第46話

 クラマの入院中、色々な人が病室へ見舞いにおとずれたが、どういうことかレイフだけは姿を見せることがなかった。

 さすがに気になったクラマは、訪れたパフィーにレイフの様子はどうかとたずねてみたところ……


「あ……レイフは……う、うん。大丈夫。顔のれも引いてきたし、もう普段通りよ。……でも……」


 パフィーは言葉をにごす。

 しばらく悩んでいたが、やがてかぶりを振った。


「ううん。これはクラマがレイフから直接聞いた方がいいと思う。私は……いいか悪いか、分からないから……」


 核心をわざと外した、意味深な言葉。

 クラマはそれに、ただ分かったとだけ答えた。






 それから3日後。

 日常生活に支障がない程度まで回復したクラマは、ついに退院する運びとなった。

 この後は貸家かしやに戻って、次の探索の準備をしながらリハビリしていく予定だ。


 診療所を出るその前に、クラマはまずサクラの病室に顔を出した。

 クラマの顔を見たサクラは開口一番かいこういちばん


「嘘つき! 痛くないって言ったじゃない! このバカ! アホちんこ!」


 アホちんこはライン超えてきたな、とクラマは思った。

 サクラの魔法治療は三郎が行うことになっていたが、慣れない代謝促進魔法に三郎が手間取っているうちに、サクラの目が覚めてしまったらしい。

 クラマは涙目で騒ぐサクラの頭をでて落ち着かせた。

 するとサクラはすぐに大人しくなった。

 ついでにサクラの心量も上がった。

 クラマはサクラの将来が心配になった。




 そうして次に、クラマはイエニアの病室へと足を運んだ。

 クラマが扉を開けて中に入ると……


「――クラマ?」


 ベッドに横になっていたイエニアが、クラマの来訪らいほうに気付いて身を起こした。

 イエニアの着ているゆったりとした病衣。

 その首元から鎖骨さこつにかけて、ちらりと刃物による傷跡が見えた。


「傷……もう塞がったんだね」


 言われてイエニアは、傷跡を隠すように襟元えりもとを正した。


「ええ、私も三郎さんに魔法治療をして貰いましたので。少し遅れますが、私もすぐに戻ります。クラマは先に戻って待っていてください」


 いつも通りの、りんとして頼もしいイエニアだった。

 クラマは枕元まくらもとの椅子に腰かけて、しばらくイエニアとふたりで雑談にきょうじた。

 治療魔法を受けた感想。

 見舞いに来た人たちから聞いた話。

 病院食の味と量。


「いやー、いくらおいしいって言ってもさ。しばらくチェーニャ鳥の卵は食べたくないね!」


「クラマはままです。私はたくさん食べることができて、夢のようでしたよ」


 などと楽しく歓談していたが、やがて話に区切りがついて、どちらともなく会話が止まる。


「じゃあ、僕はそろそろ……」


 と、クラマが腰を上げた時だった。


「……? イエニア?」


 椅子から立ち上がりかけたクラマのそでが、イエニアの手で掴まれていた。


「あ……」


 それはイエニアにとっても無意識の事だった。

 イエニアは驚いた顔を見せて、すぐに顔をせる。

 ……だが、クラマの袖を掴む手はそのままだった。


「どうかした、イエニ――」


 ふと、そこでクラマは気がついた。

 イエニアの肩がかすかに震えていることに。


「……イエニア」


 クラマは椅子に座り直して、イエニアの肩に手を置いた。

 イエニアの気持ちはクラマには分からない。

 だが、人は触れ合うだけで安心を得られるということを、クラマは知っていた。

 クラマはもう一方の手で、イエニアの手を握る。

 イエニアの震えが止まってくれるように。

 彼女の不安が消え去るように。

 そうしているとやがて、イエニアはうつむいたまま、ぽつりとつぶやいた。


「……怖かった」


 その声は、クラマが初めて聞く、イエニアのか細い声だった。

 細かく震える唇。

 イエニアの震えは収まるどころか、次第に大きくなっていった。


「わたし……怖かった……怖かったんです。斬られるのは……死ぬのは覚悟してた。でも……」


 少しずつ声色も大きくなる。

 嗚咽おえつじみた訴えが、あの毅然きぜんとしたイエニアの口から漏れ出してくる。


「でも、あいつらは違った……! 私、意識はあったんです……目はかすれて見えなかったけど……周りの声は聞こえてた。彼らは私を殺す気がなかった……ただ、おもちゃにして、それで死んでも構わないっていうだけで……! もう少しで……もう少しで私、あいつらに……!」


