第12話

 クラマが目を開けると、不安げなパフィーの顔が視界いっぱいに広がった。


「クラマ! 大丈夫!? どこかおかしいところはない? 頭痛とか、手足のしびれとかない?」


 クラマが目を覚ました途端とたんに早口にまくしたてるパフィー。

 そのパフィーの肩にイエニアが手を置いていさめる。


「パフィー、落ち着いてください」


「あ、う、うん……」


 動転しているパフィーに代わって、イエニアが横たわるクラマに語りかける。


「クラマ、苦しかったら答えなくて大丈夫です。何があったか思い出せますか?」


 言われてクラマは倒れる直前のことを思い出す。


「たしか……大熊から逃げて……パフィーが魔法で火を……」


 クラマは話ながら思い出す。

 パフィーの火の魔法で大熊は倒したが、その直後に起き上がろうとしたら倒れたのだった。


「酸素欠乏症よ」


 そう告げたのはパフィー。

 落ち着きを取り戻したパフィーは、いつも通りの冷静さでクラマに解説をする。


「わたしが使った火の魔法で酸素が消費されて、一時的に周囲の酸素濃度が下がったの。普通はこんなことはないんだけど、狭すぎたから……」


「酸素欠乏症……酸欠か」


 クラマは学校で聞いた話を思い出していた。

 火災が起きた際の死亡原因として最も大きいのは、火に焼かれることではなく、実は酸欠や一酸化炭素中毒によるものなのだ……と。

 パフィーは心配そうにクラマの顔をのぞき込んで言う。


「酸素が不足したのは短期間で、すぐ広い場所に運べたから大丈夫だとは思うけど、頭痛とか吐き気があったら教えて?」


「ああ、いや……大丈夫だよ」


 言って、クラマは起き上がろうとする。

 それをパフィーが止めた。


「あっ、体を起こしちゃだめよ! そのときは大丈夫でも、あとから後遺症が出てくることがあるから。念のために、安静にしておいて。ね?」


 クラマはパフィーに従って、起こしかけた体を再び横たえた。


「ふぅー………」


 薄暗い天井を見上げて、息をつく。

 すると、クラマの視界にレイフの顔が映り込んだ。

 いつになく暗い顔。

 普段のゆるくおちゃらけた様子とは違って、レイフは申し訳なさそうに、その表情をくもらせてクラマにあやまった。


「ごめんなさいね、私が下手やったせいで」


 クラマはそれに対して、いたずらっぽく笑った。


「ううん、謝らないで。……仲間でしょ?」


 レイフは不意を打たれたように目を見開くと、


「ふふ、そうね」


 と、どこか嬉しそうな照れ笑いで返した。






 その後、パフィーが「運量で酸欠の後遺症を予防する」ことを提案した。

 全員がそれに賛成。

 運量の性質からすると、運量を使うのは後遺症が出るかどうか判明する前、できるだけ早いうちがいいと思われる。

 そういうわけで、クラマはこの場ですぐに運量を使用した。


「エグゼ・ディケ……酸欠の後遺症が残らないように」



> クラマ 運量:9157 → 0/10000(-9157)



「うおわ! まーじか」


 予想以上に大きく消費されて驚くクラマ。

 だが、クラマはすぐに自分のミスに気がついた。

 この願い方では、自覚もできないほどの小さい症状も含めた全てが該当してしまう。

 さすがにそれは不自然すぎたという事だろう。

 クラマはまだ少し頭がぼーっとしているように感じた。これも後遺症なのか、寝起きのせいなのかは、いまいち判然はんぜんとしなかった。


「念のため、まだ少し休んでいきましょう」


 というわけで、クラマはそのまま岩の上に横になる。

 すでに体の下には毛布がかれていたので、つらくはなかった。

 休んでいる間、クラマは気になることを皆に尋ねてみる。


「そうだ、レイフ。舌伸び大熊から受けた麻痺毒は大丈夫なの?」


「ああ、心配いらないわ。パフィーの胸当てに入ってる魔法具で解毒してもらったから」


「そういえばあったね、解毒の魔法具」



> パフィー心量:415 → 385/500(-30)



 すると横からパフィーが申し訳なさそうに言う。


「うん……この魔法具は、現時点で発見されてるあらゆる毒物を無害になるまで分解できるのだけど……酸素欠乏症は毒じゃないから治せないの……」


「そっか、確かにそりゃそうだ。……って、あらゆる毒物を分解って……それって相当すごい事なんじゃないの?」


「ええ、そうよ! この魔法具は先生から……ええと……そう、先生の形見なの!」


「……そうか……それは悪いことを聞いちゃったかな……」


「あああ、きっ、気にしなくていいのよクラマ! そうだ! クラマに魔法具の作りを教えてあげる! ほら見て、ここが外れるようになっててね、中に本体となる魔導結晶が……」


