第6学生寮、アベニューでの生活
世界三大〇〇
「かわいい子にはかわいいと言う」特技
私立K大附属高校大阪、第6学生寮。通称、アベニュー。そこで暮らす郁弥の元に、手紙が届いた。この郁弥、冴えない男である。たった1つだけの特技があるのだが、男子校の男子寮にいたのでは、その特技を活用することはできなかった。
手紙には、『7月1日、明菜の七回忌を行うから、帰省するように』とだけが書いてあった。母の名を見たのは何年振りであろう。懐かしいと思う気持ちはあったが、参列しようとは思えなかった。手紙の差出人、父親の陽一に会うのが嫌だったからだ。母を見殺しにし、今ものうのうと生きている父。そして、こんな学校への入学を勝手に決めた父。郁弥はあの日以来、父のことが嫌いになった。だから手紙のことは忘れ、東京へ戻ることも考えないようにしていた。
その晩、郁弥は数年ぶりに母、明菜の夢を見る。それはまるで、母が寮を出るように誘っているような、そんな夢だった。生前と同じように訓示を垂れるのだが、夢に出て来るのは、たった1つだけだった。
『かわいい子にはかわいいと言う』こと。
ふと目を覚ました郁弥は、机に向かい、ほとんど物がない引き出しの中から、父からの手紙を取り出す。
寮の廊下の壁には、寮母さんが作った何種類もの張り紙があり、寮生はそれを守らなくてはならない。『時間厳守』『お残し禁止』『大声を出さない』など、ごく当たり前の張り紙が大半である。郁弥は窮屈に感じたことはないが、きっちりと角を揃えて貼られていることから、寮が規律を重んじる空間であることがうかがえる。その中に1つだけ変わった張り紙がある。『かわいい禁止』と書かれた張り紙である。噂では、寮母さんの娘が初潮を迎えたので、6年前に張り出されたものらしいが、郁弥にしたら、入寮以来ずっと貼られたままの、一風変わった1つの張り紙に過ぎない。
郁弥は寮の食堂へ向かった。食堂には、寮母さんがいるのだが、お世辞にもかわいいとは言えない。先に来ていた寮生が、ガツガツと食料を口に運ぶ音が響く。
「よう、郁弥。夏休みは帰省するのか」
「そんな面倒臭いこと、しないよ」
手紙や夢のことが郁弥の頭をよぎるのだが、考えまいとしていた。郁弥は今迄、夏休みに1度も外泊をしていない。だが、そのことを気にしている寮生がいた。
「えーそうなの。外泊すれば良いのに」
「高橋は、1人きりになりたいんだよ」
「可憐ちゃん目当てでな」
可憐ちゃんというのは、寮母さんの娘のことである。今年で中3になる、その名の通り、可憐な少女である。寮母さんが私の若い頃にそっくりというが、誰も信じていない。
「ははは、可憐ちゃん、か……。」
郁弥は、かわいいといいかけて一瞬留まった。寮母に聞かれては、3日間、おやつ抜きになる。だがそこへ、偶然にも可憐が登場する。夏服が眩しい。それで郁弥の頭の中は混乱してしまう。言ってはいけない言葉を、止めてはいけない気持ちになってしまった。あるいは、夢のことが作用したのかもしれない。
「……。かっ、かわいい!」
「えーっ!」
寮友達は、驚いて、つい大声を出してしまう。可憐は、ただ黙ったまま、郁弥を見つめていた。
「郁弥、俺はお前を尊敬するぞ」
「その前に、こっちだ」
「尊敬を崇拝に変えたくはないからな」
騒ぎを嗅ぎつけて、大きな包丁を持った寮母さんが現れた。そして、可憐が無事なのを確かめる。もう一つ、空席に残されたの皿を確認するのも忘れなかった。皆、残さず食べられていた。
「今、かわいいと言ったのは、誰だ?」
寮母さんは、そのまま、誰よりも大きい声を出して、郁弥達を追いかけた。
「鈴木か?」
「……。」
「佐藤か?」
「……。」
「高橋だな!」
「何で僕だけ断定的なの? 違いますよ!」
「……。郁弥、お前か!」
「ごめんなさいー」
寮生達は、大声を出してしまった罪悪感か、郁弥への友情かは別として、郁弥が言ったことは言わなかった。強く疑われた高橋が自分ではないと言っただけで、皆、郁弥のことを庇おうとする。しかし、郁弥自身が謝ってしまっては、これ以上庇うことができない。寮母さんの足は速く、ターゲットを郁弥に絞ってからは、直線的に追いかけ、次第に郁弥は追い込まれてしまう。
「郁弥か。逃がさんぞ」
そこへ、割って入って来たのは、可憐だった。真っ直ぐに寮母さんを見つめている。
「お母さんやめて。私にだって、かわいいって言われる権利があると思うの」
「しかし、郁弥のやつが……。」
可憐は郁弥の方に向き直り、静かに言った。
「郁弥さん、ありがとう」
「母さんの口癖で。かわいい子にはかわいいって言うことって」
「どんな方だったのかしら。お会いしたかったわ」
この後、第6学生寮アベニューの廊下からは、『かわいい禁止』の張り紙が剥がされた。そして、鈴木・佐藤・高橋の3名は、大声を出した罰として、3日間おやつ抜きの刑に処された。
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