終わりを迎える日 ー源頼朝に師父と呼ばれた男

渚乃雫

第1話 枕元に彼が立つ

「おい、起きているか」


 目を閉じていた自分に、何処からか、聞き慣れた、けれどもう二度と聞くことの出来ぬはずの彼の声が、あたりに響く。

 目を開けるとそこには、一人の青年が、衣の裾をふわりと浮かせながら、目の前に立っている。

 かつて、自分に「父とも思うぞ」と声をかけ、自分よりも先に旅立った彼が、若かりし頃の姿をして、すぐ其処にいる。確かに、彼が旅立つのを見送った自分の記憶すら、覚え間違えかと思うほどに、彼はどっしりと構えて、未だ記憶に残る人懐こい笑顔でこちらを見据えている。

 けれど、記憶に間違えなどない。

 間違えでなければ、彼の奥方が、あんなにも哀しむはずがない。

「お迎え、ですかな」

「まだ、早いと思ったのだがな」

「若がお望みとあらば、そちらに参るのが私の務めでしょう」

「………若と呼ばれる歳ではないと、知っているだろう?」

「ふふ、そうでしたな。三郎どの」

 そう言った私の言葉に、彼は一瞬驚いた顔をし、そのあと「アッハッハッハッハ!」と豪快な笑い声をあげる。

「若?」

「いや、なに、久しくその名で呼ばれなかったからな。何やらこそばゆいな」

 クツクツと愉快そうに笑う彼の姿に、目の奥が熱くなる。

「なんだ。これしきの事で涙など流しているのか?」

「………老いとは、そういうものです」

 そう言って目を閉じた私に、彼は「そうか」と呟いて小さく笑う。

「なぁ、常胤つねたね

「………なんでございましょう?……若」

「こちらに渡るのは、子らに会うてからでも良いだろう?」

「……そう、ですかな」

「あぁ。子は、父を待つものだからな」

「…………頼朝様」

「私は気長に待てる性分だぞ、常胤よ」

 目を閉じていても分かる。

 つい先ほどまで、目の前に居た彼の気配が消えた。

 フッ、と彼が笑ったような、気がした。


「父上!」

「………あぁ、胤正たねまさか」

 我が子に呼ばれる声に目を開ければ、そこには先ほどまで目の前にいたはずの三郎どの、いや、源頼朝どのの姿は消え、我が子達の涙を堪えた視線が仰向けで寝る自身の身体へと突き刺さる。

「どうやら、私もそろそろ逝かねばならぬらしい」

「父上……!」

 ぐるりと囲うように私を見つめる我が子達を一人ひとり、しかと見つめる。

 耳が痛くなるほどの静かな終わりの音が、彼を包みこんでゆく。

「良き、人生であった」

 そう穏やかに笑う彼の人生は、たった一言ではすまされないほど、波乱の人生であった。

 だが、我が子や彼を慕う武将達に囲まれた彼は穏やかな笑顔を浮かべ、そう述べたのである。

 彼の名は、千葉介常胤つねたね

 動乱の時代を生きた、鎌倉幕府設立の立役者であった彼の人生が、今日、建仁元年3月24日、終わりの時を迎えた。



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