第14話 - 青の挿話2

 薄暗い石造りの地下室に、男の息遣いきづかいが響いていた。


「フゥーーーーッ……ハァァーーーーーァ……」


 男は逆立ちした状態で、腕立て伏せをしている。

 明るいオレンジ色の髪と髭の男は、初老に近い年齢とは思えぬ鍛え上げられた上半身をさらしていた。

 浮き出た汗が腹筋を伝い、喉元のどもとを通り過ぎて、ひげの中に消える。

 男は深い息遣いと共に、少しずつ腕を折り曲げ……鼻先が床に触れたら、今度は逆に伸ばしていく。

 回数をこなすよりもこうしてゆっくりと行うことで、筋肉に負荷がかかり、トレーニングになるのだ。


「ッフ―――――おや?」


 男の青い瞳が、自分の側に立った人物を捉える。

 が、トレーニングを中断したりはしなかった。

 腕立て伏せを続けながら男は喋る。


「どうしたかね、コーベル君。こんな老人の体を見ても……――ッハァーーー……面白くは……なかろうンヌッ、フゥゥーーーーーッ……」


「い、いえッ! そのような事はございません! ワイトピート様の美術彫刻のごとき雄壮ゆうそうなお体を拝観はいかんでき、幸甚こうじんいたりであります!」


「フーーーー……そんなに見られると……ッハァーーーー……恥ずかしいではないか……フフ」


「も、申し訳ございません!」


 コーベルと呼ばれた青年は慌てて顔を伏せた。

 彼の瞳の色も、初老の男――ワイトピートと同じく青色である。


「何か報告があるのだろ、うッ――フ……ゥゥゥーーー……気にせずッ……話すといい……よッ……!」


「はッ! 10日前に捕らえた女ですが、心量が20を下回りましたので、ご報告致します」


「ほう――詳しく話したまえ」


「はじめは罵倒ばとうみつき、すきを見て脱走を試みていましたが、徐々に反応が弱まり、2日前より全く反応を返さなくなりました。心量も回復しておりません。“祈り”をやめたものと思われます」


「ッハァーーーーーーッ……まだ服従していないのだな? フゥーーーー……」


「は、はッ……! 申し訳ございません! 近いうちに必ず……」


「いや、頃合いだ。私がやる」


 そう言うとワイトピートは地面に足を下ろし、疲れを感じさせぬ優雅さをもって頭を上げた。

 汗を拭って衣服を着込むと、早足に歩き出す。


「あっ! お待ちください、まだ後始末が……!」


「フフ、それでいい。コーベル君、きみには食事の支度したくを命じる。とびきり美味いのを頼むよ」


 ワイトピートは区画を2つほど抜けて、トゥニスを監禁している部屋を訪れた。

 彼が手を触れると、扉はひとりでに開く。

 そうしてトゥニスを捕らえた監禁部屋に足を踏み入れたワイトピート。

 そこで彼が見たのは――陵辱された跡が体中のいたるところに残された、一糸纏いっしまとわぬ姿で床の上に放り出されているトゥニスの姿であった。

 それを目にした瞬間、ワイトピートは大きく声をあげる。


「おお! なんということだ!」


 トゥニスに駆け寄ったワイトピートは、彼女の体にこびりついた体液で汚れるのにも構わず、しっかりと抱き抱えた。

 トゥニスの瞳からは光が消え失せ、何も反応を返そうとしない。

 男はトゥニスの耳元でささやく。


「すまなかった……こんな事になっていようとは。もう大丈夫だからな」


 それからワイトピートは彼女の体を用意した熱い濡れタオルで拭き、上等な衣服を着せると、自らの腕で抱き上げて別室へ運んだ。

 トゥニスが運び込まれた新しい部屋。

 そこは地下だというのに壁に埋め込まれた光源で明るく、絵画や観葉植物がセンスよく配置された、貴族の私室と見紛みまごうような部屋だった。


 さらにワイトピートは豪勢な食事を運んでくると、自らの手で食器を持って、トゥニスの口へと運ぶ。

 甲斐甲斐かいがいしい介護を受けるトゥニスは、始めのうちは無反応だったものの、何度か口元にスープを運ばれるうちに、少しずつ自ら口を開いて介護に応えるようになった。


 ……時間をかけて食事を終えた後。

 ふかふかのベッドの上に腰かけるトゥニスの肩を、ワイトピートは優しく抱きしめた。


「もう安心していいぞ。ここには他に誰も来させないからな……私がきみを守る」


 そう言って、徐々にしっかりと、互いの肌の温もりを感じ取れるほどに、熱く抱擁ほうようする。

 そうしていると次第にトゥニスの瞳が揺れ……ぽろりと涙が頬を伝った。



 抱きしめたトゥニスの死角で、ワイトピートはほくそ笑んでいた。

 心量10~20の間。

 これが、これまでワイトピートが数多くの人間に試してきた中で導き出した、“最も人の心に手を加えやすい期間”であった。

 心量が低いほどに、人の思考能力は低下する。

 だが10を切ってしまうと、状況の理解を放棄し、何をしても反応しなくなる者が多い。

 故に10~20の間が、最も簡単に洗脳できるラインとなる。


「ゃ……めろ………」


 数日ぶりに、トゥニスは声を発した。

 トゥニスの手がワイトピートの胸板に触れる。


「やめ、ろ……おまえは……!」


 震える手で、弱々しくワイトピートを突き放そうとしていた。

 ワイトピートはそれに逆らわずに身を離す。


「すまない……また来るよ」


 そう言ってワイトピートは食器を持って部屋から出ていった。


 部屋に残されたトゥニス。


「く……ぅ………私は……私は……!」


 トゥニスはベッドの上でひとり、自らの身体をき抱いて、震える声で嗚咽おえつした。

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