妄想狐
月若美禄
第1話 アタリ-壱-
ーきっとこれは呪いだ。運が無いとかタイミングが悪いとかそんなレベルの話じゃない。呪いなんだ。確実にそうだとハッキリ断言出来る。
そう思いながら木村栞は歩いていました。年の頃は十四、中学二年に上がってから丁度三ヶ月が経とうとしていた時分のことです。
『はぁ...』
大きな溜息を吐き、足取りも覚束無い様子で帰路を歩いて行きます。
『いっつもハズレクジじゃない私。』
栞は今日クラスであった席替えについて思い出していました。
『この前は席が変わらなかったし、今日のやつは1番前、ハズレを引くのも懲り懲りよ。』
そう言いながら栞は今日何度目かの溜息をつくのです。
栞は恐ろしくクジ運の悪い娘でした。
というよりも本当に呪いとも言えるほどに運がないのです。おみくじを引けば毎度の事のように「凶」、花占いをすれば「好きじゃない」、残り物には福があるというくせに、いつも皆で分け合うお菓子はどこか崩れていました。買い物に行けば買う直前にして欲しいものが売り切れる、ロシアンルーレットではワサビ入りを口にし、極めつけはアイスキャンディです。
栞の家の近所には馴染みの駄菓子屋があるのですが、小さい頃からそこで買うアイスキャンディでさえも、人生の一度だってアタリを引いたことなどありません。栞は前にアタリが出るまで無理してでも食べ続けようと挑戦したことがありましたが、棒に現れるは「ハズレ」の文字ばかり。しかも食べ過ぎで自分自身が腹を壊すという最悪の結末に終わってしまったのです。
そのため駄菓子屋で友達や子供達がアタリを引く度に、栞はいつも隣で羨ましく思っていました。
このように、数え出したら切りがないほど、栞のこれまでのハズレの来歴は実に酷いものでした。
そして今日も今日とて栞は、おそらく大多数が嫌がるであろう例の席を、またしても見事クジで引き当ててしまったのです。
けれど、こんな調子で物心ついた時からアタリに恵まれず、事あるごとにずっとハズレを引き続けてきた栞ですが、 お分かりのようにどれもこれもが大きなハズレというわけではありませんでした。
運が悪いことなど誰にでもあることです。しかし栞にとっては、小さなハズレを毎日のように引き続けることで結局は憂鬱になることに変わりはないのでした。
『私がアタリを引くことなんてこれから先もきっとないわ。それこそ驚天動地の出来事ってやつね。』
齢十四にして、半ば自分の人生に良い事なんて起こるはずもない、そう諦めかけていた時です。
『アレ?』
何処どう来たのでしょう。ふと顔を上げた栞は自分が見知らぬ森に居ることに気づいたのです。周りを見渡しても全く見覚えがありません。
『どこだろ、此処。』
まるで天井のように頭上を覆う深緑の木葉の隙間からは僅かに夕日が漏れています。よく知らない森で動き回るわけにもいかず、キョロキョロと辺りをもう一度見渡してみると栞はあることに気付きました。周りには鬱蒼と木が生えているのですが、不思議なことに今栞の立っている場所から森の奥の方までは小道が伸びているのです。
気になって、まるで誘われるかのように奥へ進んでみると、
『わぁ...。』
目の前に小さな社が現れました。
もっと正確に言うのなら「祠」でしょう。神社や寺などは十中八九どこか神妙な雰囲気ですが、その祠はさっきとは少し開けた場所にあり、木漏れ日が周りの舞っている埃や砂に反射して光っていることもあって、栞には一層神秘的に感じられました。
『なんだろこの祠、こんな所に。』
身長150cmの栞よりもおよそ頭一つ分小さいくらいの大きさですが、森の奥に人知れず佇むそれの外観は実に見事なものでした。
石段の上に乗るようにして造られている祠には、小さな鈴とそこから白黒二本の鈴緒が垂れています。祠のさらに手前には朱色の鳥居が構えられ、その左右に一本ずつ誰也行灯と呼ばれる一種の灯籠が立っていました。
鳥居には「御伽社」と記された社額が掲げられています。
『なんて読むんだったかなこの字...。えっと、確か「おとぎ」だっけ。「おとぎしゃ」?、それとも「おとぎやしろ」かな。』
紙垂の付いた注連縄が微風に揺れています。少し苔に覆われた祠は妙に面妖で、栞はまじまじと数分の間それを眺めていました。よく見ると中に何か丸いものがあるようです。おそらく「神鏡」と呼ばれる鏡でしょう。自分自身を見つめ直す鏡と言われるものです。
また、誰が置きに来るのか、祠には榊の葉の他にも、小さな白い皿に乗せられた油揚げが供えてありました。
『変ねぇ、こんな所に来ちゃうなんて。なんかの暗示かしら。』
気付かないうちに見知らぬ森に居て、その上不思議な祠を見つける。栞にとってはこの上なく奇妙な出来事に思えました。
『そうだ、これを機にお願いをしておこう。』
何を願うのかは想像に難くないでしょう。元々クジ運の悪さを思い悩んで此処に辿り着いたのだから、栞は手を合わせてその場にしゃがみ込みハッキリとこう言いました。
『もしも...私のこのクジ運の悪さが直ったら、おみくじで大吉を引くことも、占いで恋愛の兆しを期待することも、残り物の悪さや商品の品切れ、罰ゲーム、そしてあの忌まわしいアイスのハズレ棒ともきっとおさらばできる。もっと人生を楽しめるんです。どうかお願いします、私のクジ運の悪さをどうにかして縁切りものにして下さい。』
するとどうでしょう、いきなり祠の背後から風が吹き込んで辺りの草木がザワザワと揺らめき始めました。咄嗟のことで膝をついてしまい、乱れる髪を抑えながら栞が驚いていると、
ーチリン...