 パフィーは自分の胸当てを外してクラマに見せた。




 ……そうしてしばし、講義と雑談にきょうじるクラマ達。

 そうしていると……不意に、なにやら下の方から人の話し声が聞こえてきた。

 他の冒険者からの盗難にったばかりなので、一同は警戒する。


「クラマはそこにいてください」


 イエニア達が岩の隙間から覗き込む。

 するとそこには、冒険者パーティーと思しき4人の男女がいた。

 男が3人、女が1人。

 クラマが出遭ったぬすとは違う人物だった。


「ん~……? あの顔は確かー……」


 レイフは男1人を除いた、残る3人に見覚えがあった。


「夜の歓楽街でよく見る顔ね」


 ごく普通の冒険者といった出で立ち。

 だが、そのパーティーには明らかに普通ではない箇所があった。


 ――首輪にひもで繋がれた男が、他3人の前を歩かされている。


 男はボサボサの髪に、ひげも伸び、薄汚れた粗末な服。

 まるで浮浪者のようだった。

 ふらふらとおぼつかない足取りで歩いていた男だったが、突然立ち止まって地面に膝をついた。

 膝をついた男に向かって、手綱たづなを握った男が怒鳴り声をあげる!


「なに止まってんだコラ! さっさと歩けや!」


「う、うう……」


 首輪をつけられた男は、振り向いて背後の男にすがりつく。


「も……もういいだろ! く、くすり……早く薬をくれよぉ!」


「うるっせえ殺すぞ!」


「ぎゃ! ……ぐ、ぅぅえ……!」


 強烈な蹴りを腹に受け、首輪の男は地面を転がった。

 そのまま起き上がれずに、ゲェゲェと口から胃液を出して痙攣けいれんする……。

 しかし倒れた男を見る周囲の反応は冷たかった。


「オイオイ、ほんとに死んじまうぞ」


「い~んじゃないのォ~? 地球人が死んだらギルドが再召喚してくれるんでしょ~?」


「そういうこった。オラ! サボってんじゃねえぞ! 薬が欲しけりゃ、運量でいいもん見つけろやカス!」


 もがき苦しんでいる男を心配するどころか、道端みちばたに落ちている生ゴミでも眺めるかのような視線を向ける冒険者たち。

 あまりに非道。

 その醜悪極まる一部始終を、彼らの死角となる上方からイエニア達は目撃していた。


「なんて事を……!」


「ひどい……ひどいわ。こんな……」


 地球人に依存性のある薬物を使用し、道具のように扱う冒険者がいるらしい……という噂は、イエニア達も聞き及んでいた。

 実際に繁華街の路地裏では、そうしたものが堂々と売られているのをイエニアは目にしている。

 似たような効果で依存性のないものがあるにもかかわらず、だ。


 イエニアは歯噛はがみした。

 本当ならば今すぐにでも飛び降りて、下にいる連中を叩き伏せたい。

 それは騎士たる者として当然の責務でもある。


 しかし戦闘には危険がともなう。

 相手の技量も――立ち振る舞いから自分より格下だろうと感じているが――定かではない。

 しかもクラマの運量も切らしており、安静にしなければいけない状態だ。

 ここで飛び出すのは、賢明とは言えない。


 ……もしも彼女ひとりなら、迷わず飛び出していただろう。

 だが今の彼女は、仲間たちの命を預かるパーティーリーダー。

 責任感と正義感。

 その板挟みによる葛藤が、彼女の体を強く縛りつけ、その心をさいなんでいた。


 拳を強く握りしめ、煩悶はんもんするイエニア。

 レイフはその様子を心配そうに見ていたが……そこでふと彼女は気がついた。


「あら? クラマ……クラマ? どこ?」


 横になっていたはずのクラマの姿が、いつの間にか見当たらなくなっている。

 イエニアとパフィーも周囲を見渡す。

 が、いない。どこにも。

 そこでパフィーがまた別の事に気がついた。


「あっ! わたしの胸当てがないわ!」


 説明のために外してクラマの枕元に置いていた胸当て。

 その胸当ても消えている。

 それだけではなかった。

 レイフはイエニアに尋ねる。


「ねえイエニア。あなたの盾、どこ?」


「え……?」


 言われて見れば、イエニアの盾もない。

 3人は顔を見合わせた。


「まさか……!」


 3人は再び、岩の隙間から下を見る。

 果たしてそこでは、彼女たちの予想通りの光景が繰り広げられていた……!



