【試し読み】ラストエンブリオ5 集結の時、暴走再開!

竜ノ湖太郎/角川スニーカー文庫

試し読み第1回:プロローグ-1 


― プロローグ ―



 青々と茂る一面のグリーンカーペットの草原。

 その夜は新月の為か、地上の光が余計に際立って見えた。

 風が吹く度に草葉の間からふわりと光を纏った羽虫が舞い上がり、星明かりしかない闇夜を照らす貴重な光源となっていた。


 その間は、鋭い牙と爪を持つ四つ足の獣がリズミカルに大地を蹴りながら走っていく。

 被食者が掘った巣穴に鼻を突っ込み徒にその眠りを妨げ遊ぶのは、食物連鎖の上位にいる者の余裕の表れか、それともこの草原の豊かさの証明か。


 自然豊かなアトランティス大陸の西の果ては、夜が更けても生命力に満ちていた。


 ―――そんな、西の果ての大地で。

 彩里鈴華あやざとすずかは叫び声を上げた。


「うわああああああん!!! わ、私一人で、こんな怪物、如何にか出来るかあああああ!!!」


 響く地鳴り。巻き上がる土煙。

 空間跳躍を繰り返しながら、彩里鈴華は巨大な岩塊がんかいの怪物から逃げていた。

 岩塊の巨人は一歩踏み出す度に大地を砕きながら突き進む。小鳥は逃げ惑い、野鼠のねずみは巣穴を捨てて脱兎だっとごとく去っていく。


 もし鈴華が普通に走っていればすぐに捕まっていただろう。

 空間跳躍で瞬時に距離を稼ぎながら逃げていたものの、一向に距離が広がらない。


(アルジュナ君は勝手にいなくなってるし! アステリオス君は原住民の人たちに連れていかれちゃったし! 女の子を一人にして何処に行ったのさ………!!!)

 

 髪を乱れさせ、泣きたい気持ちを必死に抑えて鈴華は逃げ惑う。

 この岩塊の巨人が如何して鈴華を追いかけてくるのか、彼女にはとんと見当もつかない。鈴華は西の果てにあるという〝ヘラクレスの石柱ピラー〟を目指していただけだ。


 このままでは辿り着く前に、岩塊の巨人に握り潰されてしまう。

 彩里鈴華は空間跳躍が出来るだけで、ただの女の子なのだ。


「ちょ、ちょっと、もう、限界………!!!」


 膝が折れ、両手を大地に付く。

 岩塊の巨人の魔の手が伸び、星明かりを覆い隠す。

 だが―――その魔の手を振り払うように、稲光いなびかりはしった。


「奔りなさい、アルマテイア!!!」


 凛と響く少女の声。周囲に遮蔽物しゃへいぶつがなく、地鳴りが続くこの状況で、その少女の声は驚くほど真っ直ぐに響き渡った。


 少女の声に呼応して、幾度となく稲光が迸る。

 たとえるのであれば、其れは稲妻の槍とでも言うべきだろう。稲妻は蛇行を繰り返しながら岩塊の巨人の右腹を打ち砕き、追い打ちをかける様に巨人の周りを飛び回る。


(わ、わ、わわ………!!?)


 何が何だか分からないまま、頭を隠してしゃがみこむ鈴華。

 彼女の周りには赤熱を放つ岩塊が降り注ぎ、青い草原に炎を広がらせている。平時ならばともかく、疲れ果てて逃げる力も残っていない鈴華にとって危険地帯でしかない。

 散雨の如く降り注ぐ岩塊が鈴華の頭上に落下した時。

 先ほどの声の主が、黒い髪を扇状になびかせて立ちふさがった。


「ふっ………!」


 紗蘭しゃらん―――とみやびな音が鳴り響く。鈴の音と笛の音が合わさったかのようなその雅な音に呼応し、草原の大地が隆起して立ちふさがる。


 稲妻に砕かれて赤熱した岩塊たちは大地の防壁によって阻まれた。

 岩塊の巨人は四肢を振り回して稲妻を追いかけるものの、追い付くはずがない。相手は文字通りの稲妻なのだ。

 伸びる右腕を砕き、追撃する左腕を砕き、喰らいつこうとする頭蓋ずがいを打ち砕いた。


(ひええええ………!)


