第70話 - 賢者の挿話

 クラマとヤエナが去った後、2人の姿が消えても賢者ヨールンは虚空こくうの先を見据みすえ続けていた。

 闇の中でもくすぶることなくきらめく紅玉の瞳。

 まるでそれはめ込まれた宝石のようだった。

 しかし――



「いつまでも人形のままでいられるか……」



 ソレは聞こえるはずのない声。

 男の口は動いていない。

 当然だ、つむがれた声色はしわがれた老人のもの。

 ここには青年の形をしたモノしかいない。

 いや、もうひとつ……


「ィ……ィィ……ァィ……」


 クラマがいなくなったのを見計らってか、鍾乳石しょうにゅうせきかげからソロソロと姿を現す黒いもの。

 ――魔物。

 ヨールンは魔物に手招きをすると、近寄ってきたそれを両手で頭上に高く抱え上げた。


 元は人間――いや、神の造りし“人形”であったもの。

 今やそれは顔もなく、手もなく、足もなく、ただ体のきしみで鳴き声のようなしゃくさわる音をかなで、棒状の器官を突き出す勢いで移動を行う奇怪極きかいきわまる物体。

 知性を捨て、尊厳そんげんを捨て、さらには有機体であることすら捨て、このようなものに成り果ててまで生きながらえて――果たしてそこに希望はあったのか。

 今となっては何も語れぬ当人にしか分からない。

 魔物と呼ばれることになった、《神の粛清》を経た古代人たち。


 魔物を頭上にかかげた賢者ヨールンが口を開いた。


「先輩……」


 美しい青年の声には、どこか遠い郷愁きょうしゅうを思い起こすような、優しさと悲哀ひあいがあった。

 賢者ヨールンは魔物を自らの膝の上に乗せ、再び釣り竿を地底湖に向かって構える。


小賢こざかしく……常軌じょうきいっした奴じゃが……あのくらいでなくてはならん」


「ィ……ィィ……」


 膝の上の物体に、その言葉が通じているのかいないのか。


「さて、うまく動いてくれるかの……儂の可愛い人形たちは……」


 賢者は魔物を優しくでて、語りかけるようにつぶやいた。

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