 クラマはイエニアを抱きしめた。

 イエニアの震えが体を通して伝わってくる。

 その震えを自分の体で受け止めるように。

 クラマはぎゅっと強く、抱きしめた。


「…………………クラマ………」


 クラマは何も言わない。

 何も言わない方がいいと思った。

 言葉がなくても伝えられることはある。

 だから、中身のない言葉で彼女の存在がそこなわれないように。

 ただ黙って、抱きしめた。


「…………ありがとう、クラマ」


 いつしか、イエニアの震えは止まっていた。

 その声も――いつもと少し違うが――震えはない。

 イエニアはそのまま、クラマの耳元でささやくように言った。


「私が乱暴されそうになった時……レイフがかばってくれたんです。彼らの矛先が自身に向くように、わざと挑発して……」


「レイフらしい」


「ええ、そう思います」


 クラマはイエニアから体を離した。

 そこにはもう、背筋を伸ばしてクラマをまっすぐに見つめる、普段通りのイエニアの姿があった。

 そうしてイエニアは、クラマの目を見て告げた。


「レイフと話をしてください。私からは……何も言えません。勝手かもしれませんが……私はクラマの判断に任せたい」


「分かった」


 クラマはうなずいた。






 イエニアの病室を出たクラマ。

 色々回って皆に挨拶を終えると、彼は診療所を後にした。

 久々に屋外へと降り立ったクラマは、目蓋まぶたに強い日の光を感じながら、ぐーっと強く伸びをした。


「さて――行くか」


 クラマは久しぶりの拠点、自分達の貸家へと戻っていった。




 帰り道の途中で街の人から何度も話しかけられた。

 なんだかんだで家に着いたのは夕方。

 貸家に戻るとイクスが出迎えた。

 クラマは帰り道に買った食材を使って夕飯の支度したくをする。

 パフィーが戻り、レイフが戻り、ティアが戻った。

 皆で食卓を囲む。

 イエニアはいないが、それ以外は普段通り。

 特におかしな事もなく、食器を洗い、お風呂に入り、そして夜が来る。






 夜が来た。


 暗闇のとばりが降りきって、黒い黒い、何もない黒が空一面をおおう頃。

 人も小鳥も寝静まり、夜のしじまが世界のすべてを抱きしめる頃。


 しかし、そこに日の光があることを知っている。

 クラマのがれる暖かな日差しが待っている。


 クラマは階段に足をかけ、一歩一歩と、空へと近付いていく。

 ついには階段を登りきる。

 そうして、クラマは貸家の屋上に顔を出した。



「あら、奇遇きぐうね」



 クラマの太陽がそこにいた。


「ここから登っていくのが見えたからね」


 その答えに、レイフはふふっと笑った。

 レイフは屋根の上に座って遠くを眺めている。

 クラマはランタンを置いて、レイフの隣に腰を下ろしていた。


「何を見てるの?」


「いいえ、特に何も。私はただ、あなたが来るのを待ってたんだもの」


「そっか。僕もレイフに用があるんだ」


「あら、クラマから私に?」


「うん……」


 クラマは座ったまま空を見上げた。

 広がるのは、もはや見飽きた黒。


「……やっぱり月は出てないかぁ」


 当たり前である。


「つき?」


 この世界には月も星も存在しない。

 分かりきったことを今さら確認しながら、クラマは呟いた。


「僕が生まれた国ではこういう時、月が綺麗ですね……って言うんだよね」


「ふうん?」


 レイフもクラマに釣られて夜空を見上げた。

 ふたりで何もない空を見上げながら、クラマはレイフに向けて語る。


「地球ではね、夜は太陽の代わりに月が照らすんだ。太陽よりはずっと小さい光だから、夜はやっぱり暗いんだけど……それに満ち欠けっていって、毎日少しずつ形が変わっていってね。それから月の他にも、小さな星が見渡す限りに広がってて……天気がいいと、空いっぱいに宝石が輝いてるみたいになるんだ」