 岩塊の巨人は崩れ落ちたものの、今度はより危険な怪物に出会ったのかもしれない。こういうトラブルとは無縁の人生を送ってきた鈴華にとってこの状況は異常でしかないのだ。


 一方―――稲妻の槍で巨人を打ち砕いた少女は、残骸である焼け石を手に取ってつぶやく。


「………驚いたわ。この怪物、アトランティス大陸にも現れてるのね」

「北側や東側でも確認しました。もしかしたら箱庭中で召還されているのかもしれません。太陽の主権戦争で戦力が集中していることを考えると少し危ういですね」


 もう一人、理知的な声音こわねの女性が何処からともなく現れる。

 頭を覆いながら伏せていた鈴華は、そこでようやく冷静になった。

 ひょこりと頭を上げた鈴華は、二人の女性と視線がかち合う。


(わ………び、美人さんが二人もいる!)


 黒い髪を靡かせる少女。年齢は十八歳くらいだろうか。

 清楚せいそたたずまいでありながら、全身を彩る赤と白の服装が印象的だ。

 かぶいていると吹聴されかねない服装なのに清楚な雰囲気を感じさせるのは、彼女自身から滲み出る育ちの良さがそうさせるのだろう。

 腰に下げた日本刀も無骨さは感じられず、逆に様になるほどの大和撫子やまとなでしこぶりだ。


 もう一人は金髪巨乳美人だった。そして山羊やぎの角とおぼしきものが頭に生えていた。

 鈴華に歩み寄った黒髪の少女は、小首を傾げながら声をかける。


「えーと………大丈夫? 怪我はない?」

「だ、大丈夫です。危ないところを助けていただき、ありがとうございます」

「ふふ、気にしなくていいわ。この大陸に居るという事は、貴女あなた参加者プレイヤーなのかしら?」

「はい。兄弟の西郷焔さいごうほむら逆廻十六夜さかまきいざよいたちと一緒に参加しています」


 あら? と黒髪の少女は首を傾げた後、含み笑いを浮かべた。


「十六夜君と兄弟義兄弟って………もしかして貴女、彩里鈴華さん?」


 ほへ!? と声を上げて驚く鈴華。まさかこんなところで出会った人から十六夜の名前を聞くとは思っていなかった。


「そ、そうです。義兄あにを知ってるんですか?」

勿論もちろんよ。もう二年ほど会ってないけど、大切な仲間だもの」


 懐かしいわね、と楽しそうに語る黒髪の少女。

 鈴華は内心で「イザ兄の知り合い、可愛い人ばかりじゃない?」と訝しんだ。


 一方、金髪の美女は西の水平線を指さす。


「マスター。此処はまだ危険です。もう少しで〝ヘラクレスの石柱〟に着きますし、今は進みませんか?」

「わかってるわよ、アルマ。鈴華さんはどうする?」

「あ、わ、私も行きます! 石碑があるかどうか確認しないと!」


 立ち上がって地図を広げる鈴華。

 だがそんな彼女の言葉に、アルマと呼ばれた女性は驚いた顔をした。


「………石碑? 今、石碑と言いましたか? 石柱ではなく?」

「は、はい。プラトンの原文では石柱ピラーは誤訳で、正しい文章は石碑ステラでした。だから今回の議題―――〝幾重いくえに重なり合った星を辿り、古き英雄を訪ね、大父神宣言の謎を暴け〟の〝幾重に重なり合った星〟というのは、〝ステラ〟のダブルミーニングなのかなって」


 鈴華は話しながら、今回のゲームの〝契約書類ギアスロール〟を取り出す。

 羊皮紙にはこの様に書かれていた。



『 ― 太陽の主権戦争 ~失われた大陸編~ ― 

  

   ※太陽主権入手条件

      ①参加者同士の任意譲渡(ゲームによる自由対戦を含む)。

②別紙の大陸地図に記載されたゲームを解き明かし進めよ。

尚且なおかつ、最も神魔しんま遊戯ゆうぎに相応しい行動をした者に授与。

④                  (後日記載)

 

