B3F - 死臭蔓延る地下牢

第15話

 クラマ達のパーティーが二度目のダンジョン探索を終えた、その翌日。

 朝食を終えたクラマは朝一番で、パフィーを連れて診療所へと足を向けた。


「ここがティアの言ってた診療所ね。こんな朝早くに大丈夫かしら?」


「大丈夫、大丈夫。コンコンコーン、こんにちはー! 入りますよー!」


 クラマは診療所の扉を開いて中に入る。

 狭い診療所だ。待合室まちあいしつから少し顔を出すと、そこはもう診察室になる。

 ……が、診察室には誰もいなかった。


「あれえ? 留守るすかな?」


 首をかしげるクラマ。

 すると診察室の奥にある扉がおもむろに開き、女医のニーオがのっそりと顔を出した。

 ニーオの格好は普段の白衣ではなかった。

 れた髪に、大きめのシャツ一枚だけという、煽情的せんじょうてきな姿。

 シャツの下のすそからは輝くような白い太腿ふとももがすらりと伸びて、強烈にクラマの目を引いた。

 さらにはシャツが肩からずれて、鎖骨が大きく露出している……。


「ああ……悪いわね、水浴びしてたところだから。少し待っててくれる?」


「はい、ありがとうございます」


 クラマは心から感謝した。



> クラマ 心量:81 → 86(+5)




 ニーオが奥に引っ込んでから、待つことしばし。

 髪を乾かして白衣をまとったニーオが、カルテを片手に戻ってくる。

 ニーオはいつも以上に気だるげで、よく見れば目の下にくまができていた。


「いやあ、すみません。忙しくしちゃって」


「別にいいわよ。患者は待ってくれないのが、この稼業だもの。……ふゎ、まあ眠くなるのはどうしようもないけどね」


 あくびを噛み殺しながら、ニーオは新たに判明した男性の情報を話した。



 男性の名前は「ダイモンジ=ダイスケ」。

 地球基準で29歳。

 目を覚ましたダイモンジからニーオが聞き取りしたところ、彼に使用された薬物はこの街で売られている《合成ヴァウル》で間違いない。

 この合成ヴァウル、非常に強い身体依存が特徴の薬物で、世界中を探しても市場での売買が禁止されていないのはこの国くらいのもの。

 不幸中の幸いか、彼に薬を使った冒険者は貧乏性だったようで、だいぶ薄めて使用されていた。そのため、おそらく10日ほどあれば普通に生活できるようになる。

 ただし後遺症は残る。

 また、その後も長い治療が必要になる。

 先ほど目覚めたダイモンジが暴れたので、薄めた薬を使って落ち着かせた。こうして少しずつ薄めていくのが、今後の治療方針となる。

 そして、そのせいでほとんど寝てないから眠い。……とのことだ。



「魔法で解毒しなかったのは正しい判断だったわ。この子が指示したんだって?」


 ニーオはクラマの隣で椅子に座ったパフィーに目を向ける。

 パフィーはうなずいて答えた。


「ええ、本で読んだことがあったから。解毒がかえって危険な場合もあるって」


「へえ~……よく勉強してるのね。ちょっとお話、聞かせてもらっていいかしら?」


「いいわ。わたしに分かることなら、なんでも聞いて?」


 そうしてニーオとパフィーは、なにやら魔法と患者の治療に関して、意見交換を開始した。


渇望かつぼうを一時的に抑えるのなら第六次元魔法で可能だけど、精神依存を根本的になくすには第七次元の範疇はんちゅうになるの。でもこれは人格に直接作用するから危険だし、わたしもあまり自信がないわ」


「偽薬効果を高めるやり方は駄目かしら? それか精神への直接作用ではなく、アゴニストとして脳への物質的干渉は可能?」


 専門用語が2人の口から洪水のようにあふれ出る。

 これっぽっちも会話についていけないクラマ。


「…………………………」


 仕方がないのでクラマは、ニーオの乾ききっていないうなじや鎖骨、日に当たらないため白くて綺麗なふくらはぎを鑑賞して時間を潰すことにした。



> クラマ 心量:86 → 89(+3)