 レイフの見知らぬ世界の話を力説するクラマ。

 その横顔を眺めながら、レイフは言った。


「なんだか幻想的ね」


「……言われてみれば確かに」


 よもやファンタジー世界の住人に言われるとは思わなかった言葉に、クラマは苦笑した。

 クラマは地球に戻りたいと思ったことはない。

 だが、クラマの心象では、この世界には足りないものが多すぎる。

 月はない。星もない。雲も、雨も、強い風もなければ四季もない。

 戻りたくはないが、欲しいとは思う。


「レイフにも、いつか地球の星空を見せたいな。イエニアとパフィー……みんなにも」


 そう言って空から視線を落とし、レイフに目を向けるクラマ。

 クラマと目線が合ったレイフは、困ったような照れ笑いをした。


「ふふ、いいわね。私も見てみたいけど……」


 そして、レイフは告げる。


「私は、パーティーを抜けるから」


 ―――――――。


 空白の時間。

 パフィーとイエニアの態度から既に予想はできていたので、クラマはことさら聞き返したりはしなかった。

 それにどう返すべきかも、クラマはあらかじめ考えてきていた。

 だが……言葉が出てこない。

 クラマは返す言葉を言えずに、固まってしまった。

 ぐっと奥歯をみ、拳を握るクラマに向けて、レイフは続ける。


「みんなの足手まといにならないようにって、弓を練習してみたり、よその冒険者から短剣の使い方を教わったりしたけど……ダメだった。危険が迫ってくると、どうしても目を閉じて縮こまっちゃう。目の前が真っ白になって、何も考えられなくなるのよね」


 以前にクラマとの訓練でイエニアも言っていた。

 戦い慣れていない者は、恐怖のために、相手の攻撃を最後まで見続けることができないと。


「奥に進めば、もっと危険が増えていくんでしょうし……私だけならいいけど、このままだと私のせいでパーティーが全滅するだろうから」


 正論だった。

 否定できる要素がない。

 レイフがピンチになれば、クラマは必ず助けようとする。

 それが続けば、いずれは破綻はたんするのは目に見えている。

 クラマが答えられないでいると、レイフはそこで軽く息を抜いて、クラマに向けて微笑ほほえみかける。


「ふふっ、そんな顔しないで。パーティーを抜けたからって、別に会えなくなるわけじゃないわ。みんなが良ければ、このままここにいてもいいわけだしね?」


 自分はそんなにひどい顔をしているのか、とクラマは思った。

 だが、いつものように表情をつくろえなかった。

 格好つけた軽口も、今ばかりは出てこない。


 冷静に考えてみれば。

 レイフには抜けてもらって、新しくメンバーをつのった方がいい。

 秘密を共有するため厳選する必要はあるが……既に候補は何人かいる。

 ダンジョン攻略のためにはそれが合理的で、当然の判断だった。

 クラマもそれは理解している。

 その上でクラマは、口を開いた。


「駄目だ。抜けたら駄目だ」


 レイフの言葉は否定しない。

 否定できない。

 ただ、駄目だと主張した。

 レイフはそんなクラマに優しくさとすように言う。


「だめよクラマ。約束したでしょう、彼女たちをダンジョンの奥まで連れて行くって」


「……レイフとも、約束した」


「ごめんね、あれは嘘なの。だから無効」


「それならイエニアとパフィーだって無効だ」


 すでにイエニアとパフィーの嘘は暴かれている。

 そうとは知らないレイフは少し驚いた顔を見せたが、すぐに別の答えに変える。


「でも、イエニアとパフィーにはダンジョンに潜る理由があるわ。私にはもう理由がないの。クラマには復讐のための資金集めに来たって言ったけど……私はもう復讐する気なんてないのよ。ただ、自暴自棄になって来ただけ。でもみんなとパーティーを組んで、みんなと暮らして……それじゃいけないと思って。私の馬鹿な考えに、みんなを巻き込みたくないの」