> クラマ 心量:63 → 220(+157)



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「オクシオ・ヴェウィデイー」


 ダンジョン地下2階へ降りるにあたって、クラマはあらかじめパフィーと陳情句ちんじょうくの詠唱について検証していた。


「ヤハア・ドゥヴァエ・フェエトリ」


 まず基本として、陳情句ちんじょうくは効果の拡大を神に願うためのもので、その句は唱える者によって異なる。

 法則は細かく解明されていないが、基本的には長くて凝っているほど効果が高まるとされている。


「燃え落ちろ、焦熱地獄しょうねつじごく、あるいは煉獄れんごくより来たれ、浄化の炎」


 その上で、パフィーと検証した結果……詠唱時間に対する効果上昇の効率を考えると、ごく短い一節を4~5つ繋げるのが良い……という結論になった。


「おまえたちの軌跡はここで途絶えた」


 さらにその上で、何かしら“独自性のあるフレーズ”を混ぜることで、効果の上昇率が跳ね上がる。


「フレインスロゥア」




 突如として現れた炎の奔流ほんりゅう

 あわてふためく冒険者の悲鳴と怒号が、広い空洞内に響き渡った。


「きゃあ~~~!! 何これぇ~!?」


「魔法だ! 魔法で攻撃されてる!」


 広々とした空間を所狭しと暴れ回る炎は、まるで怒れる大蛇のようであった。

 命からがら炎の射程距離外まで逃げ延びた冒険者たちは、炎の発生源――クラマの姿を認める。

 クラマの顔は盾の影に隠れて、冒険者たちからは見えない。


「ちくしょう、いきなり何だってんだ! おい、やり返してやれ!」


 言われるまでもなく冒険者のひとりは詠唱を始めていた。

 クラマの炎が消えるとほぼ同時、冒険者の詠唱が完了する。


「巨石によりて潰れろ! トナホ・トラッグ!」


 床の一部が大きく剥がれ、大きな岩石がクラマに向かって一直線に飛来する!

 岩石はクラマへ命中!


「よォし当たった! 避けられもしねえのか、ウスノロが! ……んん?」


 クラマは倒れない。

 よろけてすらいない。

 何事もなかったように、瓦礫がれきの間に立っている。

 クラマが前方に構えた盾には、真紅の紋章が浮き上がるように輝いていた。


「オクシオ・ヴェウィデイー」


 淡々としたクラマの詠唱が、冒険者たちの耳に届く。


「ヤハア・ドゥヴァエ・フェエトリ。フレインスロゥア」


 そして再び、クラマが掲げた胸当てから炎が噴き出した!

 伸びた炎は冒険者たちの鼻先をかすめ、その前髪を焦がす!


「うおぁ! あちいッ!」


「なに!? こいつ何なのよ~!?」


 クラマは答えない。

 ただ黙って一歩ずつ、ゆっくりと冒険者たちに歩み寄る。

 クラマの歩みと共に、掲げた胸当てから噴き出る炎の蛇が冒険者たちへと近づいていく。


「く、来るなッ! おいてめえ! 運量でなんとかしろ! 助けろ!」


 冒険者は倒れている地球人へ命令する。

 しかし倒れたままの男は、蹴られた腹の痛みで声もあげられない状態だ。


 助けは来ない。

 炎は一歩、また一歩と冒険者へとにじり寄る。

 魔法の終わりを待つこともできない。

 炎の噴射が終わる前に、クラマは詠唱を再開する。


「オクシオ・ヴェウィデイー。ヤハア・ドゥヴァエ・フェエトリ……」


 そして炎が消えると同時――再び発動。


「フレインスロゥア」


 繰り返す。

 何度でも。

 お前たちを呑み込むまで終わらぬとばかりに、悠然と、確実に炎が迫り続けていく。


「オクシオ・ヴェウィデイー」


 そして、もう一度。


「ヤハア・ドゥヴァエ・フェエトリ……」


 繰り返す詠唱。

 止まらぬ炎。


「う、う……うわああーーーーーーっ!!!」


 得体えたいの知れない恐怖に耐えかねた男のひとりが、ついに背中を向けて逃げだした!