と鈴の音が聞こえ、
ーその妄想、叶えてやろう。
そう頭上から声が聞こえたのです。いや、聞こえたというよりも頭の中に流れ込んできたような感じでした。
『何...?』
すっかり風は止み、栞が顔を上げると....
ーお前、まるで死人ような顔をしておるな。そんなにこの世がつまらんか。
『....!!』
栞の目がどうかしていたのでしょうか。祠の屋根の上、そこに一匹の狐がいたのです。毛は白金に輝き、口元に怪しい笑みを浮かべ、狐は細めた黄金色の瞳でこちらをじっと見下ろしているのです。栞はただただその場に固まってしまいました。
ークククッ。そこな小娘、どうした。声も出んか?願いを叶えてほしいのだろ?少しは喜ばんか。
ハッと我に帰り、栞はやっとのことで声を絞り出しました。
『 あ...、え...、こ、れは、現実...?』
ー何を言っておる戯け。お前が願いを叶えてくれと言ったのだろう。まぁ、どいつもこいつも此処へ来る者は皆お前のような反応をするがな。
『ね、願いって、さっき私が言った?』
ー他に何がある。呪いめいたそのクジ運の悪さ、どうにかして欲しいと言ったであろう。
『 あ、さっきはそう言ったけど、でも、あれは』
ーだからその妄想を叶えてやろうと言ったのだ。
『も、妄想?』
何のことか分からず栞は頭を必死に働かせます。確かに神頼みはしましたが、それは本当に神様にどうにかしてもらおうと思っている反面、栞にとっては一種の気休めのつもりでした。つまり、願いを口にすることで一瞬でも神の力にあやかりたかっただけなのです。そもそも栞は、クジ運の悪さならもうとっくに幾度となく神様に願い申し上げて来ました。
それが叶わないことだと分かっていても栞は口に出して願うことでいつかは叶えてくれると思い続けてきたのです。
ーお前が我が祠、御伽社(おとぎやしろ)まで参道を通って来たのだ。と言っても思い悩んでいる娘の姿が見えたので、ワタシがこっちに来るように導いたのもある。森に居ると気づいた時、もしお前があそこで引き返していれば元の道に出れたであろう。いやはや、人間の好奇心は実に己に忠実だ。クククッ。
状況がよく理解できませんでしたが、栞は狐の「願いを叶える」という言葉を思い出して喋りました。
『 本当に、叶えてくれるの?私の願い。』
ークククッ。嘘はつかんよ。どうかね?
どこか含むところがありそうな怪しい狐です。しかしその神とも呼べるべき美しい容貌や願いを叶えてくれるという甘い言葉に、栞に選択の余地などありませんでした。この時には既に、栞は目の前で起こっていることについて何の思考の抵抗もなかったのです。
『 じゃあ...叶えて頂戴!私の願い!』
そして次の瞬間、栞はそう狐に言い放っていました。
ーよかろう、だがあくまでも妄想の範囲だ。
狐は言いました。
『 何よそれ、さっきから妄想って。』
意味が分からずに栞は聞き返しました。
ーよく聞け小娘、お前の運の悪さは生まれつきだ。いくらワタシの力でもそれを丸ごと取り払うことはできん。それに、お前は自分が不幸にならないために何か行いを改めてきたのか?
『 ...と言うと?』
ー自分から不幸を回避することだ。
狐の言っている意味がますます分かりません。
『 そんなの出来るわけないじゃない。』
ーそうか?例えば、ハズレを引くと分かっているのなら端から期待しない。あるいはその事に慣れる、と言ったところだろうな。負けが見えてる勝負に参戦しないのと同じさ。あとはハズレを引いた時にそれに対応する、苦しみの中に楽しさを見出すという適応能力を身につける。そういう行動をとって来たか?自分の力でなんとか改善しようと努力したことはないのか?
