宅街の裏通りにまぎれるように、小さな個人経営の診療所がたたずんでいる。

 クラマ達が贔屓ひいきにしているニーオの診療所だ。


 その病室のひとつでサクラ、一郎、次郎、三郎の4人が集まり声をひそめて相談していた。


「……で、やっぱりクラマ達と連絡はとれないの?」


「すいやせんアネゴ」


 クラマ達のパーティーがダンジョンにもぐってからというもの、ここ数日間ずっと連絡がとれないことにサクラ達はれていた。

 それだけならば探索が長引いているのだろうと考えることもできた。

 だが、先日クラマ達の貸家かしやが憲兵の手で封鎖されているのを目撃して、彼らは強く動揺していた。

 クラマ達と彼らはもはや一蓮托生いちれんたくしょうである。

 憲兵にクラマ達の貸家が押さえられたとなれば、床に開けた穴を使って不正を働いていたことは当然、明るみに出る。

 クラマ達が捕まれば、協力者であるサクラ達にもるいおよぶことは必至。

 これは由々ゆゆしき事態であった。


 病室に集まった彼らの表情は一様に不安げだ。

 ベッドのふちに座るサクラも険しい顔で、落ち着きなく何度も足を組み直している。


「あたし達に何かできることないの?」


 そんなサクラの問いに答えるのは次郎。


「へえ。クラマの旦那からは、何かあっても下手に動かず待ってるように……って言われてるっスからねぇ」


「う~~~~……ならしょうがないけど……。そうだ一郎、今日は外の様子を見に行ってたんでしょ? 何かなかったの?」


「えぇ、それが冒険者ギルドに行ったら、彼ら全員が指名手配されてやして。似顔にがおつきで、掲示板に手配書が」


「はぁ!? なにそれ、まずくない!?」


「そりゃあ……まずいですわ」


「まずいっスよ、アネゴォ!」


「お、おおお落ち着きなさい! あ、あたしがなんとかするから大丈夫よ!」


 そう言うサクラの声も不安に震えている。

 リーダーがそんな様子では周囲も落ち着けるはずもなく、次郎があわてて意見する。


「お、俺っちたちだけでも逃げた方がいいんじゃないっスか!? アネゴは発信器を取ったから、この街から出ても大丈夫なんスよね!?」


「そ、そうだけど……だめよ。クラマ達を置いていくなんて」


「あの人らも先に逃げてるんじゃないっスか? ひょっとしたら俺っち達は見捨てられたのかも……」


「やめろ、次郎」


 一郎がぴしゃりと次郎を止める。


「クラマの旦那だんながおれらを見捨てるわけがねぇ。おかしなことを言うのはやめろ」


「なんでそう言い切れるんだよ!? 見捨てたんじゃなくても、先に街から出て連絡がとれないって事もあるだろ? そしたら待つだけバカじゃんかよ!」


 一郎と次郎は自分にせられた役作りも忘れて、素の口調で言い争う。


「そしたら、ここにいりゃ向こうから連絡つけてくれる。おれらが見捨てられることはねぇ。信じろ」


「じゃあ信じて来なかったらどうすんだよ!?」


 ヒートアップしてきた2人。

 それをサクラが一喝いっかつする!