 すると、それまで抑揚よくようなく無機質に唱えていたクラマは突如として声色を変える!


「逃げ惑え! 地獄へ落ちろ! 灼熱の燃え盛る紅蓮の猛る業火の紅に染まる赤い焼却炉はすぐそこだ!」


「やばい、陳情句だ!」


「やばいやばい! 待って待って待ってよ~!」


 残る2人も先に逃げた男を追って、ばたばたと足音をたてて逃げていった。


「フハハハハ! くらえ、我が必殺の! アルティメット・カイザー・ダーク・レコンキスタ・フレアァーッ!!」


 クラマは腰を落として、両手の手首を合わせ、何かを撃ち出すように開いた両手を前へ突き出すポーズをとった。


 もちろん何も出ない。


「出ないか……」


 出るわけがない。

 そもそも何かが出たとしても、標的となる冒険者たちの姿は、もはやどこにも見当たらなかった。


 ……とはいえ、きちんとした詠唱を行ったとしても、魔法は発動しなかったのだ。

 炎の魔法を発動するだけの心量は、もうクラマには残されていない。



> クラマ 心量:220 → 190(-30)

> クラマ 心量:190 → 140(-50)

> クラマ 心量:140 → 90(-50)

> クラマ 心量:90 → 40(-50)



 疲労感がクラマの肩にのしかかっていた。

 心量が50付近になると、倦怠感けんたいかんや集中力の低下が自覚できるようになる。


「ふぅ……やれやれだね」


 クラマは大きく深呼吸をして、額の汗をぬぐった。

 そうして振り返ると、慌てて降りてくるイエニア、パフィー、レイフの姿。

 クラマは自身の手にした盾と胸当てに目を向ける。


「…………………」


 クラマは梅干を口に含んだような、何とも言えない顔でひとりごちた。


「やっぱり怒られるよねえ、これ……」






 その後、クラマは降りてきた3人と一緒に、倒れている地球人の男性を介抱かいほうした。

 男性がたどたどしく語るには、2ヶ月以上前に召喚された彼は、先ほどの冒険者たちに引き渡されて、それ以来ずっと家畜のように扱われていたという。

 口枷くちかせめられ、薬をがされて、狭くて汚い個室とダンジョンを行き来する日々。

 勝手に喋ったら殺すと脅されて、この世界のことを何ひとつ教わっていない彼には、誰に助けを求めたらいいかも分からなかったという。



> クラマ 心量:40 → 64(+24)



 そこまで語ったあたりで男性は落ち着きをなくし、薬を求める発言を繰り返すようになったので、レイフの魔法具によって眠らせることになった。



> レイフ 心量:386 → 186/500(-200)



 クラマは薬物を解毒の魔法で抜けないかと提案した。

 しかしパフィーは難しい顔をして答える。


「こうした薬物は本来、治療に使われるものよ。だから毒物として登録されていない可能性が高い。それに……薬物依存は、急激に使用量を減らすと重篤じゅうとくな危機におちいる場合があるの。まずはお医者さんに見せた方がいいわ」


 にもかくにも、すぐに地上へ戻るべきということであった。

 男性に与えたために、水の残りもない。

 イエニアが男性を担いで、一行は帰還の路を急いだ。




 幸いにも特に障害もなく地上へと帰還したが、帰りの道中は誰もが陰鬱いんうつな表情で、気詰まりするようなよそよそしい空気がただよっていた。


 男性の処遇しょぐうにも一悶着ひともんちゃくあった。

 普通なら当然、冒険者ギルドに預けるしかない案件である。

 彼を預け、事の次第をギルドに報告し、件の冒険者を罰してもらう。

 イエニアもそう提案したが、クラマがそれに反対した。

 結果としてイエニアがあっさり折れた形になったが、言いたいことを耐えているのが見て取れる様子だった。


 そうして荷物と一緒に地下1階の抜け道から地上に引き上げられた男性は、ティアと一郎によって診療所へと運ばれた。


 ダンジョン出入口での手続きも終えて、パーティーが貸家に戻って、諸々の後片付けを終えたのが正午近く。

 そのまま全員で昼食――という流れにはならなかった。


「あ~……あたしら用事を思いついたから! じゃっ、またね~」


 ピリピリしたイエニアの様子を察したサクラ達は、逃げるように自分らの貸家へと帰っていった。


「……昼食をとったら、部屋に戻って休みましょう。みんな疲れたでしょう」


 というイエニアの言葉により、食事を済ませた彼らは、それぞれが自室へと戻っていった。

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