   ※大陸内禁止事項欄じこうらん

      ①参加者はアトランティス大陸から脱出してはいけない。

②参加者が脱出を試みる場合は勝利条件の謎を解く必要あり。

  ③参加者は大陸内で参加者を殺害してはならない。


   ※大陸の上陸順番について

    精霊列車内で最も多くゲームで勝利した者は上陸する場所を選択できる。

    上陸した者は各自の判断・自己責任で開催期間である二週間を過ごして良い。 

 ※第一回戦勝利条件

   幾重に重なり合った星を辿り、古き英雄を訪ね、大父神宣言の謎を暴け   

                          太陽主権戦争進行委員会 印』



 そして、二枚目の地図にはこう書かれている。


 東の〝サントリーニの迷路ラビリンス〟。

 北の〝牛飼いたちの放牧場ファーム〟。

 南の〝オレイカルコス鉱山マイン〟。

 西の〝ヘラクレスの石柱マイン〟。 


 〝契約書類ギアスロール〟の内容を再読したアルマは、興味深そうに鈴華を見た。


「ふむ………確かに、〝契約書類〟とプラトンの原文があれば推測は可能ですね。ですが肝心の原文は何処で確認しました?」

「ローマ教皇庁にある秘密文書保管所で保存されていたものです。最近になって一般公開されたんです」

「………ローマ教皇庁? ではヴァチカンに? どのような経緯で?」

「ええと、どの様な経緯でヴァチカンに保存される流れになったのかはわかりません」


「ではどのようにして、此処がギリシャ圏の土地であると推測したのですか? ラテン語の誤訳はこのアトランティス大陸がギリシャ圏にあるという確信が必要なはずです」

「あ、それは意外に早く見つかりました。西の大地の水没した遺跡には石柱にラテン語が彫られていましたし、私の姉弟が地質的にギリシャのものに極めて近いと言ってました」


 釈天とくてるが地質調査用の研究機材を持ち込ませていたのはその為だったのだろう。累計で五億円もの出費になったが、無駄にならずに済んだのは何よりだ。

 アルマは僅かに視線を緩め、最後の質問をする。


「なるほど………では最後の質問です。この地には灌漑かんがい農業を行った跡がありました。しかし古代ギリシャ、それもアトランティス大陸があったとされる時代には灌漑農業は発展していなかったはずです。この謎はどう解きますか?」

「ええと………要するに、他の国と文明圏が重なり合っていた地域ということですよね。それに木々は南国のものに近く、原住民は牛のお面をつけていました。これらを統合すると………」


 世界地図を脳内で広げた鈴華は先ほど考察したキーワードを羅列していく。

 

 ―――古代ギリシャ世界では普及していなかった灌漑農業跡。

 ―――暖かい気候と南国に近い木々と生態系。

 ―――牛信仰が厚い地域で装飾にも使われている。

 

 異なった文明圏が交わっていたということは、必然的に文明圏の境界線上に位置していたということになる。文明の集積を行っていた地域はそう多くない。

 海洋を挟んでギリシャ圏とエジプト圏を繋ぐ土地。

 これら全てを繋ぐ場所。解答は一つしかない


「クレタ島に………極めて近い、のかな?」


 鈴華はそこでようやく思い出す。

 此処まで来る道中でアステリオスが原住民に捕らわれたのは、クレタ島に関連した理由があったのかもしれない。

 質問に対して流暢りゅうちょうな解答をする鈴華に、アルマはキラリと瞳を光らせた。


「………素晴らしい。これは逸材ですね」

「は?」

「いえいえ、此方の話しですよ鈴華さん。謎解きがそこまで進んでいるなら共に向かってもいいでしょう。私たちは競争相手ですが、謎解きの深度が同じであれば話は別です。ヘラクレスの石碑までご一緒しましょう」


 急に態度を軟化させて笑みを見せ始めるアルマ。

 訳が分からず疑問符を大量に浮かべる鈴華。

 黒髪の少女は呆れたように溜息を吐いてから、ふと思い出したように鈴華を見る。


「そういえば、まだ名乗ってなかったわね。自己紹介してもいいかしら?」

「は、はい! 勿論もちろんです!」


 背筋を伸ばして緊張した面持ちで返事をする。当時から問題児だった十六夜の知り合いということは、確実に迷惑をかけられてきた被害者の一人である。どんな愚痴を聞かされることになるのかと、構えてしまったのだろう。