 ニーオとパフィーの熱い議論は、およそ30分ほど続いた。

 つい先程までの眠そうな顔とは一転、ニーオは意気揚々とした張りのある表情を浮かべている。


「ありがとう、とても参考になったわ。専門の魔法医に匹敵する素晴らしい知識量ね」


「どういたしまして! わたしもお医者さんのお話が聞けて、とても有意義だったわ!」


 医者と魔法使い、分野は違えど学者肌同士で気が合うのか、すっかり意気投合した2人の様子。

 パフィーを連れてきて良かったと思うクラマ。

 そのクラマに向けて、これまた一転してじっとりとした視線をニーオは向ける。


「……で、そこのいやらしい目つきをしてるのにも話があるんだけど?」


 誰のことだろう? と言わんばかりに、クラマは周囲をきょろきょろと見渡した。

 コツン、と木製のボードで頭を小突かれる。


「こら、眠いんだからふざけないの。真面目な話してるんだから」


「へーい、すんませーん」


 先に仕掛けてきたのは向こうなんだけどなあ。……と、多少の理不尽を感じつつも、クラマは大人しくニーオに向き直った。

 椅子に腰かけているニーオは足を組むと、まっすぐクラマを見据みすえる。


「面倒だから単刀直入に言うけど、運量の使い方について、あなたの知ってることを教えてくれない? 報酬として情報ひとつにつき……」


「いいよ。何でも聞いて」


 ニーオがぴたりと止まった。

 そして眉根まゆねを寄せて、にらむような目つきをクラマに向ける。


「……あなたね、自分の言ってること分かってる? 魔法に関する知識は私には使えないからいいけどね、運量は別よ。運量の使い方を知ることは直接私の利益になるんだから、釣り上げるなりして出し惜しみなさい」


 なんという親切か。

 わざわざ自分の不利益になることを忠告してくるニーオ。

 やっぱりいい人だなあ、とクラマは思った。

 そんなニーオに対してクラマは、微塵みじんも考えるそぶりを見せずに、自らの答えを返す。


「そうなんだけどね。でも、彼の治療に役に立つことなんだから、教えない理由はないよ」


「………………………………」


 ニーオは眉根まゆねを寄せたままクラマを凝視ぎょうししていたが……やがてあきらめたように溜め息をついた。


「はぁ……まったく。分かったわ、じゃあ貴方の知ってることを教えて頂戴ちょうだい


 クラマは自分がこれまでに調べた運量の法則性を、周到しゅうとうにもあらかじめ持参してきたノートのメモ書きを見せつつ詳しく説明した。

 先日までクラマはダンジョンへ潜るために運量を温存しなければならなかったが、サクラの加入によってデータが飛躍的に増えていた。


「……というわけで、全体を通した僕の印象としては、運命を変えるというよりは、誰も予定を入れていない少し先の未来をずらすようなイメージかな。同じ願いでも、人や動物が意識していないものほど動かしやすい。曖昧あいまいで分かりにくいかもしれないけど……」


「いえ……充分よ。ありがとう」


 ニーオ礼を言うと、足を組み換え、深く考えるしぐさをする。

 それからチラッとクラマを見て、もう一度大きく溜め息をついた。


「……ま、いいかな。ついでと言っちゃなんだけど、この子とノート、少し貸してくれない?」


 言って、パフィーの肩に手を置くニーオ。

 クラマはパフィーの顔を見る。

 パフィーはクラマに向かって頷き、了承の意を示した。


「オッケー。それじゃあ一応、僕の心量を移しておくね」


 言って、クラマは心量譲渡じょうとの呪文を唱える。


「エグゼ・アストランス。パフリット、40」



> クラマ 心量:86 → 46(-40)

> パフィー心量:395 → 425/500(+40)



 クラマの体から何十個もの青白く小さな光の玉が飛び出して、パフィーの体に入り込んでいった。

 同時に倦怠感けんたいかんがクラマの体を襲う。


「……ふぅ」


 疲労感にクラマは深く息をついた。

 その様子を、ニーオはなにやら難しい顔をして眺めていた。


「ねえ、あなたたち……それって外から見てると……」


 と、言いかけてニーオは口元を手でおおった。


「……いや、何でもないわ」


 果たして何を思い浮かべたのか。

 パフィーは小首をかしげる。

 クラマは特に追求することなく席を立つと、2人に手を振って診療所を後にした。






 パフィーを診療所に置いて、ひとり貸家に戻ってきたクラマ。


「ただいまー」


「あ、クラマ。早かったですね。ひとりですか?」


 すると丁度ちょうどイエニアの時間が空いていたので、戦闘の訓練を行うことになった。

 付近の空き地へ向かう2人。

 