 レイフはパーティーの皆と仲間意識が芽生えた結果……仲間のために、自分がパーティーを抜けるという結論に至った。

 つまりここでレイフを引き留めるということは、「自分のせいで仲間が」という不安と罪悪感を背負っていくことを強要するという事である。

 不合理なだけでなく、それは残酷ざんこくな事だ。


 だが、クラマは引かない。

 どこまでも食い下がっていく。


「……でも、仲間のために全滅してもいいと言ったのはレイフだ」


「それは互いにやるべき事をした上で、そうなっても仕方ないという事よ。パーティーのためには、私が抜けるのが私のやるべき事。そうでしょ?」


「………………」


 クラマには返せる言葉がなくなってしまった。

 話は終わりとばかりにレイフは腰を上げ……しかしその手をクラマは掴んだ。


「頼む。行かないで欲しい」


 レイフは怪訝けげんな顔をする。


「どうしてそこまで私がパーティーに残ることにこだわるの? 一緒にダンジョンに行かなくても仲間でいられるのに。サクラ達だってそうでしょ?」


「………それは……………」


 レイフにとっては当然の疑問。

 しかしそれは、クラマにとっては答えることのできないもので……


「……僕も、嘘をついている」


 クラマは、訥々とつとつと語り出した。

 己の重ねてきた嘘の数々を。


 自分の特技、経歴。

 守るつもりのない口約束。

 嘘を言わない日はなかった。

 すべてを事細ことこまかに覚えているわけではないが、ひとつひとつを、できるだけ漏らさぬように語っていく。


 ……かなり長い時間、語ることになった。

 思いつく限りを喋ったクラマは、ゆっくりとレイフから離れる。

 そして、その後に言った。


「……だけど、僕が隠してるのはそれだけじゃない」


 そう告げたクラマの瞳は、果てしなくうつろで、光の差さぬ闇のようだった。

 まるで空の暗闇に溶け込むかのように――


「でも……それは言えない……それだけは、どうしても……」


 苦悶くもんに震えるクラマ。

 ……クラマの抱える闇。

 まさにそれこそが、クラマがレイフを引き留める理由であり――だからこそ、クラマには明かすことができない。

 それを言ってしまえば、パーティーそのものが破綻してしまうから。


 ゆえに、クラマは理屈を語れない。

 クラマに出来ることは……はじ外聞がいぶんもない、幼稚な泣き落としだけだった。

 しかし……


 ――駄目だ、これは。


 クラマは焦っていた。

 泣き落としのために自らの嘘を告白した。

 そこまではいい。

 どうしてそこで、「でも言えないことがある」になるのか。

 懺悔ざんげするなら全てをさらけ出さないと。

 なぜ馬鹿正直にそこまで言ってしまうのか。

 明らかに交渉のやり方を間違えている。

 クラマは己の失敗を自覚し、絶望した。


 ……しかし、思い起こせば最初からそうだった。

 レイフとふたりきりになると、思ったことが言えない。

 普段通りの態度がとれない。

 それだけではない。

 レイフの性的な誘いや冗談に対して乗っていけずに、すぐに逃げ出してしまう。

 他の人が相手なら、いくらでも変態行為を要求できるのに。

 心量回復のために下着を盗んだ時もそうだ。レイフの下着を盗むのは躊躇ためらわれた。


 ここまでくれば、もういいかげんクラマも自覚せざるを得ない。

 ……自分にとって、レイフが特別な存在なのだと。


 口を閉ざしてうつむいてしまったクラマ。

 レイフはそんなクラマに対して確認をした。


「う~ん……その、どうしても言えないこと……っていうのが、私を引き留める理由?」


「うん……」


「理由は言えないし、私が抜ける方がいいのは分かるけど、抜けないで欲しいって?」


「……………うん」


 消え入りそうなクラマの声。