 ………しかし鈴華は知らない。彼女は決して十六夜の被害者などではない。

 彼女こそ逆廻十六夜さかまきいざよいと共に召還された、同期の桜にして共犯者。

 ロングスカートのすそを持ち上げて悪戯っぽい笑みを浮かべた少女は、新しい遊び相手に名を告げた。



「初めまして。私は久遠飛鳥。戦後間もない昭和から召還された、異邦人の一人です」




        *



 お互いの自己紹介を終えた久遠飛鳥、彩里鈴華、アルマテイアの三人は、目的の場所に向かって歩み始める。

 その道中、飛鳥は鈴華から今の十六夜について話を聞いていた。


「外界と箱庭を交互に、か………十六夜君も私たちと同じようなことをしていたのね」

「飛鳥さんも私たちの時代に?」

「ふふ、違うわ。私は平安時代に用事があってね。十一世紀~一二世紀の間を行ったり来たりってところよ」

源平合戦げんぺいがっせんの頃ですか! うわあ、超気になる!」


 意気投合した飛鳥と鈴華は、大陸の西の端にある岬に来ていた。

 丈の短い草に薄らと覆われた岩肌は、度重なる地殻変動で地層が隆起りゅうきし、激しい凹凸を形成している。

 歩きにくい其処そこから更に海の方に目をやると、突然緑が断ち切れ、その下は斧で強引に叩き割られたような険しい断崖絶壁となっていた。

 その岸壁は長い年月の間雨風にさらされ、波に削られ、人が立ち入ること頑なに拒み、生命を営めるのは風に煽られながらも大きく翼を広げている海鳥しかいない。


「それにしても………まさか崖の断崖絶壁、それも縁の横穴に隠されているとはね。この場所なら偶然見つけるのは難しいんじゃないかしら?」

「そうとも限りません。例え謎が解けずとも、〝ヘラクレスの石柱〟へ向かう者は多いでしょう。アトランティス大陸がギリシャ圏の事だと知っていれば、行く当てがなくとも当てずっぽうで散策しに来るでしょうから」


 地図上にはサントリーニ、オレイカルコス、牛飼いなど、アトランティス大陸に所縁にある地域名が記載されている。


 ミスリードなのか、それとも向かうべき順序があるのか。


 聞きかじりの知識でも、此処まで足を運んでくる参加者は多いだろう。


「とはいえ、断崖絶壁の横穴を熱心に探す者は少ないでしょう。確率は四分の一、確信が無ければ更にその四分の一という所でしょう」

「ふふ。上手く行けば、私たちが一番乗りというわけね。………それにしても、鈴華さんの空間跳躍に助けられたわ。危うくロングスカートでジャンプするところだったもの」

「こ、これぐらいどうってことないっすよ!」


 手を振りながら謙遜する鈴華。

 断崖絶壁だけあって風が強く、飛び降りている最中に流されてしまう危険性もあった。何よりロングスカートのまま飛び降りては不格好な落下になっていただろう。

 横穴を進むアルマは不思議そうに首を傾げながら問う。


「しかし空間跳躍とは驚きました。恩恵の中でもレアリティの高いものでしょうに。何処で手に入れたのですか?」

「生まれつきっす。物心ついた時には出来るようになってましたし」


 ほう、とアルマは興味深そうに相槌を打つ。


「天性の恩恵おんけい………外界で超能力と呼ばれる類のものですが。極めて興味深いですね。私の時代だと恩恵は必ず神霊・星霊・龍種の三種が力を与えたか、もしくは試練として与えられたものでもありましたから」

「し、試練が恩恵なんですか?」

「場合によっては。神々が試練を与えずに放置してしまった場合、何処かで人類の歴史そのものが途絶えてしまっていた可能性もあります。………この度のゲームにも書かれている〝大父神宣言〟の謎を知った時、人と神の関係性について学ぶことが出来るでしょう」