『 そ、れはないけど...。』
栞は黙ってしまいました。狐の言っていることがもっともらしいと感じていたのです。今までこのクジ運の悪さを自分の出来る範囲で解決しようとはしてきませんでした。しかし今はそんなことを考えている場合ではありません。
『 で、それがアンタの言う妄想とどう関係があんのよ?』
ーフン。生意気な娘だ。要するに、ワタシが願いを叶えそれを実現するのは妄想程度の極めて事象の小さい範囲ということだ。もっと言うと一時的にだな。願いは実現されるがお前さんが死ぬまでじゃない。
『 そう。だからあくまでも妄想、「もし」程度ってことね。』
ーそうだ。
(なるほど、一生おいしい思いは出来ないというわけか。まさに妄想、おとぎ話ってわけね。)
栞は口に手を当てて心の中でそう思いました。しかし、一時的でも願いが叶うということは、栞にとってこの上もなく魅力を感じるものだったのです。
『 出来ればこのこととは縁を切りたかったけど、一時的でもいいわ。お願い。』
最終的にそう言って、栞は狐にもう一度頼みました。
すると狐はニヤリと笑って、
ーでは叶えようお前の妄想。これから話すことをよぉく聞きな。
とその黄金色の目を大きく身開いて栞を見据えました。
栞はゴクリと唾を飲み込みます。
ーこの世には均衡がある。つまりバランスだ。みだりに崩して良いものではない。誰しもに試練があり、そして幸福があるのだ。お前だけが今からいい思いをするわけにはいかない。だが、願いを叶えるという言葉に嘘はない。そこでこれからお前に十の運をやる。
『 十の運?』
ーそうだ。運と言っても全てが幸運ではない。アタリとハズレが交互に来る運だ。一番初めをアタリ、そこから数えて最後に来る運をハズレとする。上手いことそれを利用してお前の思う通りその運を使うがよい。どんな風に使ってもお前の自由だ。
『 どんなことでも?』
ーあぁ。
ということは、栞は自分にとって特段損害のない時はハズレを選択する必要があるということです。しかし、何か大きなことにはアタリを使える。それだけでも栞にとっては夢のような話でした。
『 分かったわ。』
ーフッ。最後のハズレを引いた時、それでもうお前の妄想は終わりだ。よいな?
『 うん。』
ーよかろう。では娘、お前の名前は何だ。
『 木村栞よ。』
ーでは栞とやら、存分に己の人生を楽しむが良い。
するとまた狐の居た祠の背後からどこからともなく風が吹き、今度はその周りを囲む様にして木の葉がいっせいに舞い始めました。
あまりの風に栞が目を瞑ると、
ーチリン...
と鈴の音がなりました。それと同時に風が止み、再び目を開けた栞は見覚えのある通学路に立っていました。足元には葉が落ちています。
『 ほんとに現実だったのかしら。』
風で乱れた髪を直し、制服を払います。
『 さっき最初はアタリと言ってたわね。何かで確かめる必要があるわ。』
そう言って栞が真っ先に思い当たって向かったのはあの馴染みの駄菓子屋でした。
足早にそこへと向かいます。
『 こんにちはー。』
駄菓子屋に着いてお店のおばさんへの挨拶も早々に、栞は店のクーラーボックスの前に立っていつものアイスキャンディを探し出しました。それを手に取りお金を払います。
店の外にはベンチがあって、栞は早速そこで買ったアイスキャンディを食べてみる事にしました。これが吉と出るか凶と出るか。もしかするとさっきの森での出来事は幻で、はたまた狐につままれたのではないかと栞は疑わずにはいられなかったのです。
(あの妄想狐め、ちゃんとアタリが出るんでしょうね。)
半ば騙されたと思いながらも少し期待しながら、栞はアイスキャンディを食べ始めました。逸る気持ちを押さえながら一口ずつ食べていきます。夢にまで見たアタリが出るだろうか、ドキドキと鼓動の鳴るなか食べ進め、いよいよ最後の一口です。気になるものの目をギュッと瞑って口に咥えました。
ードッドッ、ドッドッ...
心臓が早鐘を打つ中、口から引き抜いてそぉーっと栞はその目を開けました。
ー数秒後ー
駄菓子屋のおばさんの前に駆け込む一人の娘の姿が。荒い息をさせたその娘は顔が紅潮し、興奮を抑えられない様子でした。
『 ど、どうしたのしーちゃん?』
しーちゃんと呼ばれたその娘こそ、まさしく栞でした。
栞はニコやかな笑顔で先程買ったアイスキャンディの棒を勢いよくおばさんの前に差し出しました。
おばさんは分けが分からず、栞の差し出したアイスキャンディの棒をよく見て栞に微笑みかけました。
『 あらぁしーちゃん珍しい。やっとねぇ。』
そう。綺麗に食べられたそのアイスキャンディの棒にはこう印されていたのです。
ーアタリー
『 おばちゃんもう一本!!』
第一話 アタリ-壱-
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