 細かく確認されればされるほど、自分がバカなことを言っているのが浮き彫りになって苦しくなる。

 なるほどなるほど……とレイフはうなずき、そして言った。


「クラマって頭いいしわりと何でもできるけど、肝心なところでダメよね」


「……それはけっこう自覚してる……」


 クラマの喉奥から絞り出すような返答。

 一方のレイフは、口をへの字に曲げて考え込んでいた。


「ん~……よく分かんないのよねぇ。パフィーに抜けて欲しくないとかいうのなら分かるんだけど」


「ちょっと待って。そうだ。そう、それ」


 クラマは掴んでいた手を離し、ビシッとレイフを指さした。


「うん? それって? どれ?」


 思い出したように話に乗ってきたクラマ。

 実際、クラマは忘れていた。

 クラマもレイフに用があってここに来たのだ。


「僕はその誤解を解きに来たんだ。あのさ、レイフ。僕のことロリコンだと思ってるでしょ」


「え? そんなこと言われても……ねえ?」


 状況証拠はそろいにそろっている。

 クラマはその積み重なった誤りを正すため、これまで固く閉ざされてきた真実の扉へ、ついにその手をかけた。


「パフィーをひざの上に乗せて僕がボッ……したと思ってるでしょ」


「え? なんて?」


「…………僕が勃起ぼっきしたと」


「よろしい、被告はしっかり事実を述べるよーに。で、違うの?」


 確かに、そう思われても仕方のない状況だった。

 しかし真相は違う。


「あの日はパフィーと一緒に神々の想像画を見ていたんだ。そしてあの時、パフィーがめくったのは美と官能の神のページ」


「あ~、あれね。そんなにいやらしい絵だったかしら?」


 湯浴ゆあみをしている女性と、それを窓からのぞいて赤面する女性の絵だ。

 それだけ? と問うレイフに対し……クラマは身を切るような思いで答えた。


「……その時ね、思ったんだ。レイフが信奉する神だなって。……で……レイフはどうやって“奉納”してるんだろう……って想像して……」


「…………あ~……」


 その時は丁度、心量を回復する神々への“奉納”についてパフィーから説明を受けたばかりだった。

 そこから思わず想像してしまうのは避けられない。


 クラマはレイフから自分の顔を隠すように、目元に手を置いていた。

 服の内側にびっしりと汗をかいているのが分かる。

 ……だから言いたくなかったのだ。

 あなたのことを考えて勃起しましたよ、などと本人に向かって軽々しく言えるはずがない。

 これにはさすがのレイフも少し気まずげな顔をする。


「ん~……でもちょっと待って。それじゃあ、どうしてあの時……初めて会った時に、私のおっぱいプレスサンドで心量が下がったの? まさかほんとに窒息ちっそく?」


「おっぱいプレスサンドっていうんだあれ……いや、あれはレイフがお姉さんとか言うから」


「ああ……」


 先ほどクラマが語った地球での経歴。

 その中で、姉に言われた言葉がトラウマになっているという話が出ていた。


「最近はいくらかマシになってきたけどね。正直、できれば思い出したくない」


「そう……それじゃあ、ラーウェイブなんて行ったら地獄ね」


「そうなの?」


「だって、イエニアの姉が十何人もいるのよ?」


「それは絶対行きたくないね」


 などと軽く脱線しつつ、後は残った細かい嫌疑けんぎを消化する。


「パフィーを見て心量が上がるのは?」


「かわいいからです。以上!」


「開き直ってきたわね。それは納得できるけど」


 口頭弁論を終えたレイフは大きく息を吐いた。


「ふぅ~ん……なるほどね。誤解だったのは分かったけど……そしたら今度は、イエニアが大変ね」


「ちょっと待った。そこも誤解があるんじゃないか。僕が好きなのは――」


 と、言おうとした口が止まる。