 含み笑いを浮かべて上機嫌のまま突き進むアルマテイア。

 鈴華は飛鳥に近寄り、小声で問いかける。


「アルマさんって、何だか知的な雰囲気のある人ですね。ギリシャ神話にも詳しいし」

「そりゃそうよ。だって彼女、ギリシャの女神だもの」

「め、女神様!?」

「ええ。それもギリシャ神話の主神ゼウスの乳母うばを務めた女神ね」


 何ですと!? と大声を上げる鈴華。

 アステリオス達の話だと主神ゼウスとは、今回の議題である〝大父神〟その人の筈だ。その乳母を務めた女神ならば、謎を解くまでも無く解答を知っていてもおかしくはない。


「で、でも………その、ソレっていいんですか?」

「どういうこと?」

「だってゲームの解答を知ってる人が謎解きに参加したら、競争としてのゲームが成立しないような気がするんですけど………」

「それについてはご安心を。私の目的はマスターを育てる事であって、マスターを優勝させることではありません。ヒントは与えますが解答は与えません」

「……という事よ。女神というだけあって、世間一般的な従僕って言葉が通用しないの」


 はあ、と溜息を吐いて横穴を突き進む飛鳥。

 高低差の激しい洞窟を飛鳥が覗き込むと、暗く深い岩の裂け目が下へと延びていた。

 しかし中は不思議なことに仄明るい。

 天井を見上げると、何かが星の様に瞬いているのが分かる。

 それはキラキラと輝く粘液ねんえきで、その光に寄って来る小さな虫を何者かが捕食しているらしい。その光の網は洞窟中に張り巡らされ、行き先を照らしてくれていた。


 壁一面には傘の様な鍾乳石しょうにゅうせきが幾重にも張り付いている。虫たちの蠢きが作り出す光がそれらを照らし、その陰影が不気味な人の顔の様に見える。その一方で、節くれだった石筍せきじゅんや石柱が何本も聳え立つ様は厳かで、まるで神殿の様であった。

 最奥さいおうに近い場所に着いた途端、先頭を歩いていたアルマが両手を広げて二人を止めた。


「―――お待ち下さい」

「如何したの?」

「誰かいます。マスターも警戒してください」


 緊迫したアルマの声に、二人も真剣な表情になる。

 この地に誰よりも早く来たという事は、〝契約書類〟の謎を解いてこの場に来たという事だ。並大抵の智謀家ちぼうかではない。


 壁の物陰に身を潜めながら最奥の間を覗いたアルマ。

 最奥の間からは、幼い少女の声が響いてきた。


「………うん……うん、わかっているのよ。此れぐらい一人で出来るわ。ジェームズは心配し過ぎなのよ」


(………女の子?)


 綺羅と光る金糸きんしのような髪。

 松明たいまつの様な微かな光でも流麗とわかるその髪に、アルマは視線を奪われた。永く生きてきたアルマだが、此れほど見事な金髪は数えるほどしか見たことが無い。

 少女が身体を左右に振ると、まるで美しい毛並みの小動物がたわむれているかのようだ。


「何者かと話しているようですが………あの黒い物体は一体………?」

「あら。アレって黒電話の受話器じゃない?」


 ひょこり、と横から顔を出す飛鳥。同じくひょこりと顔を出した鈴華が補足する。


「古い電話だねー。黒電話なんて昔の映画ぐらいしか見たことないですよ。そもそも回線繋がってるのかなあ?」

「線らしきものは見当たりませんが………要するに、その電話を模した連絡用の小道具ということでしょう」


 きっと作った本人の趣味に違いない。

 アルマは改めて耳を澄まし、金髪の少女の会話を盗み聞く。


「ジェームズの言う通りだったわ。〝ヘラクレスの石柱〟は石碑だった。〝幾重に重なり合った星〟というのが二重の意味を持っていたのね。………え? 一人で大丈夫かって? だ、大丈夫よそれくらい! 私もう十二歳よ! 立派なレディだわ!」