 今日は防御と回避の訓練。

 先に綿わたを詰めた訓練用の棒を互いに持って、イエニアが繰り出す攻撃をクラマがさばく。

 イエニアはクラマが対応できるかどうかのギリギリの所で加減しながら、突き、払い、叩きと……様々な攻撃を不規則に放つ。

 ところどころで指導を挟みながら、小一時間ほど繰り返したところで2人は休憩に入った。


「ぜぇー……はぁー……あいててて……」


 クラマは汗だくになって地面にへたり込む。

 対するイエニアは、さすがに汗を流してはいるものの、その呼吸は乱れていない。


「攻撃はまだまだですが、回避は素晴らしいですね。反応と、動体視力がいい」


「そなの? あんまり目は良くないんだけど」


 クラマの視力は両目ともに0.5。

 良くもなければ悪くもない。

 本を読む時や細かい作業をする時にだけ眼鏡をかける程度だ。


「視力と動体視力は違うものです。しかし一番凄いのは、こちらの攻撃に対して物怖じせずに、しっかり最後まで動きを見ていることですね。戦い慣れていない人の多くは、最初にここでつまずくのですが」


 そうやってクラマをめるイエニアは満足げで、とても機嫌きげんがいい。


「これからダンジョン内で罠が増えていきます。自身の力で罠を回避できるかどうかで、運量の消費が大きく変わりますから、これは大きな長所ですね」


 そう言うとイエニアは土で汚れるのも気にせず、クラマの隣に座った。

 そばに来たイエニアの頬には、汗で濡れた髪が張り付いている。

 活き活きとした表情をクラマに向けるイエニアには、健康的なまぶしさがあった。


「ダンジョンでは防ぐことのできない致命的な攻撃をしてくるものも多いですから、できるだけ回避を心がけてください」


 ふと、イエニアはそこで、クラマがじーっと自分の顔を凝視しているのに気がついた。


「……クラマ? 私の顔に何かついてますか?」


 そこでイエニアは、隣のクラマと肩が触れそうなほどの距離に近付いていたことに気がついた。

 そうなると、途端とたんに意識してしまう。


 思えば彼女は、同世代の異性とまともに話した経験というものが、これまでの人生であまりなかった。

 異性の話し相手といえば、一回り以上に歳の離れた大人か子供。

 後はせいぜいが兄弟くらい。

 恋愛経験というものが一切ない人生だった。

 かといって年頃の少女がロマンスにあこがれないわけもない。


「あ、あの……クラマ……? え……ええと、その、あの……?」


 じっとこちらを見つめてくるクラマに、イエニアはどんどん落ち着きをなくして、しどろもどろになる。

 このままではひどい醜態しゅうたいさらしてしまうような気がする。

 しかし急に距離を取るのも不自然だ。どうしようかとイエニアはそこかしこに視線を彷徨さまよわせた。

 ……そこでクラマが口を開いた。


「いやあ……この前のダンジョンでは、無茶しちゃって申し訳ないなって」


「………………」


 その台詞せりふを聞いたイエニアの顔が、徐々じょじょ仏頂面ぶっちょうづらに変わっていく。


「またし返すんですか。お説教が足りませんでしたか?」


「あれ、イエニア怒ってる?」


「怒っていますとも! まったくもう……」


 イエニアはむくれた顔から、大きく息を吐いた。


「はぁ……あなたが無茶をするのは、もう分かりましたから。だから無茶しても大丈夫なように、しっかり鍛えることにしました」


 そう言ってイエニアは立ち上がる。


「休憩は終わりです。稽古けいこを続けますよ!」


 それから正午近くになるまで、イエニアの厳しい訓練は続いた。

 何かの鬱憤うっぷんを晴らすかのようにイエニアの指導は激しかったが、しかしその表情は活き活きとしていて、その声色はとても楽しげであった。

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