「ああもう! 一郎次郎、うるさい!」


 2人の男はぴたりと言い争いを止める。

 室内が静かになったところで、それまで口をつぐんできた三郎が、ぼそりとつぶやいた。


「……あの男は危険から逃げるような男じゃないでござる」


「…………………………」


 誰も反論はなかった。

 それが間違いなく真実であると、その場の誰もが知っていたからだ。

 ……しかしながら次郎は少し気になった。

 「クラマは逃げ出さない」と語る三郎の表情、そして声色が……希望や妄信などの明るいものではなく……ひどく暗く、否定的なニュアンスに思えたからだ。

 その理由は次郎には見当がつかない。

 三郎は続けて口を開いた。


「どのみちアネゴの治療も終わってないでござる。しばらくはここで待機するしかないでござるよ」


 それにもまた、否定の言葉はなかった。

 ハァーッとサクラがため息をつく。


「しょうがないわねぇ……じゃあ、当面はここで待機。一応逃げる準備もしておく。それでいいわね?」


 サクラが場をまとめて、全員がうなずいた。

 ……と、そこへ診察室の方から何やら言い争うような声が届いてきた。


「……何かしら? こんな夜中に」


「ちょっと見てきやす」


 一郎たちは廊下に出て、診察室のドアをそっと開けて隙間すきまから中をのぞき込んだ。

 するとそこでは――






 武装した憲兵数人が、どやどやと無遠慮ぶえんりょに診察室へ足を踏み入れた。

 診察室でカルテのチェックをしていたニーオは、急な来訪者らいほうしゃに向けて顔を上げて対応する。


急患きゅうかん――じゃなさそうね。何かしら? とっくに営業時間は過ぎてるんだけど」


 憲兵のひとりが前に出てニーオに告げる。


「クラマ=ヒロという地球人を知っているな」


「……………はぁ」


 ニーオは無駄だろうなと思いつつも、一応弁明べんめいしてみせる。


「たしかに患者として来たことはあるけど……それが何? 地球人は治療しちゃいけないなんて法律、この国にあった?」


「我々と来てもらおう」


 憲兵は聞く耳持たない、ただこちらの言うべきことを言うだけ、という感じだった。


「せめて理由くらい聞かせてくれない? あの子が何をして、私が何を疑われてるのか」


「クラマ=ヒロは複数の冒険者ギルド規約に違反した指名手配犯だ。お前はその協力者の疑いがかけられている」


 ニーオはやれやれという風に頭をいた。

 やっぱり裏目に出たか、と。

 あんな男と関わったばっかりに、とうとう手に縄がつくことになってしまったようだ。

 ……とはいえ、ニーオに後悔はなかった。

 医者として――人を助けるために。

 それができる場所を求めて、帝国からこの地に身一つでやってきたのだ。

 クラマという爆弾に関わったのは不運だったが、たとえ何度繰り返しても自分は同じ事をするだろう……。

 ニーオはそう考えている。


「……ま、もしまた無事に会えたら……ぼったくるネタにはなるかな」


 ニーオはそんな独り言を言って椅子から立ち上がった。

 ――そこに、声がかかった。


「ちょっと待ってください」


 扉を開いて現れた男。

 ニーオは目を見開いて驚いた。

 そこに立っていたのは、この診療所で薬物治療のかたわら助手をつとめている地球人……ダイモンジ=ダイスケだ。

 現れたダイモンジに憲兵が反応する。


「地球人の男……? 誰だ?」


 ニーオは憲兵に向けて言った。


「この地球人はただの患者。関係ないよ」


「そういうわけにもいかないですよ、先生……このまま連れて行かれたら……戻って来られないんじゃないですか……?」


 この街を牛耳ぎゅうじるヒウゥースの評判を聞く限り、ダイモンジの言うことは間違ってなさそうだった。

 答えられずに苦い顔をするニーオ。

 そんなニーオの様子を見て、ダイモンジは拳をぎゅっと握った。


「それじゃあ引くわけにはいかない……!」


「震えてるじゃない。無理しないの。確かあなた、人を殴ったこともないんでしょ?」


 ニーオの指摘は当たっていた。

 生まれてこのかた、ダイモンジは他人に対して拳を振り上げた経験がなかった。

 扉を開けて姿を現した時から、ダイモンジの体は恐怖に震え、体中に汗がにじみ出ている。


「そうですね……でも……」


 喧嘩けんかなどしたこともない。

 今すぐにでも逃げ出したい。

 そんな思いを後一歩のところで必死に押さえこんで、その場に立つダイモンジ。

 彼はゴクリとのどを鳴らして、言った。


「ここで何もしないで見過ごしたら、僕を助けてくれた彼に顔向けできない……!」


 どうあっても引くつもりはないと、不退転ふたいてんの決意を見せる。

 そんなダイモンジの顔を見て、憲兵は話し合う。


「令状にはありませんが……」


「面倒だ。邪魔するなら一緒に連れていくぞ」


 動き出そうとする憲兵たち。

 ダイモンジはその前に唱えた。


「エグゼ・ディケ! 向こうからこっちに触らせない……!」


 憲兵がダイモンジに殺到さっとうする!

 ……だが、ある者はダイモンジに触れる直前で転倒し、またある者は壁にあるものが落ちてきたりと、奇妙な不運にはばまれて触れることができない。


「よし……!」


 憲兵がドタバタ劇を繰り広げている間にと、ダイモンジはニーオを連れて診療所の外へ出ようとする。

 が……扉に向かう道は憲兵の体で阻まれている。


「エグゼ・ディケ! 囲みを突破して外へ……!」


 唱えて突破しようと走る!