 プクっと頬を膨らませてて拗ねる金髪の少女。

 言動からして飛鳥や鈴華と同じ参加者なのだろうが、競争相手というには幼過ぎる。此れではまるで子供のお使いか何かだ。


「あ、あの。あんな小さな子を一人で放っておいていいんですか?」

「………そうね。危険はなさそうだし、出て行ってもいいんじゃないかしら?」

「いえ、もう少し情報を集めましょう。相手は謎解きを含め、一番最初の到着者です。何かしらのアドバンテージを得られる可能性が高い」


 二人を諫めるアルマは、金髪の少女を警戒していた。

 子供だからと言って不用意に近づくのは危険な場合がある。

 他の場所ならいざ知らず、此処は人外魔境じんがいまきょうの箱庭の世界。

 あんな子供が人喰いの怪物である可能性は否定できない。


「ええ………え? 伯母様? あ、はい! 私一人でもお使いが出来ました! 私たちが一番乗りです! 伯母様も………レティシア伯母様も、喜んでくださいますか!?」


 飛び上がってはしゃぐ金髪の少女。

 だが驚いたのは飛鳥も同じだった。


「レティシア伯母さん………え、レティシア!?」


 金糸に見紛うほどの流麗な金髪と紅い瞳。表情は幼いが、飛鳥の知るレティシアの面影がある。何よりあの外見ならば吸血鬼である可能性は極めて高い。

 ガタン! と、物影から飛び出た飛鳥は一直線に金髪の少女に歩み寄った。


「え………ちょ、ちょっとマスター!?」


 突然のことにアルマは驚いた。鈴華も驚いた。

 だが金髪の少女はもっとびっくらこいた。

 黒電話の受話器を三回転させて取り落とし、落ちた受話器がコロコロと転がって飛鳥の足元で止まる。

 飛鳥は勢いよく受話器を拾い、蟀谷こめかみに青筋を立てて叫んだ。


「ちょっとレティシア!! 貴女いま何処にいるの!?」

『その声………まさか、飛鳥か!?』

「そうよ! 春日部さんからレティシアが居なくなったって手紙を貰ってから、ずっと心配していたのよ!? 一言もなく姿を消すなんて、うちの侍女頭じじょがしらはそこまで礼儀知らずだったのかしら!?」

『す、すまない。本当に申し訳なく思っているから、少し私の話も聞いてくれないか?』


 怒涛どとうの勢いで叱られるレティシアと、怒涛の勢いで叱り飛ばす飛鳥。

 金髪の少女は突然の出来事に口をパクパクさせながら硬直している。突然出てきた女性に受話器を奪われたのだから仕方がないといえば仕方がないのかもしれない。

 傍で控えていた鈴華は困惑しつつも、隣に居たアルマに問いかけた。


「………あの、レティシアさんとは?」

「マスターの元メイドです」

「メ、メイドさんですか」

「はい。金髪美少女吸血鬼の元メイドです」

「金髪美少女吸血鬼のメイドさんですか!? 流石は異世界ですね!」


 生メイドなど鈴華が居た世界では滅多にお目にかかれるものでもなければ、そもそも耳にする機会がない。

 しかも金髪美少女吸血鬼メイドとは、戦力的にも圧倒的ではないか。


「それで、レティシアは今どこにいるの? 無事なの?」

『無事………といえば、まあ無事だ。わけあって今は姪の面倒を見ている。詳しい事情は十六夜たちに聞いてほしい。旧〝ノーネーム〟のメンバーもそこに集まっている筈だ』


 あら、と飛鳥は意外そうな声を上げる。


「旧〝ノーネーム〟の方たちが? レティシアとクロアさん以外の?」

『飛鳥。今生こんじょうの頼みがある。聞いてくれるか?』

「あら、今生の頼みとは随分と他人行儀ね。久しぶりに話す仲間のお願いぐらい低金利で聞く準備はあるわよ」


皮肉めいた笑いで茶化す飛鳥。

受話器の向こうで険しい顔をしていたレティシアは、思わず口元を緩めてしまった。


『ありがとう。持つべきものは頼もしい主だな。……それで相談なんだが。私の姪であるラミアを、少しの間でいいから預かってくれないか?』

「えッ‼︎?」


今度は金髪の少女―――レティシアの姪であるラミアが素っ頓狂とんきょうな声を上げた。

飛鳥から受話器を奪い取ったラミアはレティシアに向かって叫ぶ。


「お、お、お、おば、伯母様!!? 盟主代行である私がコミュニティから離れては不味いと思うのだけれど!!? しかも見ず知らずの人間に姪を預けるなんて、」

『確かに痛手だ。それに一時的にとはいえ、ラミアに離れられるのは辛い。とても辛い。ラミアはとても聡明で実力もある。何より可愛い姪と離れるのが叔母として辛い』

「そ、そうよね!? そうですよね!」

『だがな、ラミア。彼女たちは私の恩人でもあるのだ。もし彼女たちが居なければ、私は箱庭の都市の外側で奴隷にされ、好色家こうずかたちに弄ばれる日々を送っていただろう』


 レティシアの告白に、ラミアの顔が強張った。

 此れは逆廻十六夜、久遠飛鳥、春日部耀の三人が箱庭に召喚されたばかりの頃の話。

 東の第五桁に本拠を構える〝ペルセウス〟によって、レティシアは売り払われようとしていた。箱庭の吸血鬼は誰もが麗しい外見と金の髪を持ち、また強靭きょうじんな肉体を持って生まれてくる。しかしそんな吸血鬼にも絶対的な弱点が存在している。