 レイフの人差し指が、クラマの唇に当てられていた。

 驚いて目を見張るクラマ。

 レイフはそんなクラマに、顔を近づけてささやいた。


「分かったわ、パーティーを抜けるのはやめる。その代わりに……今の言葉の続きは、ダンジョン攻略が終わってから聞くわ」


 そう言って、レイフはいたずらっぽく微笑ほほえんだ。


「う……!」


 クラマは言葉に詰まった。

 ここでそう言われては、何も言うことができない。


 これは言葉の人質。

 完全に言質げんちを取られた形だ。

 クラマが告白の続きをしたければ、パーティーが全滅しないように今まで以上に頑張れということ。

 ……クラマのやる事は変わらない。

 ただ、告白してスッキリしてから自己犠牲に走るような格好つけが封じられただけ。


 やられた、とクラマは思った。

 客観的に見ればクラマは目的を達成したので、交渉は成功だ。

 しかし……


「ふふっ、しっかり私を守ってね。王子様?」


 ランタンのかすかなあかりに照らされた笑顔。

 童女どうじょのようにきらきらときらめいて、遊女ゆうじょのようにあやしくれる。

 その笑顔に、目を奪われる。


「……わかった、僕にまかせて」


 のしかかる圧倒的な敗北感。

 クラマはどこかで聞いた言葉を思い出した。

 “恋愛は惚れた方の負け”

 確かにその通りだ。

 そして同時に思った。

 なんて役に立たない言葉なのだろう……と。






 それからしばらくは、そのまま屋上で色々なことを話し合った。

 入院中の出来事。

 次の探索について。

 行政への不信感が広がる街の様子。

 レイフが探索中に落ち着いて行動できるように、セサイルや納骨亭マスターに相談しようという提案などなど……


「あいつら私の名前がレイフだからって、レイプするなんて……ねえ?」


「いや、そういうのはちょっと」


「クラマはレイフをレイプしたくない?」


「そういうのはちょっとね?」


 ……そんなこんなで。

 やがて話すこともなくなり、ふたりはどちらともなく立ち上がる。

 階段へと向かっていくレイフ。

 その背にクラマは声をかけた。


「……レイフ。僕は隠し事したままで……本当にいいのかな?」


 それは後ろめたさから、思わず口をついて出た言葉だった。

 その疑問の答えは既に出ている。

 イエニアが隠し事をしていても、それとは関係なしにクラマは信用している。

 これはクラマの心の弱さから出た、泣き言に等しい言葉。

 質問を投げかけられたレイフは、人差し指を自身の頬に当て……首をかしげて告げた。


「実はね、私もクラマにまだ嘘をついてるの」


 ここにきて思いもよらない言葉が飛び出してきて、クラマは面食らう。

 レイフは可愛らしい照れ笑いを浮かべて言った。


「クラマが教えてくれたら、私も教えてあげる」


 返事にきゅうするクラマを置いて、レイフはひとり階段を降りていった。




 残されたクラマは難しい顔をしている。

 ここにきて新たな謎を残してきた。

 果たしてレイフのついた嘘とは――?

 ……しかし、それはそれとして。


「手玉に取られているなあ」


 さすがと言うべきか。

 レイフは“男をその気にさせる”ことに長けている。

 クラマは今さらながらに、レイフがパーティーメンバーに選ばれた理由を痛感していた。

 要するに「がんばれ」の言い方がとても豊富なのだ、彼女は。


 いいように操られている感はあったが、クラマはそれが嫌ではなかった。

 むしろ心地良かった。


 クラマは空を見上げる。

 空の中心。

 そこではかすかな光をともなった太陽が、夜の終わりを告げるように姿を現していた。

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