 しかしどうしたことか、扉を阻む憲兵は微動びどうだにせず、逆にダイモンジを捕まえてきた。

 ダイモンジの首からかかった札にある運量の数値。

 その残りは――0であった。


「ぐぁっ!」


 頭をつかまれ、上から地面に押さえ込まれたダイモンジとニーオ。

 ふたりは床に顔を押しつけられたまま、顔を合わせる。


「う……す、すみません……役に立たない男で……」


「まったくね。痛い思いしただけじゃない」


「は、はい……」


 ニーオの辛辣しんらつかつ正当な評価に、ダイモンジはちぢこまった。


「……ま、啖呵たんかを切った時だけはサマになってたわよ」


「ニーオ先生……」


「でも、そういう事するならもう少しせなさい?」


「はい……」


 ほどよくふくよかなダイモンジの頬肉ほおにくが、床に押し付けられて面積を広げていた。






 ……その様子を、扉の隙間すきまから見た一郎、次郎、三郎の3人。


「どどどどうするよ……!?」


 次郎が声を震わせながら2人にく。

 同じく冷や汗を流して震える三郎がつぶやいた。


「い、今のうちに逃げ……」


 そこに口をはさんだのは一郎。


「……助けないと」


「バカおめえ無理に決まってんだろ! こっちにゃ怪我ケガ人もいるんだぞ!」


 その指摘に一郎はうなる。

 次郎の言う通り、彼らに憲兵を撃退する力などない。


「ぐっ。アネゴを連れて窓から――」


「ひぃ、来たっ……!」


 一郎たちがいる廊下と診察室をつなぐ扉が、バーンと大きな音をたてて開かれる!

 扉の前でのぞいていた男3人は、はじかれたように廊下に尻もちをついた。

 それを見て憲兵が声をあげる。


「お前らだな! 指名手配犯の協力者!」


「隊長、間違いないっす。昼間に冒険者ギルドでぎ回ってた奴ですよ」


 憲兵の言葉に、一郎の顔がひきつる。

 そして近付いてくる憲兵。

 一郎たち3人は、おたおたと床をいずるように下がった。

 逃げようとした一郎が憲兵に腕を掴まれ――


「ちょっと、何やってるのよ!」


 廊下に響き渡る甲高かんだかい少女の声。

 病衣を着たままのサクラだ。


「……!」


 一郎の目が見開かれる。

 それまで憲兵から逃れようとしていた一郎だったが、しかし急に毅然きぜんとして立ち上がり、両手を広げて通路をふさいだ。


「アネゴ、ここはアッシがおさえやす! 逃げてくだせえ!」


 通路に仁王立におうだちする一郎。

 サクラには背を向けているが、その顔には決死の覚悟があった。

 その一郎の背に、サクラの声が飛ぶ。


「なに言ってんの! あんた達を置いて行けるわけないじゃない! あたしがこのパーティーのリーダーなのよ!」


「アネゴ……!」


 一郎の胸中に複雑な思いがき起こる。

 そんなことを言わずに一人でも逃げて欲しいという思いと――

 そんな彼女だからこそ、守りたいという思い。


 いずれにしても、その場を引くという選択肢だけは、一郎の中にはなかった。


「……さっさと引っ立てろ。奥の奴は地球人だ。面倒だから先にな」


「はっ!」


 いかに覚悟を決めようとも、力のない身にとって現実は残酷ざんこくなものだった。

 一郎は憲兵に蹴り飛ばされて廊下を転がる。

 そして憲兵は容易たやすくサクラを拘束した。


「ちょっ、離して! 離せ、このっ――むぐっ!」


 抵抗するサクラの口を、憲兵が塞ぐ。

 口を塞いでしまえば面倒な運量を使われる心配もない。

 安心して連れて行ける……と気を抜いた瞬間だった。


「はオゥッ……!」


 サクラを捕まえた憲兵の体がくの字に折れる。

 その股間にサクラのひざがめり込んでいた。


「お、おい! 大丈夫かッ!」


「くお……おォん……うおぉん……」


 股間を押さえて崩れ落ちる憲兵。

 代わりに別の男がサクラに手を伸ばす。

 しかし今度は、サクラを捕まえようとはしなかった。

 代わりに――殴る。

 男の拳がサクラのよこつらを打ち抜いた!