 吸血鬼たちは太陽光の直射を受けられず、彼らが太陽の下で生きていくには、箱庭の大天幕によって守られる必要があるのだ。

 大天幕の加護を受けられない箱庭の外は、吸血鬼たちにとって天然の牢獄と変わらない。

そんな場所に、当時の〝ペルセウス〟のコミュニティはレティシアを奴隷として売り飛ばそうとしたのだ。


『私たちは外界で認知されている一般的な吸血鬼とは別物だ。たった一つしか弱点が無い代わりに、その一つが致命的なものとなっている。もし都市の外に売り払われていたら………私に出来たことは、己の尊厳の為に自害することぐらいだっただろうな』

「………伯母様」

『彼女はそんな私の大恩人だ。こうして巡り合えたのも何かの縁。彼女に力を貸してやってくれないか?』


 一瞬、会話が途切れる。

 だがラミアの声が唐突に冷たくなり、


「伯母様。相手はです。私達の最終目標を考えれば、慣れ合うべきではありません」


 今迄の幼さを押し殺した声音。

 人間に対する明確な侮蔑ぶべつと嫌悪、そして怒りが幼い身体を震わせている。


「人間たちの偏見が、怨嗟えんさが、詩人たちの享楽きょうらくが、吸血鬼の女王であるお母様をあのようなこと。私は決して忘れていません。―――人類に報いを、詩人たちには絶滅を。それが私の願いだとお伝えしましたよね?」


 寂しそうな声で、縋るように訴えるラミア。その声には親愛と依存愛が絡み合い、消えてしまいそうな儚さと、燃え上りそうな怒りが含まれている。

 応答を間違えれば、ラミアは今からでも親愛を憎愛ぞうあいに変えてしまいかねない。

 レティシアは少し言葉を詰まらせたが、それでも諭すように続けた。


『………頼む。不甲斐ない伯母の為、王族の名誉を挽回してくれないか? 私たちの目的を果たしてからでは恩を返すのは不可能だろう?』

「………。わかりました。ですが今回だけです。この件が終われば伯母様と彼女たちは無関係の間柄。伯母様は、私だけの伯母様になる。そう約束してくださいますか?」

『ありがとう、ラミア。もう一度飛鳥に代わってくれ』


 飛鳥を強く睨みつけたラミアは受話器を投げ、そっぽ向きながら平らな岩に腰を掛ける。どういう事なのかサッパリ状況を掴めていない飛鳥は、彼女に聞こえない距離まで離れてからレティシアに問うた。


「………あの、レティシア? どういうこと?」

『すまない。姪のラミアを頼む。………私一人では、その子を救うためにどうすればいいのかわからないんだ』


 無力感の籠ったレティシアの声音に、飛鳥はため息を吐く。

 それと同時に、状況を悟った。


(要するに………レティシアが〝ノーネーム〟を離れたのは、姪であるこのラミアさんに関係があるってことね)


 人質にされているのか。

 騙されているのか。

 又は何かの恩恵で洗脳されているのか。

 どのような状況なのかまでは、レティシアには説明する権利はないようだ。


「………馬鹿ね。相談してくれたら、私や十六夜君も飛んで帰ったのに」

『………言葉もない』

「別にいいわ。よく考えたら、離れていた私がどうこう言える立場じゃないものね。事情が分からないから何とも言えないけど、とりあえずラミアさんと一緒に行動してみて、私なりのやり方で問題を解決する。基本方針はそれでいい?」