「おらァッ!」


「あうっ……!」


 男の容赦ようしゃない一撃。

 少女の軽い体は、吹き飛ばされるように地面に転がった。


「ぅ……あ……」


 地面に倒れたサクラは意識こそ残っていたが、体が動かず起き上がれないようだった。

 それに拳を構えたまま、馬乗りになる憲兵の男。


「やめろ!」


 暴れる一郎。

 だがいくら暴れようとも、上から別の憲兵にしっかりと拘束されて、立ち上がることすらできない。

 そして通路のすみ

 その様子を眺めながら……何もできない次郎と三郎がいた。


「ああ……もうだめだ……」


 絶望にうちひしがれる。

 それは、今の状況に対する絶望だけではなかった。

 先ほど見たダイモンジや一郎、そしてサクラのように……仲間のために体を張ることができない自分自身に対する、自虐的な絶望だった。


 ――だって抵抗しても無駄だと分かってる。

 ――自分が弱いなんて、自分が一番よく分かってるんだ……。


 でも……と、次郎は思う。

 次郎が一郎と初めて出会った時、彼は一郎に自分と同じものを感じていた。

 ダイモンジに対してもそうだった。

 自分の同類……ヘタレの目をしていた。

 しかし、目の前の光景は違っていた。

 必死になって仲間のために戦う一郎やダイモンジと……廊下の隅で縮こまっている自分と三郎。


 ――なんでこんなことができる?

 分からない。

 ほんの少し前までは、同じ穴のむじなであったはずだった。

 自分と彼らとの間に、どうしてこんな差がついたのか。

 分からない。

 次郎には分からなかった。

 ただ――


 次郎の脳裏のうりにひとつ思い浮かぶもの。

 それは、この街で知り合った地球人の少年。

 あの少年ならば、微塵みじんも迷わず飛び出し、体を張って戦うだろう。

 そして鮮やかに、見事なまでにあっさりと、やってのけるに違いない。


「あいつが……」


 次郎の唇から、祈るように言葉がれた。


「あいつがいれば……」


 その時、診察室の方から物音がした。

 続いて警戒をあらわにした憲兵の声。


「なんだ貴様! おい止まれ……うぐあっ!」


 ドダッ、と重いものが床に転がる音が次郎の耳に届いた。

 その騒ぎに廊下にいる憲兵も気がつき、目を向けた。


「何があった。確認しろ」


「はっ! ……あっ!?」


 黒い影が、診察室から廊下に現れる。

 ひるがえる黒コート。

 迷いなく振るわれる拳、そして投げ。


 突如として現れた男に、廊下にいた憲兵は次々と倒されていった。

 あっという間に男たちは叩きされ、そして残るはサクラの上に乗っていた男だけ。

 男は立ち上がり、乱入者の顔を見て言った。


「貴様、こいつらの仲間か!? ……んっ!? いや、貴様、その顔……!」


 憲兵はその顔を見て驚愕きょうがくした。

 そして、その憲兵の足元で、倒れたサクラの唇が動いた。


「……クラマ」


 剣を抜こうと腰に手を伸ばす憲兵。

 だが踏み下ろすような蹴り込みによって、腰に伸ばした手は蹴り足とつかとの間で潰された。


「――ぐぁっ」


 苦悶くもん

 だが痛みから立ち直る暇はなかった。

 次の瞬間には指を立てたてのひらで顔面を叩かれ、目潰しを受ける。


「ぬむ――」


 目潰しを受けた男は反射的に顔を手でおおい、頭が下がる。

 その下がった頭を両腕で抱え込まれて――今度は顔面に膝を打ちつけられる。

 そこでほぼ意識は飛んだ。

 が、さらに一分いちぶ容赦ようしゃもなく、勢いよく壁に頭を叩きつけられた。


 ……憲兵は倒れて起き上がらない。

 突風のごとく駆け抜けたひとりの男によって、またたく間に全ての憲兵は打ち倒された。

 廊下の奥にたたずみ、背中を見せる黒コート。

 黒いコートの裏地には、ちらりと見えるリバーシブル仕様の白。

 それはサクラ達のよく見知った男。

 しばらくぶりに彼らの前にその姿を見せた男は、ゆっくりと肩越しに振り返り……にやりと笑顔を見せて言った。


「や、助けにきたよ」


 クラマが、地上に帰還した。

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