『勿論だ。飛鳥なら………私の主人になら安心して任せられる。何せあの原石だった問題児が二年も修行してきたんだ。きっと私よりも頼もしくなっているに違いない』

「ふふ、それについては期待しておいていいわ。レティシアも気を付けてね」


 頼もしい言葉にレティシアは頷いて返し、通話を切った。

 それと同時に受話器がギフトカードになってラミアの手に戻る。今まで見たことの無い機能に少しだけ好奇心がうずいたが、今はそれどころではない。

 コホンと咳払いをした飛鳥は、ラミアに振り返った。


「ええと、ラミアさんでいいかしら? 私は久遠飛鳥。太陽主権戦争の参加者の一人よ」

「………知ってるわ。そっちの女神がアルマテイアでしょ」

「おや、私のこともご存じでしたか」

「当然よ。今回のゲームの内容、貴女にとっては謎掛けにならないでしょう? どうしてもっと早くに来なかったの?」

「私の目的はマスターの成長であって、優勝ではありませんから」


 フンッ、とラミアは鼻で笑い飛ばした。随分と暢気のんきなことだと思ったのだろう。その仕草は如何に可憐な少女であっても可愛げの欠片も感じられない。

 だが何故か飛鳥は口元に笑みを浮かべ、微笑ましく近づいた。


「さ、行きましょうか。奥は薄暗いし、手でも繋ぐ?」

「結構よ。子ども扱いされるのは不愉快だわ。………あと、一番乗りは私たちのコミュニティ。それは譲れないのだわ」

「大丈夫よ、それくらい分かってる」

「しかしよくこの場所が分かりましたね。並の知識では此処に到達することは不可能でしょう。流石は吸血鬼の王族。見事な知勇とたたえずにはいられません」


 極上の笑みでラミアを持ち上げるアルマ。

 ラミアは尖らせていた唇を少し和らげ、得意気に金髪を掻き揚げて胸を張る。


「当然じゃない。私たちのコミュニティには〝最強〟を確信して呼び出されたゲームメイカーが在籍しているの。誰が相手でも彼には勝てないわ」

「………ほう。〝最強〟のゲームメイカーと来ましたか」


 アルマの笑みが鋭くなる。


 修羅神仏しゅらしんぶつが集うこの箱庭の世界で〝最強〟の名は決して軽くない。


 神霊にせよ、英傑えいけつにせよ、一つの世界で頂に立つ者が集うのがこの世界だ。

 その箱庭で軽々しく〝最強〟を口にしていいわけがない。

 本来なら嘲笑ちょうしょうで返すところだが、アルマは一先ずその嘲りを横に置く。

 実際問題、この地に足を運ぶには相応の知識が必要だ。鈴華の様に地政学的な見地で当たりを付ける者もいれば、ヘラクレスの石柱というだけで訪れる者もいる。


 だが―――ラミアの先ほどの会話を聞く限り、彼女たちは正当な推理を以って此処に辿り着いたように思えた。

 それも鈴華と同じく、プラトンの原文を読んでいなければ正確な推理は不可能だ。


「〝最強〟であることを自称した以上、此方も礼儀としてお聞きしましょう。貴方のゲームメイカーはどの様な手段でこの地に足を運ぶように提案したのですか?」

「そんなの、プラトンの書いた原文を読めばすぐに解けるわ。まあ簡単に読むことが出来ない場所に保存してあるから、〝如何どうしてその場所に保管されることになったのか〝という経緯から推理出来ないとパーフェクトとは言えないでしょうね」


 ラミアの言葉に、飛鳥と鈴華は視線を交わして頷き合う。

 鈴華は先ほど〝プラトンの原文が一般公開されたから読むことが出来た〟と口にした。だがラミアは一般公開された事実を知らない。

 この矛盾が意味することは余りにも大きい。


(ゲームメイカーは一般公開されるより前の時代の人物。十六夜君たちとは違う時代の人間ということ)

(しかも原文がローマ教皇庁の秘密文書保管所に保管された経緯を推理することが可能で、尚且なおかつヴァチカンに顔が利く人物………え、ヤバくない?)


 秘密文書保管所が一般公開されるようになったのは近代に入ってからのことだ。外部の研究者たちでは並大抵のコネクションでは立ち入ることが出来ない。例え推理が可能であっても、相応の身分が無ければ存在を確認することすらできないだろう。


(………なるほど。最強のゲームメイカーなどと放言したくなるわけです。太陽主権戦争と云えば箱庭を代表する大舞台。状況と立場が噛み合った結果とはいえ、先陣を切ることに成功すれば名を売る為にその様な手段をとることもあるか)


 アルマは評価を話半分に留めておく。

 少なくとも〝ローマ教皇庁にコネクションを持つ人物〟という事ははっきりした。

 相手からアドバンテージを奪うにはこれで十分だろう。


「ふふ。ラミアさんのご友人は素晴らしいのですね。もし機会があれば指南いただきたいものです。―――さて、そろそろ本題に移りましょうか」


 アルマが一歩前に出る。

 最奥の間に在った石碑は到達者たちを待ちかねていたかのように薄く光っている。

 石碑に触れようとしたアルマを慌てて押しのけたラミアは、胸を張って石碑の盤面に触れた。


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